今日は暖かいですね~上着がいらないくらい。
たぶん太平洋側と日本海側、北日本と西日本などで全然違うお天気なのかも。
地域のクリーンキャンペーン(大掃除)の日ですが、まだコロナワクチンの副反応で腕が痛いためお休みしました。
でも、副反応としては今回だいぶ軽いほうで、発熱も37.5度くらいで一度解熱剤を飲んだだけで下がったし、脇の下の肉まん(リンパ腺の腫れ)もわりと小さめ。
接種の翌日は寝たり起きたりでしたが、その翌日からは家事ができるようになりました。ほっとしています。
新しいパソコン、ブログの記事は無事アップができ、これはほっとしましたが、移行したデータ(文書や画像など)は新しいパソコンで見るとほとんど開けず、どうも破損されているようで。移行をやり直しました。
「夏草の記憶」(トマス・H・クック 著/芹澤恵 訳)を読みました。
クックの“記憶シリーズ”3作目です。
前2作はこちら ↓
夏草には青春のイメージがある。初夏の青葉、空も海も青くすがすがしい。希望にあふれている。そんなイメージのタイトルなのに、クックの描く“記憶”の物語は、辛く苦しい闇の世界だった。
もっとも、クックの付けた原題は“Breakheart Hill”で、アメリカ アラバマ州チョクトーの町にある“心臓破りの丘”と呼ばれる、物語の舞台の名が付けられている。
主人公は町の医師ベンで、高校の男子生徒だった頃の記憶を辿るストーリーだ。
ベンは内気で人づきあいの苦手なタイプで、友達も少ない少年。しかし、こつこつ努力を重ねる生真面目な性格で、将来は医師を目指していた。そんなベンの前に、ケリーという美少女転校生が現れる。学校新聞を編集するベンは、自作の詩を投稿してきたケリーと親しくなり、次第に惹かれるようになる・・・
全く闇の記憶だと思えないが、このあとケリーの身に何か不幸なことが起きて、ベンはもちろん、周りの友人たちや教師、親など関わりのあった人たちに辛い記憶となったことが、早々に明らかになるので、この明暗が際立ち、せっかくの明るい青春の物語が闇のヴェールに包まれる感じだ。
この“何か不幸なこと”は最後まではっきり書かれず、読者が予想するしかないのだが、このへんのやり方(構成や描写)がクックは抜群にうまい。
不幸なことが起こった責任の一端を感じて、ずっと罪の意識を抱いていたベンだったが、30年経ち、ベンさえも知らなかった事件の真相が明らかになる。それは物語が終わるたった数ページ前のことだ。
読み終わり本を閉じても、明らかになった真相を消化するためもあり、しばらく余韻に浸り、じんわりと味わう。そんな読書体験になる作品だった。
作品の特徴のひとつが、1962~63年という時代背景だ。
このころアメリカでは公民権運動が盛んだった。南北戦争後、黒人奴隷解放は法律としては成立したが、差別は残り、人権も保障されていなかった。キング牧師が行った「I have a dream」という演説は有名だ。
黒人が求めた公民権法が成立したのが1964年なので、まさに運動の真っただ中にあったといえる。
最後に印象に残った場面を引用しておく。
私は、自分には手の届かない人生を想って泣き、自分には縁のない愛を想って泣き、常に激しく、純粋なものに導かれるままに成長し、年齢(とし)を重ねていく悦びが失われたことを想って泣いた。自分を哀れんで泣き、自分のどうにもならない至らなさを哀れんで泣き、官能の枯渇した不毛の地に閉じこめられ、そこからいつまでも脱出できないでいる自分を哀れんで泣いた。さらに、小柄で肉体的魅力に乏しいことを理由に泣き、眼鏡をかけていることを理由に泣き、これでは男としていつまでも脱皮できない気がすることを理由に泣いた。自分が不憫で滑稽に思えたので、また泣いた。
(「夏草の記憶」より)
少年のベンが誰もいない家の自室で泣くシーンだが、これぞ思春期という理由をこれだけ挙げてあることに驚き、我知らずほろっときたシーンでもあった。
個人的には「緋色の記憶」と同じくらい心に沁みた作品だった。
次は「夜の記憶」。主人公は作家らしい。期待しよう。