もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「女帝のロシア」を読みました

ここのところ少し凌ぎやすかったのですが、

今日は暑い~~💦

 

久しぶりに読書の記事を書きます。

女帝のロシア (岩波新書)

「女帝のロシア」(小野理子(おのみちこ) 著)を

読みました。

世界史の学び直しの過程で、気になった本はメモするように

しています。

この本もたまたま図書館で見つけたので借りました。

 

歴史に残る人物はほとんどが男性で、

女性は少ないです。

だから、クレオパトラやマリー=アントワネットなど、

登場すると超有名な人物になってしまうのですが。

この本に取り上げられたのは、

帝政ロシアで啓蒙専制君主として知られる

エカチェリーナ2世です。

どうでしょう。それほど知られていないでしょうか。

 

今でもサンクト・ペテルブルクの人々は

「この都を建てたのはピョートル大帝ですが、

魂を入れたのはエカテリーナ大帝でした」と言う。

(「女帝のロシア」“はじめに”より)

これほど偉大で尊敬される一方、

しかし、その一方で、彼女ほど悪しざまに言われた

女帝も、歴史上めずらしい。皇位簒奪者、夫殺し、

似非啓蒙君主、農民反乱の残酷な弾圧者、十指にあまる

寵臣を褥に迎えた稀代の淫婦・・・

(「女帝のロシア」“はじめに”より)

悪評も多い。

 

この本は、ロシア文化史の研究者である著者が、

女帝エカチェリーナ2世が書き遺した『回想録』と、

女帝の友として、また女官として、女帝を支え、

ときには対立したもう一人のエカチェリーナ

(エカチェリーナ=ダーシコワ:ダーシコワ公爵夫人)

が残した『回想録』や手紙をもとに、

二人の関係とロシアの近代化の扉が開くさまを

描いたものだ。

 

女帝エカチェリーナは、ドイツからロシア皇太子

ピョートル3世に嫁いできた。14歳で。

ロシアは寒く、そして広い。

言葉もわからない土地で、エカチェリーナは

たくましく困難を乗り越えていく。

そのたくましさに感動した。

「女」の皇帝に反発する者、騙す者、誘惑する者が

現れる。

それらの舵取りが自分の命だけでなく、

国の命にかかわる。

スリリングな日々だったろう。

 

人ひとりの一生でできることは限られる。

この二人の時代のあと、徐々に女性の教育や就業が

開かれていくのだ。

エカチェリーナ2世が亡くなったのは1796年。

その少し前にフランス革命が始まっている。

エカチェリーナは、その後のロシアにどんな思いを

抱いていただろうか。

 

最後に、エカチェリーナとも交流があった

ディドロの言葉を引用しておく。

容易に解決しがたい問題は、人民に法を与えることでもなく、

良い法を与えることでさえもない。

それは、君主の側からする一切の侵害から、

法を保護することなのである。

(「女帝のロシア」“第11章”より)

(註:ディドロは18世紀フランスの哲学者)

 

一切の侵害から法を守る、それは今でも息づく思想だ。

かみしめたいと思う。