もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

犬のフレーム

小正月も過ぎ、ようやく日常に戻ってきました。

今朝はいつもより寒さがましだと思ったのに、

だんだん風が出てきてまた寒くなってきました💦

20日大寒。⛄

受験生でなくても体調にはじゅうぶん気をつけなくては。

 

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  (斉藤謠子パッチワークキットより)

 

今年は寅年なのに、なぜか犬のフレーム(^^ゞ

ピーシング*1で犬と背景を作っています。

フレームもセットに入っていたので、さっそく飾りました。

犬種はテリアっぽいですね。

 

少しずつパッチワークや刺しゅうも始めていきます。

まだ外へ出かけるのはためらわれるので。

 

*1:カットした布(ピース)をぐし縫いして縫い合わせる

こと

「だれも死なない日」を読みました

今日から大学受験の共通テストが始まりました。🏫

コロナに寒波にと、受験生には心配なことが多いのに、

怖い事件も起きました。

親御さんも心配でしょうね。

明日は何事もなく力が発揮できますように。

 

だれも死なない日

「だれも死なない日」(ジョゼ・サラマーゴ 著/雨沢泰 訳)

を読みました。

2021年10月16日(土)の毎日新聞書評欄「今週の本棚」で

紹介されていた本。

書評を書かれていたのは社会学者の橋爪大三郎氏です。

 

ある年の元日零時から、突然誰も死ななくなった。

交通事故でも病気でも災害でも、たとえ瀕死の状態であっても

死なない。

どうなると思いますか?

これはもちろん架空の物語。

橋爪氏は“大胆な設定の寓話小説”と言っているが、

ブラックなディストピア小説かしらと思って読み始めた。

死は人間にとって恐れるもの、避けたいものだ。

年をとっても、病気になっても死なないなら怖いものはない。

バラ色の日々になるんじゃないか。

本当に?

 

生命保険の解約が相次ぎ、保険会社は困る。

死がないなら復活もない。教会も困った。

誰も死なないので葬儀屋はつぶれた。

病院は死なない人であふれ、病床がひっ迫。

なんと、死なないので安心して自宅で療養してくださいと

言われて自宅に返される。

どうですか。なんと皮肉なことでしょう。

 

たぶん、今のコロナ禍の世界にも影響されて、

橋爪氏もこの本をとり上げたのだろうと思うが、

2005年の作品。日本語訳は昨年9月に出たばかりだ。

作者のジョゼ・サラマーゴポルトガル生まれの作家。

1998年にノーベル文学賞を受賞し、2010年に亡くなっている。

 

物語は次の段階へ。

隣国では今までと変わらず人が死んでいる。

ある家族が夜中に死ねない老人と瀕死の赤ん坊を連れて、

隣国との国境を越え、死んだ二人を埋めて帰ってくる。

家族は国じゅうから非難されるが(今でいう炎上)、

まもなく同じことを考える家族が続出。

 

永遠に死なない国に生きる人びとはどんな思いで

いるのかー。

永遠に生きる希望と絶対に死ねない恐怖とのはざま

(「だれも死なない日」より)

人びとは地球上でこの国だけがそうなったのだと

知った虚栄心と、

こんな国は他にないのだという深い動揺とに

引き裂かれており、(後略)

(「だれも死なない日」より)

作品の中ではこんなふうに語られている。

 

しかし、死ねない国の運命は再び転換。

“今まで死ななかったのは、私が鎌を振るわなかった

から。これからは死ぬ運命にある人に死の一週間前に

紫色の封筒に入った手紙を届ける”と

死を司る「モルト」が表明し、

紫の手紙を受け取った人はその通り死んでいく。

 

生と死をもてあそばれるような気分は不快だが、

国王や政治家、教会、宗教家、哲学者、テレビ局など

マスコミ、それぞれの反応や発言はいかにもありそうで、

笑ってしまうくらいだ。

 

しかし、終盤は意外な展開で一気に読んでしまった。

モルト」って、「死」って何?

サラマーゴは何を言いたかったのだろう。

 

書評に書かれていた、

“この小説の結末はなかなか感動的である。

それは読んでのお楽しみ、読者に取っておこう。”

という橋爪氏の言葉で、私はこの本を読むことを決めた。

おそらくこの言葉がなければ、読むことのなかった本だと

思う。

 

生きものは生まれた途端、死ぬことが決まっている。

生きることは、死へのカウントダウンなのだ。

カウントがアップすることはない。

けれど、数字の増減ではない何かが人生にはある。

私の読後感だ。

 

ピンクッションを新調

う~~、今日も寒いです🌀

夕食は湯豆腐🍲に決定!

 

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長く使っていた針山が汚れてきたので、新しく作りました。

端切れをピーシングして、キルト綿と合わせてキルティング

裏布と中表で合わせて周りを縫い、中にウール綿を詰めて

できあがり。

待ち針も錆びたり曲がったものを交換。

これで今年の針仕事もはかどるかな?

 

「ローマ人の物語⑬」を読みました その2

また強力な寒波がやってきました。⛄

そしてオミクロンの波も・・・

気がかりではありますが、心配しすぎず

やれることをやって過ごしていきましょう。

 

最後の努力──ローマ人の物語[電子版]XIII

ローマ人の物語⑬ 最後の努力」(塩野七生 著)のレビュー、

その2です。

相変わらず長い記事になってしまい、すみません<(_ _)>

 

コンスタンティヌス帝(A.D.306年~337年)

(表紙下の写真)

ディオクレティアヌス帝が退位した後に しいた四頭政の

メンバーの一人、コンスタンティウス・クロルスの

息子にあたる。

父亡きあと、じわりじわりと他のメンバーを退け、

ついに324年唯一人の正帝となった。

 

コンスタンティヌスがおこなったことで知られるのは、3つ。

ひとつは凱旋門だ。

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(フリー写真素材より)

お隣はコロッセオ

ローマ人が「門」でまとめてしまうアーチ型の建築様式は、

ローマ人の発明であるとともに彼らが最も好んだ様式で、

入り口を入る門だけの意味でもなく、勝利者が通る

凱旋門のみを意味していたのでもない。ローマ人にとっては、

良かれと思った場所ならばどこにも建てたい装飾であったのだ。

(「ローマ人の物語⑬」“第二部 コンスタンティヌスの時代”より)

この凱旋門、実はリメイク作品なのだ。

短期で建設しなければならなかったため、この場所にもともと

建っていたハドリアヌス凱旋門を土台に使った。

土台はハドリアヌス帝時代(A.D.117年~138年)。

最上階に並び立つ正面4体、裏面4体の彫像(正面は見えますか?)

トライアヌス帝時代(A.D.98年~117年)のもの。

トライアヌスのフォールムの広場にあった回廊に立っていた

ダキア人の捕虜の像なのだが(コンスタンティヌスには関係ない)、

取り外してくっつけた。

第二階にある円形の浮彫、正面4面、裏面8面は

ハドリアヌス帝時代(A.D.117年~138年)のもの。

これも当時の「門」から取り外してくっつけた。

ハドリアヌス帝の狩りの様子を描いていて、

コンスタンティヌスと全く関係ない。

最上階にある方形の浮彫、正面4面、裏面4面は

マルクス・アウレリウス帝時代(A.D.161年~180年)のもの。

これもマルクス・アウレリウス帝の治世の様子を表しており、

コンスタンティヌスと無関係。

これではあまりにつぎはぎなので、コンスタンティヌス帝時代の

浮彫も入れてある。

第2階の円形浮彫の下の部分である。(ちょっと見にくいかな)

残念ながら、五賢帝時代の造形物に比べて、コンスタンティヌス

時代の造形物は単純化されていて、塩野氏も「稚拙だ」と

言われている。

そんな時代の変化、ローマ帝国の劣化を感じることができる。

 

コンスタンティヌス帝のおこなったこと、2つめは

コンスタンティヌスの都」という意味の

コンスタンティノポリス(今のインスタンブール)を

新都として建設したことだ。

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(フリー写真素材より)

当時はビザンティウムと呼ばれていたが、コンスタンティヌス

自分のための都としてローマからはるか遠いこの地を

選んだ。

そして、ローマには普通にあった神殿のかわりに、

自分が公認したキリスト教の教会をたくさん建てたのである。

 

最後の3つめは、キリスト教を公認したことだ。

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(無料イラストより)

コンスタンティヌス自身はキリスト教徒ではない。

ローマの神々をそれまでの皇帝同様に信じていた。

なのに、もう一人の正帝リキニウスと共同で

A.D.313年にミラノ勅令を発布する。

「今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと他の宗教で

あろうと変わりなく、各人は自身が良しとする宗教を信じ、

それに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。

それがどの神であろうと、その至高の存在が、帝国に住む

人のすべてを恩恵と慈愛によって和解と融和に導いてくれる

ことを願いつつ」

(「ローマ人の物語⑬」“第二部 コンスタンティヌスの時代”より)

立派な信教の自由を謳った内容だと思うが、これはあくまでも

建て前だったようである。

コンスタンティヌスは皇帝領に教会を建てたり、皇帝財産を

教会へ寄附したり、聖職者には他の公職(軍務も含めて)を免除

したり、キリスト教をとことん振興したのだ。

困窮したローマ人が、信仰よりも利益を求めて入信することも

あったほどだった。

 

新都コンスタンティノポリス元老院も、「元老院」とは

呼ばれはしても、内実はまったくの別物だった。皇帝

コンスタンティヌスの任命した、実権をもたない名誉職

でしかなくなったのだ。

(「ローマ人の物語⑬」“第二部 コンスタンティヌスの時代”より)

ローマ帝国元老院システムも、

 

もはやローマ帝国の安全保障の最高の責任者である

ローマ皇帝は、帝国の国境線で敵の襲来を絶対に阻止する

という、元首政時代の皇帝たちによって確立された安全保障

システムを放棄したということであった。言い換えれば、

国境線は破られても、侵入してきた敵はその後で、皇帝

率いる軍勢によって撃破する、という安全保障の考えである。

(「ローマ人の物語⑬」“第二部 コンスタンティヌスの時代”より)

防衛をどう考えるかは、住民共同体としての国家をどう

考えるかと、結局は同じことになる。なぜなら防衛とは、

個人の努力では限界があるのを国家が代わって責任をもつ

事柄の第一であるからだ。

(「ローマ人の物語⑬」“第二部 コンスタンティヌスの時代”より)

ローマ帝国の軍隊と安全保障システムも、

有名無実化してしまった。

 

誰の言葉か忘れたが、こんなことを言った人がいた。

「ローマ人は三度、世界を支配した。初めは軍団によって。

次いでは法律によって。そして最後はキリスト教によって」

(「ローマ人の物語⑬」“第三部 コンスタンティヌスキリスト教”より)

この言葉は、ドイツの法学者 ルドルフ・フォン・イエーリングの

言葉だそうだ。

調べると、塩野氏と少し順番が違うようだ。

初めは武力(これは同じ)、次はキリスト教、最後がローマ法、

の順番で紹介されていた。

まあ法学者の言葉だから、ローマ法を強調したかったのかも

しれない。

逆に、塩野氏はローマの歴史の順番に従ってのことだろうと

思う。

確かに、以後キリスト教によってローマ帝国は支配されていく。

しかし、そのローマはもはやローマではなくなっていたのだった。

 

第13巻は以下の文章で終わっている。

パクス・ロマーナ」(註:ローマの平和)は、再び

もどってはこなかったのである。ゆえに、「これほどまでにして、

ローマ帝国は生き延びねばならなかったのか」とは、

ローマの誕生から死までの歴史を学び知る人の多くの胸中に、

自然にわきあがってくる問いでもあるのである。

しかも、その後に訪れる中世が、どのような時代になったかを

しればなおのこと。

(「ローマ人の物語⑬」“第三部 コンスタンティヌスキリスト教”より)

私も塩野氏と同じ思いだ。

でもここまで来たのだから最後まで見届けようと思う。

キリスト教はこのあとローマの国教になり、ヨーロッパは

キリスト教世界になっていくのだ。

 

次は第14巻。残り2冊となりました。

「ローマ人の物語⑬」を読みました その1

もう節分のお豆が売られていたり、恵方巻の予約のチラシを

見かけます。

なかなかコロナの鬼は退散してくれませんね~

 

最後の努力──ローマ人の物語[電子版]XIII

ローマ人の物語⑬ 最後の努力」(塩野七生 著)を読みました。

 

全15巻の第13巻まで きました。

以前も引用しましたが、再び私と息子の世界史の教科書から

引用したいと思います。

私のほうはすごくあっさり。 ↓

3世紀末にディオクレティアヌス帝が天下を平定して

から共和政の形式はほとんど失われたので、

これ以後を専制君主時代という。

(「詳説 世界史」(山川出版社・昭和54年発行)より)

息子のほうはもちょっと詳しい。 ↓

「3世紀の危機」にみまわれた地中海世界

安定をもたらしたのは、284年に即位した

ディオクレティアヌス帝であった。

(「世界史B」(東京書籍・平成21年発行)より)

 

ディオクレティアヌス帝(A.D.284年~305年)

(表紙の上の写真)

前巻(第12巻・迷走する帝国)で、何度も皇帝が入れ替わり、

不安定極まりない状態だったローマを、

落ち着かせるためには、強い権力が必要だと

ディオクレティアヌスは思ったよう。

ディオクレティアヌスが混乱を平定できた理由はいくつか

あるようだ。

自分の担当分野に他者が干渉するのを嫌う人が少なくないが、

このタイプではなかったのである。「他者に任せる」が、

皇帝ディオクレティアヌスにとっての基本戦術になっていく。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

自らの限界を見極める能力はあり、またそれに基づいて

方針を立てる能力はあっても、それを時を無駄に

することなく実行に移すには、いさぎよさ、としてもよい

姿勢が求められる。ディオクレティアヌスは、未練をもつ

ことの少ない男でもあった。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

そういうタイプのリーダーだったのですね。

そのディオクレティアヌス帝が行ったのは、まず二頭政である。

ローマ帝国を東方と西方に分け、自分は東方を担当し、

友人のマクシミアヌスに西方を担当させた。

そして、9年後それぞれ副帝を任命し、

東方正帝ディオクレティアヌス、東方副帝ガレリウス、

西方正帝マクシミアヌス、西方副帝コンスタンティウス・クロルス

の四頭政の体制をしいた。

ローマ帝国は四分割統治されるようになったというわけだ。

 

あれほど苦しめられた異民族の侵入が一時的にせよ、

おさまり、この四頭政の20年間ローマは安全と平和が

保たれたのであった。

平和は、人間世界にとっては最上の価値なのである。

ただし、何もしないでいれば、それはたちまち手から

こぼれ落ちてしまうのだった。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

 

ああやれやれと少し一息つけた気がする。

しかし、何事にもプラス面があると同時にマイナス面も

ある。

あくまでもローマの皇帝はディオクレティアヌスで、

四分割統治は政治上の分担だったのだが。

それは、競争関係にあることから生れる、

各皇帝の縄張り意識にあった。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

ディオクレティアヌスは、専従にすることで責任感を

もたせ任務も充分に果させようと考えて、ローマ帝国

後期を特色づけるこの制度をつくったのであろう。

しかし人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ

責任をもたせられることによって、他の分野からの

干渉を嫌うようになるものなのである。

そして、干渉を嫌う態度とは、自分も他者に干渉しない

やり方につながる。自分も干渉しない以上は他者からの

干渉も排除する、というわけだ。この考え方が、

自らの属す組織の肥大化につながっていくのも当然であった。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

それぞれの分担地域で、公務員、官僚が増え、軍隊の兵士が

増え、その経費を賄うため税金が上がった。

 

こうしてローマ帝国は、「元首政」から「絶対君主政」への

第一歩を踏み出す。皇帝像も、「市民の中の第一人者」から

「市民とはかけ離れたところにあって支配する者」に

変わったのである。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

これでは、せっかく平和が戻ってきても不自由で窮屈な世の中に

なってしまったのではないだろうか。

 

そして、ディオクレティアヌス帝の治世で一番知られて

いるのが、キリスト教徒への弾圧と迫害である。

ディオクレティアヌスは、ギリシア・ローマ的な

神でも絶対権威になりうると考えていたようである。

それを邪魔している障害さえとり除くことに成功すれば

なりうる、と。障害とは、ローマの神々を認めない

キリスト教徒になるのは当然であった。

(「ローマ人の物語⑬」“第一部 ディオクレティアヌスの時代”より)

どんな弾圧であったのか、具体的には世界史の資料集にも

載っていないので、以下に簡単にまとめておく。

 

  1. キリスト教の教会は破壊する。
  2. キリスト教徒たちの集まりを禁止する。
  3. 聖書などの書物、十字架、キリスト像は没収。
  4. キリスト教徒の上層の者に対するすべての特典をはく奪。
  5. 法廷での弁護を受ける権利、ローマ法による保護のすべての権利を失う。
  6. 信徒の寄進による資産は没収。
  7. キリスト教徒は公職から追放される。

これにより、棄教した者も多かったという。

 

これほど強い施策を続けてきたディオクレティアヌス帝なのに、

あっさり退位をしてしまったのは意外だ。

退位後の四頭政(第二次)メンバーを決めてからの退位だったが、

残念なことにその後はディオクレティアヌスの思う通りには

いかなかった。

 

続きは次回に。

コンスタンティヌス帝の時代へ移ります。

 

健康診断

比較的暖かい三連休になりました🌞

今日は成人の日。新成人のみなさま、成人おめでとうございます。

コロナ禍で大変なことが多いですが、良いことを大切に

抱きしめて生きていってほしいと思います。

みなさまの未来に幸多からんことを祈っています☆彡

 

8日の土曜日は健康診断でした。

一昨年(2020年)はコロナが心配で健康診断をパスしたため、

2年半くらい前回とあいてしまいました。

健康保険組合が行っている巡回型健診で、会場を借りて

行われます。

項目は、身長・体重、視力、腹囲、血圧、血液検査、心電図、

尿検査、胸部エックス線で、最後に医師の診察があります。

オプションで胃のバリウムなど追加できるのですが、

私は乳がんマンモグラフィーを追加で入れました。

オプションは有料。

胸部レントゲンと胃のバリウム乳がん、子宮がんはそれぞれ

バスのような健診車で受けます。ときどき揺れてスリルがあります(笑)

1時間半くらいで終わりました。

体重と腹囲は前回より減っていました(^^)v

 

健康診断の日は朝食抜きなので、昼ごはんが楽しみです。

この日は「鎌倉パスタ」に行くぞと決めていたのに、

行ってみたら何と一帯が再開発中でお店がありませんでした。

ショックΣ( ̄ロ ̄lll)

とぼとぼと歩き、駅前のやよい軒に入りました。

やよい軒は昔よく行ったお店ですが、コロナ禍になってからは

初めてです。

和風おろしハンバーグ定食にしました。

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(無料イラストより おろしソースのがなかった💦)

 

やよい軒といえば、ごはんのおかわりはどうなっているのか

と思っていました。

以前は(コロナ前は)保温ジャーに入ったごはんをセルフで

おかわりする形でしたが・・・

私はおかわりしないのですが、どうなっているのか

興味があり、おかわりコーナーの近くに座りました。

そこには、保温ジャーの代わりに「おかわりロボット」が

置いてありました!

お茶碗を置いてボタンを押すと、ごはんが落ちてくる。

ひゃあ~、びっくり\(◎o◎)/

 

あと各テーブルに置いてある、あのお漬物。

あれが好きで、いつもごはんに載せて食べていたのですが、

お漬物をつまむミニトング、あれがつまみにくい!

ちまちまつまんで、ああ~イライラする・・・

あのミニトングは変わらずありました。

イライラしながらもちょっとうれしかったです💛

 

せっかくがんばって減量しましたが、効果は一日だけ。

見事に翌日には元に戻っていました。

これも健康な証拠か?!

 

フクロウのブローチ

おとといは一日かけてふくろうのブローチを作りました。

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(ハウスオブベスのキット)

 

型紙を作って、布を切って、縫ってつなげてまつって、

ビーズを付けて、裏を張ったらできあがり。

久しぶりに布を触って楽しかったです。(^^)/