もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語Ⅸ」を読みました

8月も最後になって猛暑続き・・・

みなさん、夏バテしていませんか?

私は、美容院、病院と外出が続いています。

感染対策をしてじゅうぶん気をつけて出かけます(^^)/

 

賢帝の世紀──ローマ人の物語[電子版]IX

ローマ人の物語Ⅸ 賢帝の世紀」(塩野七生 著)を読みました。

 とうとう9巻。 がんばっています(^^)/

 

前巻(Ⅷ巻)の最後に登場したネルヴァ帝から、五賢帝時代に入りました。

五賢帝

ネルヴァ、トラヤヌスハドリアヌスアントニウス=ピウス、

マルクス=アウレリウス=アントニヌス

の5人の皇帝をさす。

とくにトラヤヌス帝のときにはダキア(現在のルーマニア地域)

メソポタミアを征服し、ローマ帝国は最大版図に達した。

(「新詳 世界史B」(帝国書院)より)

※当時の教科書ではトラヤヌス帝になっているが、本書では

トライアヌス帝と表記している。

 

◆13代皇帝 トライアヌス (A.D.98年~117年)

後天的にしろ強大な権力を与えられた皇帝はどう振舞うべきかの

問題だが、小プリニウスは次のように言う。

「主人としてではなく父親として、専制君主ではなく市民の一人

として」と。そして人間的には、

「快活であると同時にまじめであり、素朴であるとともに威厳があり、

気さくでありながらも堂々としていなければならない」

これではスーパーマンだと私などは思ってしまうが、最高権力者

ともなれば超人的であらねばならないと、ローマ人は考えていたのであろう。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第一部 皇帝トライアヌス”より) 

トライアヌス帝は、首都ローマ生まれでもなく、イタリア生まれでもなく、

今のスペインー当時のローマ帝国の属州ベティカ出身の皇帝。

ここにきて人格的にも優れた「至高の皇帝」が登場した。

 

ローマ帝国は、多民族国家である。隣り合って住む民族同士は、

仲が悪いのが常である。仲が良かったとすればそのほうが異常で、

ゆえに幸福な状態ということになる。覇権国家であるローマの役割

の一つは、民族間に起こりがちな争いの調停にあった。

(中略)

パクス・ロマーナ」は、外敵の排除に成功するだけで達成

できたのではない。帝国内部の紛争を収拾することにも

成功していたからこそ、「ローマ人による世界秩序」に

成りえたのである。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第一部 皇帝トライアヌス”より)

平和の時代だからこそ、内政が大切だと思わせてくれる。 

 

人間の仕事の進め方は、大きく分けて次の二つに分類できるのでは

ないかと思う。

一つ、そしてまた一つと、完成させて次に進むやり方。

すべてを視界内に入れながら、それらすべてを同時進行的に

進めていくやり方。

ルネサンス時代を代表する芸術家を例にとるならば、

レオナルド・ダ・ヴィンチは後者であり、

ミケランジェロは前者だった。

(中略)

トライアヌスの仕事の進め方はミケランジェロ型で、

ハドリアヌスのそれはレオナルド型と言えるだろう。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第一部 皇帝トライアヌス”より)

私はどちらの型かな。性格的にはミケランジェロ型だと思うけれど、

今はほとんどレオナルド型で生活していますね。

本も同時進行でに2~3冊読むし、家の仕事もやりながらやる(?)

という感じ。

集中力がなくなってきたのだと思います。

飽きっぽいし。

 

地方分権を認めすぎると国家は解体する。あの広大なローマ帝国

長期にわたって、しかも相当に満足いく程度に機能することができたのは、

中央集権と地方分権が巧妙に組み合わされていたからである。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第一部 皇帝トライアヌス”より)

これはバランスが難しい問題だと思います。

どちらに傾いてもうまくいかない。

 

◆14代皇帝 ハドリアヌス(A.D.117年~138年)

前皇帝トライアヌスの養子となり、後継指名されて皇帝となった。

 

ローマ史に接していて最も強く感ずることは、彼らローマ人の

一貫した持続性である。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第二部 皇帝ハドリアヌス”より)

皇帝が変わっても公共建造物なんかは続けて完成させたし、

補修を繰り返した。継続は力なり💪

 

 しかし、ローマ人は、「negotium」(仕事)と「otium」(余暇)

を分けるライフスタイルを確立した民族でもあった。一般の市民で

すら、日の出とともに仕事をはじめ日没に眠るのを常としながらも、

午前中は仕事、午後は余暇と分けていたのである。また、住まいも、

一応の市民ともなれば町なかの家に加えて、農畜産物確保の目的が

主とはいえ田舎の家をもっているのが普通だった。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第二部 皇帝ハドリアヌス”より)

メリハリのある生活を送っていたといえますね。

午前中に仕事をして、午後1時~2時に入浴、その後夕食を食べる

というルーティンだったよう。

太陽のほかに電気という光を得て、人間はうんと忙しくなったのかも

しれません。

別荘があるのはちょっと憧れる。小さい家でいいから。

 

しかもローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、

状況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。

ローマ人は、計画なしの成功は調査の重要性を忘れさせる

危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗を

くり返さないための有効な訓練になると考えているのである。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第二部 皇帝ハドリアヌス”より)

これはちょっとうなずけない部分がある。

やっぱり失敗するより成功する方がいいと思うし。

失敗した後の原因調査は必要だと思うけれど、失敗は気分が

萎える。 

 

◆15代皇帝 アントニヌス・ピウス(A.D.138年~161年)

前皇帝ハドリアヌスが後継指名した人物がまだ若すぎたので、

その人物を養子にすることを条件にハドリアヌスが皇帝位を

譲った。

 

ローマは、誰にでも通ずる法律を与えることで、人種や民族を

別にし文化を共有しなくても、法を中心にしての共存共栄は

可能であることを示した。そして、この生き方がいかに人々に

とって利益になるかを示すために、数多くの権利の享受までも

保証してきたのである。

ー哲学者アエリウス・アリスティデスのことば

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第三部 皇帝アントニヌス・ピウス”より)

ギリシア人の歴史とローマ人の歴史を分ける最も明らかなちがいは、

前者は、都市(ポリス)間の抗争の歴史であり、後者は、権力抗争

はあっても都市間や部族間の抗争はなかった、という一事であろう。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第三部 皇帝アントニヌス・ピウス”より)

しつこく思われようとも、私は何度でもくり返す。人間にとっての

最重要事は安全と食の保証だが、「食」の保証は「安全」が保障

されてこそ実現するものであるということを。ゆえに、「平和」が

最上の価値であることを。

(「ローマ人の物語Ⅸ」“第三部 皇帝アントニヌス・ピウス”より)

こんなふうに理想的ともいえる国だったのだと感心さえしてしまう。

こんな五賢帝時代だが、

ただ、それでも後の世まで影響した政策がひとつだけある。

ユダヤ教徒の反乱によって起こったユダヤ戦役(A.D.131年~134年)後、

皇帝ハドリアヌスイェルサレムからユダヤ教徒を全面追放を命じた

ディアスポラ(離散)」だ。

これによって、ユダヤ教徒イェルサレムを追われ祖国を失った。

そしてその後20世紀半ばまで、つまりイスラエル建国までこの

ディアスポラ」は続くことになったのだ。ひゃあ~

ユダヤ教徒からすれば、祖国を追われたとなるが、

ローマ帝国からすれば、これ以上寛容な政策はとれなかった

ということになる。

共存共栄は対ユダヤにはどうしてもうまくいかなかった。

 

そしてこの間も水面下で広がり始めていたキリスト教

いよいよその影響が色濃く出てくる時代になる。

次巻は、10巻。

五賢帝最後、第16代皇帝 マルクス・アウレリウス・アントニヌス

の時代。

つ・づ・く