「死の記憶」(トマス・H・クック 著/佐藤和彦 訳)を読みました。
先日読んだ「緋色の記憶」に続く“記憶5部作”のひとつです。
ちょっと表紙が怖い・・・内容的には合っているんだけど・・・
主人公のスティーヴは、9歳のとき、父親が母、姉、兄の3人を銃殺し失踪、行方不明のままという過去をもっている。当時友だちのところにいた彼は、父親の標的を免れたとみられた。
伯父に育てられた彼は、設計士となり、現在は妻と息子がいる。妻も同僚も彼の過去を知っているが、彼自身は過去を思い出すこともなく日々を過ごせるようになっていた。
そんなとき、“家族皆殺し”の事件を調べているレベッカという作家がスティーヴを訪ねてきたことから、彼の歯車は狂いだす・・・
父はなぜ家族全員を殺したのか。自分(スティーヴ)もその場にいたら、殺されていたのか。なぜ逃げたのか。今はどこにいるのか。そもそも生きているのか。
忘れてしまいたい過去が現在の自分を追いかけてくる。その描き方が怖いほどだ。
知らなければよかった真実というものはあるのだろうか。
訳者あとがきに、クックの描く犯罪についてこう書かれている。
クックの描く犯罪はほとんどが人間の心の深い闇から生まれるものである。それもとくに自己実現の不充足感とでもいおうか、可能性を封じられた人生への不満、変化のない日常生活に耐えられなくなった心の渇きー「私が望んでいるのはこんなものではない」ー震えるような精神の躍動を希求する思いが、一歩道を逸脱したときに起こるものとして捉えられる。
(「死の記憶」“訳者あとがき”より)
ある程度の年齢になれば、そんな思いもわからないではない。でもその苛立ちを家族を含めた他人に向けるのはやはりおかしいだろう。
それから、人間の記憶というのは、自分に都合のいいように、傷つかないようにバイヤスがかかっているものだと思った。
特につらい記憶は、そうでないと生きていけない、一種の防御反応なのかもしれない。
銃殺事件の真実は、最後の最後で明らかになる。スティーヴはこのあとどうするのだろう。
“記憶五部作”、次は「夏草の記憶」です。