もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「夜の記憶」を読みました

冬将軍がやってきました。⛄ 今季、本格的な大雪になりそうです。

雪じゃないところも寒さが厳しいです。油断しないで過ごしましょう。

 

夜の記憶 (文春文庫)

「夜の記憶」(トマス・H・クック 著/村松潔 訳)を読みました。

クックの“記憶5部作”、4作目ですが、今作は今までと印象が異なります。

まず、今までの3作は“わたし”が語り手の一人称で描かれていましたが、今作は三人称で描かれていました。

“わたし”が語り手だと、読み手が“わたし”に同化しやすく、主人公の“記憶”が生々しく読み手に迫る。それが三人称だと、読み手との間に距離が生まれ、客観的に主人公を見つめることになる。この違いは結構大きかった。

また、今作の主人公は作家で、彼の書いた作品が作中に挟み込まれている。初めはとまどい、混乱するが、主人公の一種の心象風景と思えば、だんだんその世界に入り込めるようになった。

 

主人公はポール・グレーヴズ。殺人鬼を追う刑事の物語を書いている作家である。ニューヨークのアパートに住む彼には、少年の頃、事故で両親を亡くし、その直後、姉を目の前で惨殺された過去があった。生きてはいるが、心は既に死んでおり、いつでも命を絶てるように、ロープを準備して過ごしていた。

そんなポールに、ある日、50年以上前の少女殺害事件の謎解きの依頼が来る・・・

 

メインの事件は、この50年前(1946年8月)の事件で、シンプルな館ミステリー仕立てになっている。しかし、話が進むにつれ、ポールは自身の過去と向き合うことになるのだ。

印象に残った場面。

「ときどき、みんな殺してしまいたくなるんです」と彼は思わず口走った。「ケスラーも。サイクスも。スロヴァックでさえも。だれも彼も。なにもかも。この世界全体を」

それに対する彼女の答えはグレーヴズを呆然とさせた。どうしようもないほど真実を穿っていたからである。「それは寂しさなのよ、ポール。人をそんなふうに感じさせるのは寂しさだけだわ」

(「夜の記憶」より)

ポールに言葉を投げかける女性は、共に事件の謎を解くことになる脚本家のエレナーだ。この女性はとても魅力的なキャラだった。

 

“5部作”最後の作品は「沼の記憶」。これでクック作品は一区切りにするつもりです。