もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語Ⅻ」を読みました その2

週末は風もなく暖かかったけれど、今週は寒くなるそうです⛄

寒い夜の私のお供は、コープさんの「ゆずはっさくネード」。

レモネードのゆずはっさくバージョン。

ちょっと甘いけれどすごくおいしい💛

近いうちに紹介します(^^)/

 

迷走する帝国──ローマ人の物語[電子版]XII

ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」(塩野七生 著)の記事、

続きです。

三世紀の危機と言われる時代、

22人の皇帝が現れては消えていきました。

前回11人紹介し、今回は12人めの皇帝から。

 

◆デキウス(A.D.249年~251年)

先帝フィリップスのときの首都長官。

ゲルマン民族(ゴート族)の大侵入で戦死。

 

◆トレボニアヌス・ガルス(A.D.251年~253年)

遠モエシア属州の総督。

 

侵入してきたゲルマン民族は陸上の民だったが、

海賊となり海側から攻めてもくるようになった。

平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を

失うことになりかねないという「パクス・ロマーナ」の

逆説的な現象が、現れ始めたのは海上だけではなかった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

エミリアヌス、ヴァレリアヌスとの皇帝位争いで負け

殺される。

 

◆ヴァレリアヌス(A.D.253年~260年)

ゲルマニア防衛軍団の司令官。

ササン朝ペルシア王シャプールⅠ世の捕虜となり、

のちに獄死。

この様子が表紙のレリーフのモチーフになっています。

 

ローマの兵士たちはペルシアの公共工事に従事させられました。

自分たちを捕虜にしている国のインフラストラクチャー

整備を命じられた当のローマ兵たちは、どんな想いで

いたのであろう。(中略)ローマの名に恥じない本格的で

堅固なものを建ててやろうではないか。たとえそれが

敵の利になろうとも。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国三世紀後半”より)

ローマ兵の気概を感じます。

 

ガリエヌス(A.D.253年~268年)

ヴァレリアヌスの息子。

ローマ帝国はついに三分割される。

(東にパルミア王国、西にガリア帝国)

 

人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、

残された者同士の団結ではなく、分裂である場合が圧倒的に多い。

束ねる役割を果していた存在が消滅したことによって、

それまで自分たちよりは上の存在によって束ねられていた

人々は、いったんはバラバラになるしかないのかもしれない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

 

このときできたパルミラ王国。

王位は息子にあったが、実権を持っていたのは母のゼノビアだった。

同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、女とは

権力を手中にするやいなや、越えてはならない一線を越えて

しまうのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

うーん、私も残念です。古代の女性の地位なんて今とは雲泥の差で

しょうから、教育も訓練も受けていないし、仕方がないのでは

とも思います。

でもこのゼノビアさん、後のアウレリアヌス帝の時代、

パルミア王国が統合され、ローマに連れて来られますが殺されず、

別荘で優雅に余生を送るんです。

 

兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、

政治とは何たるかを知らなくても立派に職務は果せる。

しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、絶対に政治は

行えない。軍人は政治を理解していなくてもかまわないが、

政治家は軍事を理解しないでは行えない。

(中略)

ガリエヌスの後に輩出してくる軍人皇帝たちを見ても、

軍人としての能力では優れているにもかかわらず、

政治家ではなかった。この事実が実証するように、

以後のローマ帝国は、軍事もわかる政治家、政治もわかる軍人、

を産まなくなってしまう。これもまた、ローマの非ローマ化、

の一つであるのだった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

完璧な政治家なんて今までも数は限られる。

長い統治の間に学んだり、よい宰相に恵まれたりして何とか

やってこれた場合も多いはずだ。

1年や2年では何もできないに等しいし、味方の部下が

敵になるようではどんな人でも難しいだろう。

 

ガリエヌス帝は騎兵隊長により暗殺される。

 

クラウディウス・ゴティクス(A.D.268年~270年)

ガリエヌス帝のときの騎兵隊長。

ゴート族の侵入を撃破したが、疫病で死ぬ。

 

◆アウレリアヌス(A.D.270年~275年)

騎兵隊の総司令官。

三分割されていたローマ帝国を再統合するが、

秘書が手引きした将官たちによって暗殺される。

 

タキトゥス(A.D.275年~276年)

後継者が決まらず、皇帝空位が5ヶ月続いた末、

元老院が指名。既に75歳。

行軍中に病死。

 

◆プロブス(A.D.276年~282年)

シリア・エジプトの総司令官。

 

反乱を起こしては結局は失敗した例を見ていて感ずるのは、

この人々にはいくつかの共通点があるということである。

第一に、反乱を起こすに際し、自分の指揮下にある将兵たちの

支持を確保するのに、さしたる努力も払っていない。

(中略)

第二は、妻とか側近とかの、他者にそそのかされて、という

ケースが意外に多い。

(中略)

自分の意志ではなく、なんとなくという感じで大事に手を染めて

しまうのも、国の衰退期の特徴の一つである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

これは読んでいて一番残念に思うことだ。

皇帝も部下も兵士もみな疑心暗鬼になっている。

自分が殺したように殺されるのだ。(゚д゚)

 

この時期の統治する側と統治される側の距離が、

限度を越えて短縮していたことを示している。

彼ら軍人出身の皇帝たちは、行ってみれば実力重視政策の

成果であった。

(中略)

だが、正当であるのは明らかな実力重視政策だが、

人間世界すべてのことと同じに、利点があれば欠点もある。

実力主義とは、昨日まで自分と同格であった者が、

今日からは自分に命令する立場に立つ、ということでもある。

この現実を直視し納得して受け入れるには相当な思慮が

求められるが、そのような合理的精神をもち合わせている

人は常に少ない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

これはどうなんでしょう。

現代では同期入社の者が自分の上司になる、ということでしょうか。

リーダーでありつづけることは、相手が感性に左右されやすい

人間であるだけにむずかしい。親近感をもたれながら、

距離感もいだかせる必要があるのだから。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

確かにそうでしょうね。

 

プロブス帝は、荒廃した土地を再び耕作地にするための

工事視察中に兵士に殺される。

 

◆カルス(A.D.282年~283年)

軍が元老院の意向は聞かずに即位を決める。

近衛軍団長官。

ペルシア戦役中、砂漠で落雷に遭い死ぬ。

落雷とは驚きました(゚д゚)!

 

◆ヌメリアヌス(A.D.282年~283年)

カルス帝の次男。 カルス帝と共同統治。

馬車の中で暗殺される。

 

◆カリヌス(A.D.282年~284年)

カルス帝の長男。 カルス帝と共同統治。

部下に裏切られ暗殺。

 

ここで3世紀の主な皇帝22人が終わりました。

カリヌス帝のあとは、私の記憶にも残っている

ディオクレティアヌス帝の治世となります。

それは次巻13巻で。

 

(余談)

13という数字をローマ数字に変換しようと思いましたが

できませんでした。

Ⅻ(12)まではできるのに。

調べると、ローマ数字は時計文字として登録されているため、

12までしかないそうです。

かっこ悪いけれど、どうしても使いたいならⅩⅢとするしか

ありません。

残念です。(笑)