もりっちゃんのゆるブログ

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「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻下」を読みました

雨が続きますね🌂 でもその合間を縫ってハイキングに参加してきました。

(今日は、大阪メトロ今里筋線井高野駅~阪急京都線上新庄駅までのコース)

ソメイヨシノはほぼ満開。ほかにもいろんな花が目を楽しませてくれました。

後日記事をアップします。

まだ先週のハイキングの記事がアップできていません・・・がんばらねば💪

 

完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下

「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻下」(ジャン=アンリ・ファーブル 著/奥本大三郎 訳)を読みました。

 

今巻は、前巻の続きー糞虫の仲間センチコガネの生態から始まり、新しい昆虫ーセミとカマキリを取り上げている。

センチコガネがオスとメスが協力して巣作りをするのを、ファーブルさんは「昆虫の世界では珍しい」と言う。

動物の系統を登っていって人類の世界に思いを馳せている。

あとに残るのは人類だけだが、この万物の霊長の最も高度な資格のなかには、いつまで経っても終わらない子供の世話という大変な重荷が含まれている。もっとも、恥ずべきことに、なかにはこれをさぼってカエル以下に堕しているものもある。

(「完訳ファーブル昆虫記 第5巻下」“11 センチコガネの巣作り”より)

耳が痛いよ・・・

 

 (無料イラストより)

セミが長い間土の中で暮らし、ようやく土から出て羽化し、その夏にぎやかに鳴いたあと一生を終えることは知っていた。

でも、セミがどこに卵を産み、どうやって土の中で大きくなるのか全く知らなかった。

雌ゼミは、枯れ枝に産卵管で穴をあけ卵を産みつける。その痕は一列に並ぶ。

卵の数は日本のセミで、アブラゼミ300個、ミンミンゼミ500個ほど。

秋になると卵は孵化し、前幼虫という状態になる。幼虫の前の状態という意味で、目だけはわかるが他は薄い膜に包まれ小魚のような形をしている。その状態で枝の中から出口まで移動、そこで薄皮を脱ぐ。普通の幼虫の姿になり、地上に落ちる。そのまま地中に潜って約4年間木の根から樹液を吸って成長する。

ひゃあ~。びっくり。

ファーブルさんの観察は細かく、その執念にはいつも脱帽だ。

 

ファーブルさんは、セミの幼虫が美味だとアリストテレスが書いているので、家族で集めて食べてみたそうだ。オリーブ油で炒め、塩と玉ねぎを少し加えたとのこと。

その感想がこちら。

セミの幼虫にはかすかに小エビのような風味があり、イナゴの串焼きにも、これをもっと強くしたような味がある。しかしこれはごわごわしておそろしく硬く、汁気がなくて、まるで羊皮紙を嚙んでいるようである。アリストテレスの称賛しているこの料理を、私は他人にすすめようとは思わない。

(「完訳ファーブル昆虫記 第5巻下」“15 セミの羽化”より)

傑作!

 

ファーブルさんは暑い夏ににぎやかに鳴くセミに閉口していたが、セミの一生を知りセミを絶賛している。

そんな泥だらけの土掘りが突然、エレガントな衣装に身をこらし、鳥の翼にも負けない翅を与えられて、暑さに酔い、この世の至高の喜びである日光を浴びているのだ。これほどはかない幸福うぃ祝うには、セミのシンバルも決してやかましすぎることはないであろう。

(「完訳ファーブル昆虫記 第5巻下」“17 セミの産卵”より)

 

 (無料イラストより)

 

カマキリは子どもの頃身近な虫だった。捕まえて「いてて!」となったこともあるが、かっこいいなと思っていた。

頭部がぐるぐる回るので、人間っぽいなと思った。

カマキリの卵(正確には卵の入った卵嚢)を持って帰って、庭で卵の孵化を観察したこともある。もう驚き。うじゃうじゃと小さいカマキリが出てきて・・・

それはちょっと怖いくらい。

私は卵から幼虫が出てきたと思っていたが、正確にはセミと同じようにまず小魚のような前幼虫の状態で出てきて、直前に皮を脱いで小さい幼虫となるそうだ。

 

セミとカマキリは、蛹の状態を経ない不完全変態の昆虫。

セミ半翅目カメムシと同じ仲間。カマキリはカマキリ目として単独で、一番近い虫はなんとゴキブリ!(ゴキブリはゴキブリ目)

「顔がよく似ている」と訳者が言っているが、まじかー

 

カマキリは肉食(生きた昆虫を食べる)で、共食いをすることも知られている。

食物連鎖という言葉を昔習ったが、緑色植物が動物に食べられることから始まり、その動物がさらにほかの動物に食べられていくことで関係づけられる、生物間の鎖のようなつながりのことだ。

それぞれの段階は栄養段階と呼ばれ、一般に栄養段階が上位になるほど生物の数は少なくなる。

カマキリは幼虫のときはショウジョウバエのような小さい虫を食べ、成虫になったらバッタなど大きな虫を食べる。幼虫のときと成虫のときとで栄養段階が変わる生物の一つだ。

食物連鎖について、訳者の奥本さんが詳しい訳注を書いてくれているので長くなるが引用しておく。

食物を通じた生物の関係は、実際には、特定の生物だけ食べられ、また特定の生物だけ食べるというような単純なものではなく、複数の生物を食べ、複数の生物に食べられている。その結果、生物同士の関係は、鎖のような直線状ではなく、網の目状に広がったものになる。

そのため最近では、食物連鎖というよりは、食物網あるいは食物環と呼ばれることが多い。生物と生物の関係は、一般に複雑であればあるほど、安定したものになる。食べるー食べられる関係も、一対一であるよりも、複数対一あるいは一対複数であるほうが安定している。単純な種と種の関係であれば、どれか一種が滅んでしまえば、連鎖的に他の種への影響が出てしまうからである。

(「完訳ファーブル昆虫記 第5巻下」“21 カマキリの孵化 訳注”より)

なるほどな~。

これを踏まえて、ファーブルさんのこのつぶやきを読むと奥深いものを感じる。

カマキリは、自分の尾を嚙む古代のヘビ、あの循環を象徴するウロボロスをわれわれに思い出させる。すべては再び始まるために終わるのだ。すべては、再び生きるために死ぬのである。

(「完訳ファーブル昆虫記 第5巻下」“21 カマキリの孵化”より)

私たち人間も生物のひとつ。

 

さて、これでやっと半分まできました。残り10巻がんばらねば~💪

第6巻上は、またフンコロガシ、いやいや糞虫から始まってシデムシとキリギリス。

あんまり知らない・・・