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「ローマ人の物語Ⅻ」を読みました その1

いいお天気🌞

大掃除日和だけど、何もしていません・・・💦

だんだんお尻に火が付いてくる・・・🔥

 

迷走する帝国──ローマ人の物語[電子版]XII

ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」(塩野七生 著)を読みました。

全15巻の12冊め。

今巻を入れてあと4冊になりました。

今年中にできれば完読したかったのですが、さすがに無理でした。

 

この表紙は、ローマの皇帝が生きたままで敵の手に落ちる

場面を表したレリーフ(浮彫)だそうだ。

今までも国の危機は幾度もあった。けれどー

自分たち本来の考えなりやり方で苦労しながらも危機を

克服できた時代のローマ人と、目前の危機に対応することに

精いっぱいで、そのためには自分たちの本質まで変えた結果、

危機はますます深刻化するしかなかった時代のローマ人、の

ちがいであると言ってもよかった。

この巻以降のローマ帝国は、もはや明らかに、後者のタイプの

危機に突入して行くのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“読者に”より)

 

衰退していくさまを見ていくのはなかなか辛い。それは作者の

塩野氏が一番感じることだろうと思う。

第Ⅺ巻からはじまった私のローマ帝国滅亡史も、各民族の

衰亡に共通する要素を探し求めるよりも、ローマ人の衰退のみを

直視して、その要因を探し求めることのほうに集中したい。

なぜなら、史上最大で最長の生命を保った大帝国ローマの衰亡の

要因を知ることさえできれば、それは、他の国の衰退の要因を

探る場合でも、計器にはなりうると考えるからである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“読者へ”より)

この気持ちで私もこの巻を読んでいきたいと思います。

 

ローマ浴場の名で知られるカラカラ帝の時代になったところで

終った前巻。

ローマ史上“三世紀の危機”と呼ばれる約70年間は、

カラカラ帝の即位 A.D.211年から、カリヌス帝即位のA.D.282年

までのあいだに22人の皇帝が入れ替わった時代でした。

ほとんどの皇帝が暗殺、謀殺で亡くなっています。

70年間で22人は平均すれば1人あたり約3年で、たいしたことは

ないのではと思われますが、実は大きな変化でした。

紀元1世紀は、128年間で9人の皇帝。

紀元2世紀は、約110年間で6人の皇帝だったのです。

ローマ市民としては、とにかく落ち着かなかったのではと

思います。

 

◆皇帝カラカラ(A.D.211年~217年)

先帝セプティミウス・セヴェルスの息子。

カラカラ帝の行った過ちへの一歩は“アントニヌス勅令”と呼ばれる

法律です。

簡単に言えば、誰でもローマ市民になれるという法律。

一見、みんな平等になり良さそうです。

ローマ人は「市民権」を、アテネ人のように「血」が同じで

あることを基盤にしたものではなく、「志」とか「意欲」で

つながるものと考えていたからだろう。それゆえ、敗者でも

ローマという「共同体」を守(も)り立てていくうえで

協力を惜しまない人ならば、市民権を与えることで

自分たちと同格になる資格は、充分にあると考えていたのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

「市民権」に対するローマ人の開放的な考え方は、ヒューマンな

感情から生れた思いつきではまったくない。敗者同化は、

ローマ人にとっては、帝国運営上の「政略」であった。だからこそ、

帝国創設時にカエサルアウグストゥスの二人が考え実施した

この開放路線が、その後の皇帝たちにも引き継がれていったのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

ローマ人にとって、市民権は取得権であり、目標であり誇りでも

あったのだろう。

それが既得権になってしまった。

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。

現代の投票時の棄権率の高さも、これを実証する一例になるだろう。

なぜなら、実利が実感できないからだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

カラカラによって、ローマ市民権は長く維持してきたその魅力を

失ったのである。魅力を感じなくなれば、市民権に附随する

義務感も責任感も感じなくなる。そしてそれは、多民族多文化

多宗教の帝国ローマが立っていた、基盤に亀裂を生じさせることに

つながった。誰でも持っているということは、誰も持っていない

と同じことなのだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

法律上 平等になったのに、市民のあいだには階級が生まれ、

社会の流動性が失われた。なんとも皮肉なことだ。

人間は所詮、全員平等でいることには耐えられず、何かで差別

しなければ生きていけないのかもしれない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

悲しいなぁ・・・

 

カラカラ帝はパルティア王国の王女に求婚したが、それが不評。

皇帝付きの近衛軍団長官マクリヌスにより謀殺される。

 

◆皇帝マクリヌス(A.D.217年~218年)

カラカラ帝の母であるユリア・ドムナの妹(つまりカラカラのおば)

ユリア・メサが陰謀を企て、マクリヌス帝は逃亡中に暗殺される。

 

◆皇帝ヘラガバルス(A.D.218年~222年)

ユリア・メサの長女の息子(カラカラ帝からすると従姉妹のこども)。

シリア育ちで、ローマにオリエント(東方)式を持ち込んだ。

品性を欠いた行動のため、近衛軍団長官により謀殺される。

 

◆皇帝アレクサンデル・セヴェルス(A.D.222年~235年)

ヘラガバルス帝の従兄弟。

皇帝と元老院にあった司法上の最終決定権を、各属州の総督に

委譲するとした法の成立によって、ローマ人は控訴権を失う

ことになった。

この変化が、皇帝の仕事の軽減を図るなどという浅はかな考えの

結果ではないにちがいない。ましてや、二十年後になって

表面化してくる、キリスト教台頭の弾圧策でもないはずだ。

現実的に処理不可能になったがゆえの権限委譲、であったのでは

ないか。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国三世紀前半”より)

市民権が拡大し、控訴権の対象が増えたからだというのだ。

先帝、先々帝の過ちがだんだん傷を広げていく。

アレクサンデル帝はゲルマン人の侵入に経済援助で対抗しようとし、

マインツの兵士に暗殺される。

この若者には、困難な事態への対処には不可欠の柔軟性と、

必要とあれば悪にさえも手を染める決断力が欠けていた。

善良で責任感が強いだけでは、リーダーは務めきれないのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国三世紀前半”より)

ごもっともで。

 

ここからは、約50年にわたる軍人皇帝(軍人出身の皇帝)の

時代となる。ローマ帝国の衰退がこれら軍人皇帝たちの輩出に

起因すると評判が悪い。

しかし・・・と塩野氏は言う。

しかし、その要因を軍人出身の皇帝たちだけ帰すのも納得できない。

カラカラもアレクサンデル・セヴェルスも、ミリタリー(軍団で

キャリアを重ねた者)ではなくシビリアン(元老院出身者)に

属す皇帝だったが、そのシビリアンがローマの衰退を促す種を

蒔いたのではなかったか。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

◆皇帝マクシミヌス・トラクス(A.D.235年~238年)

軍団が自分たちの司令官を、元老院の意向など無視して

皇帝にかつぎあげた。

実力はあったが品格がないと元老院は反感を持ち、

国家の敵と決議される。

人気も実力のうちだが、その実力だけでは占める地位は

正当化されない。地位の正当化には、実力に加えて正統性

が求められる。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

本国イタリアに入る前に、マクシミヌス側の兵士に殺される。

味方の兵士に・・・もう誰が敵か味方かわからなくなってくる・・・

 

◆皇帝ゴルディアヌスⅠ(A.D.238年)

◆皇帝ゴルディアヌスⅡ(A.D.238年)Ⅰ世の息子

アフリカ属州の総督だった高齢の父と共に即位。

しかし、隣のヌミディア属州の軍団が擁立に反発。

Ⅱ世は戦死、Ⅰ世は自殺。(ともに帝位1ヵ月)

あっという間です。

 

◆皇帝パピエヌス(A.D.238年)

◆皇帝バルビヌス(A.D.238年)

共同統治の予定だったが、元老院が二皇帝のどちらにつくかで

割れ、混乱。将兵たちに二皇帝とも殺される。

何が何やら・・・

 

◆皇帝ゴルディアヌスⅢ(A.D.238年~244年)

ゴルディアヌスⅠ世の孫。

ペルシア戦役の冬営中、近衛軍団長官フィリップスが

金で買収した兵士に殺される。

皇帝を警護する軍団が近衛軍団ですから、これも味方の

はずなんですけど。

 

◆フィリップス・アラブス(A.D.244年~249年)

アラブ人初の皇帝。

不満をもった兵士にかつがれた軍と対峙し、自殺。

 

無駄な争いや戦争は、お金も人材も無駄になり、

国土も荒れ、市民、兵士の士気が下がる。

全ての持てる力が削がれていく。

哲学や芸術面ではギリシア人に及ばず、体力では肉食民族の

ガリアやゲルマンの民に劣り、技術でさえもエトルリア民族の

教えを受けることで、あれほどのインフラストラクチャー

完備を可能にした技術立国になり、経済の才能でもカルタゴ

ユダヤの人々にはるか及ばなかったのがラテン民族だったが、

そのローマ人がこれらの諸民族を傘下に収める大帝国を

築きあげ、しかも長期にわたってその維持に成功してきた

真因は、実にこの持てる力の合理的で徹底した活用への

執着、にあったのだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

私は最初、ローマ市民はコロコロ皇帝が変わって、

落ち着かなかったのでは、と書きましたが、

落ち着かないどころか、これではとても不安であったろうと

思います。

一つの緩みが別の緩みをもたらし、どんどん広がっていく。

ネジを一つ一つ締め直してももう追いつかない。

 

前半の11人の皇帝を挙げただけでそこそこの量になったので、

後半の11人は次回に回します。

 

大変ややこしく小難しい内容をできるだけわかりやすく、

と思いながらやっぱりややこしくなってしまったことを

お詫びします。<(_ _)>