今週はちょっとお疲れモード💦
まだまだ寒い日は続きそうだし、またモノの値段が上がるし⤴
気分は下降気味⤵
ぼちぼち元気を取り戻したいです。
「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻上」(ジャン=アンリ・ファーブル 著/奥本大三郎 訳)を読みました。
久しぶりに戻ってきました。ファーブル昆虫記に。
過去記事、「第1巻上」と「第4巻下」だけ貼っておきます。
↓
4巻の下まではずっとハチについてで、さすがにちょっと休憩を入れたくなり、滞っていました。
年もあらたまり、続きを読むことにしました。
今巻で取り上げるのは、糞虫(ふんちゅう)です。
第1巻上にも出てきたフンコロガシもその仲間で、糞球を丸めて転がすタイプ(タマオシコガネ)と転がさないで巣の中で丸めるタイプ(ダイコクコガネ)がいます。
私は、図鑑や映像以外で糞虫を見たことがありません。
(おことわり:記事の中で“糞”を連発します。すみません<(_ _)>
ファーブルさんも読者に理解を求めています。 ↓ )
真理は何物も汚すことのできぬ高みにあって超然としているのである。だから読者は糞虫の物語のなかの、どうしても避けられない、ある種の事実を大目に見てくれることであろう。いままで述べてきたこと、そしてこれから述べることについてお許し願いたい。
(「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻上」“1 スカラベの糞球”より)
糞虫は、草食動物、牛や馬、羊などの糞を利用するので、牧場などに生息しているようです。
成虫も幼虫も糞を食物とし、
- 糞に巣くうもの
- 糞の下に穴を掘って糞を中に取り込むもの
- 糞を球状にして運び土中に蓄えるもの
などのタイプがいる。
3のタイプがいわゆるフンコロガシだが、土中の巣に糞球を入れ、きれいな洋ナシ型に固め、首の部分に卵を隠し産む。孵化した幼虫は梨球を食べ進み、空洞になった梨球の中で蛹になる。秋になって雨が降ると梨球が柔らかくなり、羽化した成虫が土から外へ出てくる。
幼虫も糞を食べるとは知らなかった。
草食動物の糞は、栄養分に富むそうだ。
雨が降ると羽化するというのも興味深い。
古代エジプトで、糞虫のスカラベが死や再生を司る聖なる虫として神格化されていたが、それもナイル川の氾濫時、大量に地中から羽化してきたスカラベと無関係ではないと思う。
表紙の糞虫は、イスパニアダイコクコガネと言い、タイプは2。
地中の巣の中でのみ、糞球を作る。
複数の糞球を作り、なんと幼虫が羽化するまで母虫が糞球のお守りをするのだ。
ほとんどの昆虫は、自分の子どもをその目で見ることはない。
その場を離れるか死んでしまうか。
ファーブルさんと同様、私も感動した。
われわれの学問は、われわれの所有する研究方法のひ弱さに比較すればきわめて壮大なものであるが、一方、果てしのない未知の世界を前にするときは実に貧弱なものでしかない。この学問は、絶対的な現実について、何を知っているというのか。何も知らないのだ。われわれはただ、自分たちの考え出す物の見方によってのみ、この世界に興味をもつのである。そうした物の見方なり概念なりが消え去ってしまうと、すべては空しいものとなり、混沌となり、虚無となる。事実の集積だけでは学問ではない。(略)それに思想と、理性の光とを加えなければならない。その意味を解き明かさなければならないのである。
(「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻上」“2 スカラベの梨球”より)
ファーブルさんの昆虫への愛はもちろん健在。
見かけはごく平穏なその住まいの中、そして幼虫に完璧な安全性を保障しているかのような球形の殻の中でも、幼虫にはやはり幼虫の苦労があるのだ。
(「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻上」“4 スカラベの幼虫”より)
昆虫はその仕事と調和のとれた、きわめて鋭敏な感覚をもっている。その能力は、われわれ人間には、それに似たものが何もないので、どういうものなのか想像すらできないものである。(略)疑問が限りなく湧いてくるけれど、それに答えることはできないのだ。
(「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻上」“7 イスパニアダイコクコガネ”より)
次巻 第5巻下では、糞虫の続きとセミとカマキリを取り上げるようだ。
新しい昆虫は楽しみ!
(無料イラストより)