もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

しばらくお休み

GWは天気が不安定で、昨日今日は風が強く交通も乱れたところがあったようです。明日からは晴れそうですね🌞 沖縄や奄美地方が梅雨入りしたそうですから、着々とあの暑い季節が近づいています・・・

 

さて、ブログ更新をしばらく休むことにしました。

実家の父親が先月末病気入院し、頻繁に家と実家と病院を行き来しないといけなくなりました。ちょっと認知症気味の母親ひとりの生活も心配だし、悪いことは重なるもので、実家の水道管が破裂し、工事しないといけなくなりました。

弟と分担して対応していこうと思っています。

私自身は気が張っているのか元気なので、更新がなくても心配しないでくだいね💖

 

みなさまのブログにしばらく訪問できないのが残念ですが、しばしお時間くださいね。

では、また✋

 

ヨドコウ迎賓館へ ①

「エジプト展」に行った翌日(4/22)、芦屋にある「ヨドコウ迎賓館」へ旦那はんが行くと言うので、一緒に行くことにしました。

阪神芦屋から歩く予定だったようですが、私も一緒なので往路は阪急芦屋川から歩くことにしました。

*阪神芦屋と阪急芦屋川は両駅とも芦屋川の上にホームがありますが、JR芦屋は芦屋川より少し東にあります。

 

阪急芦屋川駅の北側。

ちょっとかわいい広場になっていて、公衆トイレもあるので便利です。

ここから芦屋川沿いに北へ。上り坂~~~

 

開森橋を渡ります。  ↓

 

渡った先からの急な坂は、「ライト坂」と名づけられています。このライトさんについては、後段で説明します(^^)/

 

うんうんと唸りながら坂を登ると、「ヨドコウ迎賓館」に着きました。

特徴的な装飾が施された石(大谷石(おおやいし))がまず目に入ります👀

 

ヨドコウ迎賓館は、もともと灘の酒造家8代目山邑太左衛門さんの依頼で作られた山邑家の別邸です🍶 (なのでまたの名を「旧山邑家住宅」といいます)

そしてその邸宅の設計をしたのが、フランク・ロイド・ライトというアメリカ人で、東京の帝国ホテルの設計者として有名です。

私は建築物には疎くて、あまりよく知りませんでした。だから、パンフレットの受け売り💦です。

ライトさんが設計したのが1918年、竣工が1924年。淀川製鋼所(現ヨドコウ)の所有となったのが、1947年。社長邸や独身寮として使われた後、1989年に「ヨドコウ迎賓館」として一般公開されるようになりました。

以来、阪神淡路大震災の被害による修理や、何度かの修復工事を経て今に至っています。

 

国の重要文化財に指定されています。

邸内の写真を(数だけはたくさん撮ったので💦)次回紹介します(^^)/

 

*そうそう、邸内のトイレは見学するだけで使用できないため、門から玄関までにある外のトイレに先に行っておくことをおすすめします。

 

「ハレー彗星の館の殺人」を読みました

若葉が映える季節になりました🌳 まだ暑くならんといてほしいです。心地よい時季をもっと長く味わいたいから・・・

 

ハレー彗星の館の殺人 老令嬢探偵の事件簿 (角川文庫)

「ハレー彗星の館の殺人」(ロス・モンゴメリ 著/村山美雪 訳)を読みました。

 

いや~、おもしろかった! 読みやすいし、海外ミステリーなのに登場人物が少ない(笑)カタカナ名前を覚えられないっ💦という人にも、おすすめです。

 

1910年の英国。少年院帰りのスティーヴンは謎の手紙に導かれ、孤島の館で従僕として仕えることに。その日は奇しくもハレー彗星が地球に到達する日で「毒ガスが広まり、世界が終わる」とパニックが起きていた。主の子爵は館中の窓や扉を板で密閉させ、スティーヴンに嫌われ者の老令嬢デシマの世話を任せる。その夜、事件が起きる。子爵が書斎で殺されたのだ。犯人は誰?

(「ハレー彗星の館の殺人」作品紹介より)

 

79歳の老令嬢と少年院帰りの召使いが挑む。

フーダニット✖孤島✖密室✖貴族の館=どんでん返しの連続殺人⁉

なんて、文庫の帯に書かれているが、大袈裟ではない。

1910年5月18日。この日の夜、ハレー彗星が地球に大接近すると騒がれたのはホントの話。今でいうフェイクニュースやデマがさんざん流れたそうだ。ワールズ・エンドという架空の孤島にある、タイズ館というお城のような館が舞台。ドールハウスのような館の図が載ってて、それも楽しい。

うまいこと設定したなと感心する。

 

老令嬢デシマの毒舌は痛快でクセになる。これには訳者さんも苦労したんじゃないかな。

初めはその毒舌にくらくら眩暈を起こしていたスティーヴンも、物語が進むにつれ、頼もしく変わっていく。

この二人の関わりが一番心に残った。

 

謎解きはなかなかうまくいかない。でも、そのぶん容疑者たちをじっくり描いていて、こちらもじっくり事件を検討できる。スローな展開に慣れた頃、急にスピードがあがり一気にラストへ。うまいなあ~

 

解説によると、この物語、続編の予定があるそうだ。デシマ&スティーヴンのコンビは続くというわけ。

デシマは79歳。私ももうちょっとがんばろうと勇気をもらった。

 

「特別展 古代エジプト」へ ②

4/21(火)に行った「特別展 古代エジプト」@あべのハルカス美術館の記事の続きです。

 

 

 

   ↓ 記念撮影コーナー

 

古代エジプトに関する展覧会は3回ほど行きました。何度行っても心ときめきます✨

実際のエジプトに行きたかったけれど、もう無理。でもいいや。私のエジプトは私の中に。

 

お昼は、観覧前にたまごサンドとコーヒーの軽食で済ませました。

アカン! 影が映ってしまった・・・

補正したけどこれが限界です💦

 

「特別展 古代エジプト」へ ①

通院が早く終わったので、あべのハルカス美術館へ「特別展 古代エジプト」を見に行きました。

 

混んでいて入場制限をしていました。ちょっと待ったけど、おかげで場内はまだ余裕があり、じっくりと見ることができました。

カバンに付けているマスコットなどは、作品を傷つける恐れがあるため、ロッカーに預けるかカバンにしまうように言われ、いろいろくっ付けている私はスマホ以外を全部ロッカーに預けました。

これは結果的に失敗でした・・・ 観覧を終え、ミュージアムショップで買い物をしようと思うと財布がない! いつもこのショップは外からも入ることができるので、ロッカーに荷物を取りに行き、それからまた買いに行こうと思ったのですが。外からの入り口が今回は閉じられてて、買い物ができませんでした(T_T)

そのショックのせいではないけれど、作品リストをどこかに置き忘れてきてしまいました。がびーん💦

 

作品リストがないので、撮影できた写真のみの紹介になります<(_ _)>

 

次回は、エジプト人の死生観がうかがえる棺などを紹介します(^^)/

 

「寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁」を読みました

改訂完全版 寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁 吉敷竹史シリーズ (光文社文庫)

「寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁」(島田荘司 著)を読みました。

前作「奇想、天を動かす」に続き、<吉敷竹史シリーズ>改訂完全版の第2弾です。

今作はシリーズ第1作、吉敷刑事の初登場作品。

マンションの浴室で、顔の皮を剝がされた女性の遺体が発見される。だが割り出された死亡推定時刻、被害者は寝台特急「はやぶさ」に乗車中だったー。時間の壁と“完全犯罪”に、警視庁捜査一課の吉敷竹史が挑む!

(「寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁」作品紹介より)

 

いろんな面で懐かしさを感じる作品だった。

まずは寝台特急。作品の初刊は1984年。まだ多くの寝台特急が走っていた。「はやぶさ」は東京ー西鹿児島(現:鹿児島中央)間を結んでいた。

私は1987年の夏、友人と北海道旅行をした際、寝台特急に乗った。当時上野発青森行きの「あけぼの」。22時発で、青森到着は翌日10時30分。12時20分発の青函連絡船「大雪丸」に乗り、函館着は16時10分。列車だと、このように丸一日かかる移動だった。確か青函連絡船がそろそろなくなると聞き、行きは船で行くことにしたのだと記憶する。その後、寝台特急に乗る機会はなかった。もうこんな旅はしたくてもできない。

トラベルミステリーが流行り、寝台特急はよくその舞台となった。私はよく覚えていないが、この作品もドラマ化されたかもしれない。

 

それから、「奇想~」の作品でも思ったが、刑事が捜査で連絡をとる手段が電話だということ。固定電話か公衆電話だ。たいていは、派出所(交番)か警察署で電話を借りている。そして、電話できたとしても、相手がいないことが多い。そのときは伝言を頼んでいる。何時に再度電話するから待っててほしいとか、何時には旅館にいるから電話をほしいとか、そんなふうに。ずいぶんまどろっこしいが、そんなもんだったのだ。こういう伝言は今ほぼない。携帯電話でいつでもどこでも連絡がとれる。電話以外の連絡方法もある。

実際、相手の声を聞いて安心したり、連絡がつかなくてやきもきしたり、そういう思いも貴重だったなと思ったりする。

 

顔のない被害者という設定や、死んでいるはずの被害者が列車に乗っていた?というトリックは、今聞くとそう目新しいものではないだろう。私もそう思って読んでいたが、おっとどっこい? 侮るなかれ。 この謎が初期に分かった人はすごいと思う。

 

吉敷刑事が被害者 九条麗子の過去を追って、麗子の故郷、越後 今川へ行くくだりが好きだ。

村上で各駅停車に乗り換え、十分も走ると、左手の窓に陰鬱な日本海がさっとひらけた。鉛色の水が寒々と広がり、沖の彼方は、霧とも雲ともつかぬ白い靄の内に消えて、水平線は見えなかった。

新潟に着いてからずっと降り続いていた霧雨が、この時雪に変わった。この陰気な海の向こうに横たわるはずの大陸から吹きつける強い風にあおられ、雪片は吉敷のすぐ鼻先の窓ガラスにぶつかった。

ハンカチを出し、吉敷は窓の曇りを拭った。扇形に覗き窓ができた。吉敷は、その扇形にさらに顔を近づけた。広々とした鉛色の海の上で、遥か視界の及ぶ限り、雪のかけらが激しく舞っていた。

(「寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁」より)

 

ええわ~ ”扇形の覗き窓”がいい。わざわざハンカチで拭うのよね~、吉敷さん。

このような地方の風景、残っているところもあるだろうが、そもそもそこを列車が今も走っているところは少ないだろう。

昔を懐かしむばかりで、すっかり年寄りになった気分だ。こんな風景を、こんな時代を小説として残してくれたことに感謝して・・・

 

ちなみに、タイトルの「1/60秒」は、シャッタースピード。「はやぶさ」車内で撮られた被害者の写真からきている。

 

近鉄奈良線沿線の探訪①

一昨日(4/15)はカルチャー教室の日でした。

新しく入ってきたかたが3名いて、とても熱心‼️ 1年前を思い出します。

初心忘るべからずで、私も気合いを入れてがんばろー💪

「関西歴史地理紀行」の第3弾、これからの半年は近鉄奈良線沿線です。

 

私の子どもの頃にはすでに難波まで通っていましたが、開業当時の始発駅は上本町でした。その上本町から終着奈良まで全6回の講座です。

初回は、上本町・鶴橋・今里近辺。

上本町は、私にとっては大きなターミナル駅です。大学にはこの駅が乗換駅でしたし、結婚式はこの駅近くのホテルであげました。今もその懐かしさが残る昭和な町並みです。

上町台地という高台にあり、まあ歩いて移動する機会はそうないですが、ここから東西どちらに歩いても急な下り坂で、高台を感じることができます。

 

鶴橋はたとえ熟睡していても目が覚める駅です(笑)電車のドアが開くと焼き肉のにおいが漂ってくるからです。鶴橋駅の周辺にも焼肉や韓国料理店が多いですが、鶴橋から南東の方に、本格的なコリアタウンがあります。年間来訪者が200万人というのですからすごいです。

鶴橋という名は、鶴の橋(つるのはし)という橋の名から来ています。旧平野川に架かっていた橋で、新平野川が開削されてからは、旧平野川は埋められ橋もなくなりました。史跡として碑が残っているそうなので、訪れてみたいと思いました。

 

今里は、南に元遊郭だった今里新地があり、今はベトナム料理店が増え、エスニックタウンになってきたとのこと。

この3駅界隈は、古い歴史や文化の残る味わい深いところだと言えそうです。

 

終了後は、いつものように社食でランチ。

初めてのつけ麺。小鉢を追加しました。

あまり辛くなく、和風だしが利いてておいしかったです。

この日は昼から大雨で、折り畳み傘はあまり役に立たず、リュックや靴がびしょ濡れになってしまいました。

 

これから半年も歴史地理の勉強、がんばりまっす✋