もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「鏡の背面」を読みました

今週からスマホにタイマーを登録して「テレビ体操」を

始めました。たった5分ですが体がすっきりします。

 

鏡の背面

「鏡の背面」(篠田節子 著)を読みました。

 

友人のブログで読後記事を読んだのが去年の夏。

図書館で予約して順番が回って来るのに約1年かかりました。

とても分厚い本で、534ページ。

空いた時間をほとんど読むことに費やしても3日。

 手強かったけどおもしろかったです。

 

舞台は、薬物依存症患者やDV被害者の女性たちが暮らすシェルター

と本の帯にはあるが、

私が最初に思い出したのは「八日目の蝉」(角田光代 著)に出てくる

施設だ。

「新アグネス寮」では、農作業をしながら共同生活をしている。

宗教色はないのだが、支援母体が「白百合会」というクリスチャンの

女性団体なので、そういうイメージをもってしまう。

もう一度「八日目の蝉」を出して確かめたところ、

「新アグネス寮」はシェルターやグループホームに近く、

宗教団体の施設とは違うなと思いました。

 

この「新アグネス寮」の代表、中富優紀と、

火事で亡くなった(と思われていた)小野尚子先生を取材した

フリーライターの山崎知佳が事件を追う。

事件の謎解き、秘密の解明が土台のストーリーなので、

あらすじは控えて、感想だけ。

 

人間には、置かれた立場や環境によって出来上がる人格と

いうものが確かにあるのかもしれない。

妻という立場になれば、妻という顔に、

母という立場になれば、母という顔に。

会社の管理職になれば、なんとなく貫禄を感じたりする。

立場がなくなれば、その人の素(す)になる。

私の素はどんなだろ。

 

表紙の絵は、 

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ

「ラザロの蘇生」。

この絵がこの本を借りたときから気になっていたので、

記事を書くにあたって調べた。

「ラザロの蘇生」は「ラザロの復活」とも呼ばれ、新約聖書

ヨハネによる福音書第11章に書かれているエピソード。

エルサレム郊外ベタニアという村に住む友人のラザロが病気と聞き、

イエス・キリスト一行がやってくる。

エスが着いたとき、ラザロは既に亡くなり葬られて4日も

経っていた。

ラザロにはマリアとマルタという二人の姉がおり、

姉たちに「もっと早く来てくれたら弟は死ななかった」

と泣いて嘆かれたイエスは、

ラザロの墓の前に立ち、「ラザロよ、出てきなさい」と

大声で言った。

すると死んだはずのラザロが布に巻かれて出てきた。

ラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じた。

  (ウイキペディアより)

 実際の絵はもっと大きくて、表紙には一部分が使われている。

下の男性がラザロ。上の頭に布を巻いた女性が二人の姉のどちらかだと

思われる。(イエスはもっと左の方に描かれている)

復活したラザロは南仏マルセイユ(一説にはキプロス)で最初の司教となり、

布教活動をしたと伝えられる。

 

うーん、なるほど。「召命」やな。

どうしても宗教的なものを連想してしまう。

「幸せになりたい」、「不幸はもうたくさんだ」という俗な思い

であっても、それが強すぎるとこういうことになってしまうのかな。

フィクションだからこそ読めた内容だったと思う。