もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

年末年始のお菓子2021-2022 ①

2021年も大晦日を残すのみとなりました。

みなさまお忙しい日々をお過ごしのことと思います。

我が家もぼちぼち大掃除とおせち作りを続けています。

先週末の寒波には凍えて泣きそうでした。

明日からまた寒波第2波がやってくるそうです。⛄

無事に年越しできますように。

 

今日は買い物の途中で、ツグミを3羽見ました。

この冬 初認です。

12月中にツグミを見るのは久しぶり! 今年は間違いなく寒い冬!

こんな鳥ですよ。 ↓

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 (無料イラストより)

※12/31 追記

ツグミの特徴は、

①白い眉斑

②胸から腹にかけて黒い帯状の斑

③翼に褐色斑

  (日本野鳥の会ひょうご オリジナル野鳥図鑑②より)

体長は24㎝。だいぶ大きいです。

ほぼ地面にいます。近づくとあわてて木の枝に飛んでいきます。

地面をツツツツッと歩き、止まってじっとして、

またツツツツッと歩き・・・を繰り返します。

くちばしは細長いです。

 

ここ何年か、年越しに買い置くお菓子が決まってきました。

うなぎパイ、ひよこまんじゅう、九十九せんぺい・・・

今年は新顔登場! ↓

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戎金鍔です。

阪神西宮駅から南へ、国道43号線近くにお店がある谷矢製餡の製品。

コロナ禍で今は行けてないですが、お店の前を通るといつも

あんこのいい匂いがして、一度食べてみたいとずっと思っていました。

コープさんのカタログで注文して、念願叶いました。

すごく美味しい😋

あんこがしつこくなく、小豆の味がしっかりして粒が立っている。

つぶあん派の私は大満足です。

 

さて、明日ブログを書けるかわからないので、

少し早いですが今年のご挨拶をします。

今年一年拙いブログを読んでくださりありがとうございました。

来年もがんばって続けていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>

みなさま、どうぞよいお年をー

 

 

「星の子」を読みました

寒波がやってきました。⛄

今日は高校駅伝有馬記念があるので朝からテレビをつけて

いると、駅伝が行われている京都では雪が舞っていました。

夕方からは京阪神も雪の予報。降るかしら・・・

有馬記念牝馬(ひんば:めすうまのこと)の

クロノジェネシスを応援します。

 

星の子 (朝日文庫)

「星の子」(今村夏子 著)を読みました。

昨年、芦田愛菜ちゃん主演で映画になりました。

その頃、図書館で予約してようやく順番が回ってきました。

 

本の帯にはこうあります。 ↓

ちひろは中学三年生。

出生直後から病弱だった娘を救いたい一心で、

両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき、

その信仰は少しずつ家族のかたちを

歪めていく・・・。

 

物語はちひろである「わたし」のことばで語られている。

両親がその「あやしい宗教」を信じる理由や経緯。

叔父夫婦が何とかその宗教から脱退するように説得したり、

親戚や親しい人が遠ざかっていくこと。

姉のまさみは高校を退学し家出してしまう。

ちひろと両親は引っ越しを繰り返し、そのたびに家が小さく

狭くなっていく。

小学校も中学校も修学旅行に行くお金がなかった。

さまざまなエピソードが、家族の「あやうさ」を映し出す。

 

「星の子」というタイトルには、いろんな意味が含まれて

いるようだが、

この宗教の集会で使われる冊子(のようなものだろう)

の名が「ほしのこ」という。

子ども向きに宗教の教えをやさしく表した物語形式の

本だろうと思う。

 

難しい内容ではない。

会話が多いし、すぐに読み通せる。

ただ、物語が終わりを迎えても、無事に着地していない

不安定感がある。

ずっとずっと常に危うい。

家出したまま消息の知れないまーちゃんこと、

まさみのほうが安心できるくらいだ。

でも信じる人をどうして否定できるだろう。

こちらも実はあやういのだ。

信じるものがある人も、信じるものがない人も

実はどちらもあやういのだとわかって、

普段意識しない自分の内面のことを探ってしまう。

そんな小説だ。

 

両親から離れた方がいい、高校へはこっちから通えばいい

ちひろを説得する叔父夫婦に、ちひろは、

「わたし・・・、わたしは、・・・このままでいい」

 (中略)

「わかってるよ。でもわたし、まーちゃんみたいに

家出したいと思ったことないんだ」

 (中略)

「心配なんかしないで。しんちゃん

(註:従兄弟のこと)、わたし大丈夫だよ。

誰にも迷惑かけないし、お金のことだって

自分でなんとかできると思う(後略)」

(「星の子」より)

こんなふうに答えるのだ。

 

家族三人で流れ星を眺めるラストシーンには、

絆の強さとあやうさの両方を感じた。

 

「最後の晩ごはん 刑事さんとハンバーグ」を読みました

今夜はクリスマス・イブ。🎄🎅

今年我が家はケーキもチキンも食べず、特に何もしないイブです。

でも、世界中の子どもたちがきっと楽しみにしていますね。

みんなが楽しいクリスマスを迎えられますように。

 

最後の晩ごはん 刑事さんとハンバーグ (角川文庫)

「最後の晩ごはん 刑事さんとハンバーグ」(椹野道流 著)を読みました。

シリーズ4冊めです。

 

今巻に登場する刑事さんは、「ばんめし屋」のお隣 芦屋警察署の

生活安全課の仁木涼彦(にきすずひこ)さんです。

「ばんめし屋」の店員 五十嵐海里の兄、一憲の高校時代の親友。

久しぶりに再会した一憲と仁木さんだったが、

仁木さんには、マフラーの幽霊が巻き付いていたのだった👀!

 

今回は人物ではなくマフラーだけど、

亡くなった人の思いが詰まったマフラーで、

編みあげることのできなかった幻のマフラー。

そのマフラーの幽霊を通して、亡くなった人の思いを知り、

仁木さんは一緒にハンバーグを食べることになるのでした。

 

物語のパターンはだいたいわかってきました。

でも、登場人物の過去のエピソードが明らかになったり、

海里と「ばんめし屋」の人々との関わりがだんだん深まって

きて、楽しくなってきました。

 

「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」を読みました

長年使っていた毛布に、とうとう穴が空いてしまいました。

(穴が空くまで使うか・・・虫食いではないよ。擦れて薄くなって)

それで新しい毛布を買いました。

なんか出費が続いています~~~

 

完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 上

「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」

   (ジャン=アンリ・ファーブル 著/奥本大三郎 訳)を

読みました。

 

この表紙の虫は何だろう? 何かの幼虫かな? すごい色やな。

どっちが頭なんや。たぶん右側やな。

今までも表紙の昆虫が何かわからないことがありました。

普通は見返しや目次、巻末に載っているものですが、

見当たらないんですよね~

これまでは内容を読んで予想していましたが、今回は

まったくわかりません。

 

第1巻上からずっと続いたハチの仲間の解説は、

今巻の第4巻上と次巻の下で、やっと終わりそうです。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

今回登場したのは、まずキゴシジカバチ。

腹柄(ふくへい)といって、胸と腹をつなぐ部分が黄色く、

そこを“腰”に見立てています。

このハチは、民家の暖炉の火床の奥の壁に泥で巣を作る。

泥で固めただけの巣なので、雨水に弱く、幼虫が寒がりで

暖かい場所を好むのだ。

私は暖炉のある家に住んだことがありません。

それどころか暖炉のある部屋に入ったことさえないです。

ヨーロッパのホテルの部屋に暖炉を模した装飾はありました。

マントルピースのみ壁についていました。

でも火は入っていないし、使われていないのです。

クリスマスに、煙突から降りてきたサンタが暖炉に落っこちてくる

様子を映画やアニメで見て、想像するだけでした。

 

一見危険に見える、人間に近い場所で暮らす生きものは昆虫以外

にもいます。

人間と即(つ)かず離れず暮らしている動物の一群を人類同調種

シナントロープ)と呼ぶ。これら動物は、環境への順応度がたかく、

人間が作り出し、自然下では得られない環境を積極的に利用して

繁栄している。多くのものは、繁殖力が高く、食性の幅も広い。

安定した環境である人間の家の中で暮らしているドブネズミ、

ヤモリ、スズメ、ツバメ、ゴキブリなどは、その代表的な存在で

ある。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」“1 キゴシジカバチ”訳注より)

もう少し、具体的に説明すると、

人間の家という雨風がしのげる空間や、人間が間接的に用意する

食物(ごみや光によって集まる昆虫、家畜の餌など)によって

繁栄している。

かつては古い家の主と言われていたアオダイショウも、人間の

飼っていたニワトリの卵やネズミを食物として人家で暮らしていた。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」“4 ツバメとスズメ”訳注より)

 

スズメやツバメが、うんと昔、まだ人間の作った人工物がなかった頃、

どこに巣をかけ暮らしていたのだろうとファーブルさんは考える。

それはもちろん自然物を利用していたのだろうと思われる。

それしかなかったのだから。

 

キゴシジカバチも、人間の作った暖炉を利用する前は、

平たい石の間に巣を作っていた。

昆虫は環境の変化に柔軟に適応する。

でも、根本的に変えないこともある。

巣作りの順番や幼虫の餌の蓄え方だ。

 

幼虫のためにクモを狩って蓄え卵を産みつけた小部屋を、

ファーブルさんはわざと壁からこそげとる。

もうそこに、小部屋も卵もないのに、キゴシジカバチは

泥で上塗りをする。

もう一度いちからやり直すことはないのだ。

 

また、小部屋の中の卵を産みつけたクモを、ファーブルさんが

ピンセットで取り出してしまうと、

もう卵はないのに、キゴシジカバチはクモを狩って蓄え続ける。

 

通常の状態で成し遂げられる行為からして、もっとも才能が

あるとわれわれには思われる昆虫でも、実験者が本能の

手順を狂わせると、ほかのものと同じくらい融通がきかない

のである。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」“3 無分別な本能”より)

まったくの無駄だといえることを昆虫が一途にやり続ける。

これを“愚かな本能”とファーブルさんは言う。

 

一方では本能が、その本質においては不変の技術を昆虫に

強制しているが、他方では多少の自由が昆虫にも残されていて、

有利な状況があればそれを利用して、機械的な労働の三要素、

つまり時間と材料と労力の最小の消費でもって、所期の目的に

達するのである。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」

     “6 最小の労力で仕事をする”より)

これは“賢い本能”なのだ。

 

次に紹介されるハチは、ハキリバチ。

ミミズなどが掘った坑道に、切り取った葉を詰めて巣を作る。

丸く切り取った葉を数枚組み合わせてコップ状の小部屋を造り、

花粉と蜜を蓄えて卵を産む。(中略)

ハキリバチの巣作りは借坑型(しゃっこうがた)と呼ばれ、

自分では穴を掘らず既存の坑道などを利用する。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」“7 ハキリバチ”より)

植物の葉に丸く穴があいていたら、虫が食べたのだろうと

思っていたが、このハチが切り取った可能性もあるのだ。

 

もしも労働というものが、人生を陽気に過ごすための最良の

方法であるならば、このハチこそはまさに、たかだか数週間の

その生命を、退屈なぞ感じることなしに過ごしたのに

ちがいない。

私はよろこんでこのハチに、最高の賛辞を、働く者への賛辞を

捧げよう。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上)“7 ハキリバチ”より)

この賛辞はハキリバチだけへの賛辞ではないだろう。

どのハチも、もっと言えばどの昆虫もそれぞれに個性的で

働き者だ。

 

最後はモンハナバチの仲間。

綿紡ぎの名人、オウシュウトモンハナバチと

脂(やに)こね名人、ナナツバモンハナバチ。

綿紡ぎ名人は、植物の茎にある綿のような繊維を集めて

フェルト状にし、小部屋を造る。

脂こね名人は、針葉樹から集めた樹脂を使って、仕切り壁を

造り小部屋とする。

DIYも顔負けです。

f:id:moricchan24:20210924141850p:plain (無料イラストより)

 

最後に、ファーブルさんの記述の魅力を、訳者の奥本氏が

訳注に書かれていたので、引用しておきます。

   ↓

『昆虫記』が古びない理由のひとつに、その記述が昆虫の

観察にとどまらず、観察から得られた疑問や仮説を、実験に

よって解決したり検証したりする過程が克明に描かれている点

があげられる。(中略)あたかも読者自身が実験を行なって

いるような気分にさせてくれるのである。

(「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」

     “6 最小の労力で仕事をする”訳注より)

実験のシーンはドキドキして、がっかりしたり喜んだり。

毎回楽しみなんです💛

 

前巻(第3巻下)では元気のなかったファーブルさんでしたが、

今巻ではすっかり元気になられたみたい。

よかった。

 

掃除機が壊れた

年末のこの時期になんということ!

昨日掃除機をかけようとしたら、「ぶおっ」と一発 音が

したかと思うと、うんともすんとも言わなくなりました。

スイッチを入れても全く動きません。Σ( ̄ロ ̄lll)

紙パックを新しいものに替え、フィルターを掃除し、

ホースに何か詰まってないかみたり、いろいろしました。

なでたり叩いたりしても動かないので諦め、買い替えることに

しました。

我が家は掃除機の引きが悪く(?)、これで4代めです。

掃除機なんてそう壊れるものではないと思うのだけど。

ごく普通の、紙パックのキャニスター式の掃除機です。

軽くてシンプルな機能にしました。

昨晩注文して、明日届く予定。ほっと安心。

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  (無料イラストより)

 

今日は皮膚科へ行き、年内の通院はあと1か所になりました。

あまり医者と縁のないかたはご存知ないと思いますが、

この秋くらいから処方薬ショックという状態が続いています。

薬不足になっているのです。

同じ成分の違うメーカーの薬で代用したり、

ジェネリック薬を(高い)新しい薬に替えたり、

10㎎の錠剤がないので20㎎の錠剤を半分に割ったり、

処方箋薬局は非常に苦労されています。

原因のひとつは、富山の薬メーカーであった製造ミスです。

この件はもう何年か前になるんですが。

確か水虫の薬に睡眠薬の成分が混入して、その薬を飲んだ人が

異常な眠気などの被害がでたのです。

それをきっかけに、薬の製造工場に点検がはいり、

他の工場でもいろいろ問題点が発見され、工場の稼働中止や

メーカー自体の廃業もありました。

そのほかにも、今のコロナの状況で人手不足や流通の問題も

影響しているようです。

私も何度か、処方は変わってないのに薬が変わったことが

ありました。

やはり慣れた薬のほうが安心ですし、形態(錠剤や粉)が変わったら

飲みにくい場合もあります。

何とか元の状態に戻ってほしいなと思います。

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  (無料イラストより)

 

「最後の晩ごはん お兄さんとホットケーキ」を読みました

寒波がやってきました。⛄

金閣寺が雪景色に。

瀬戸内はめったに雪景色にはならないけれど、道路の凍結には

注意しないと。

 

昨日の曽根崎新地のビル火事。驚いたと同時に心が痛みました。

大阪に限らず都会にはこういう1フロアが狭いのっぽビルが多いです。

避難口が1つしかないのはやはり危険。

これから詳しい経緯がわかってくるでしょうが、

防ぐ手だてを考えていかなければいけません。

 

最後の晩ごはん お兄さんとホットケーキ (角川文庫)

「最後の晩ごはん お兄さんとホットケーキ」(椹野道流 著)を

読みました。

「最後の晩ごはん」シリーズ第3巻です。

今まで読んだ2巻で、最後の晩ごはんを食べるのは幽霊、という

仮設をたてていましたが、今回ホットケーキを食べたのは

幽霊ではなく人間でした。

うーん、まだまだ読みが浅かった・・・

 

1巻ごとに登場人物が増えていきます。

第1巻は主人公の五十嵐海里(いがらしかいり)と

海里が働く「ばんめし屋」の店長夏神留二(なつがみりゅうじ)

だけでした。

第2巻では小説家の淡海五朗(おうみごろう)が登場。

そしてこの第3巻では、海里の兄 五十嵐一憲(いがらしかずのり)

が登場します。

一憲と海里は年が離れていることもあり、昔から相性が悪く、

海里が芸能界でスキャンダルを起こし、実家に戻ったときも

冷たい態度で追い出したのでした。

一憲の婚約者の賢木奈津(さかきなつ)が「ばんめし屋」を

訪れ、一憲と海里を何とか仲直りさせようとするのだが・・・

 

仲直りはなかなかうまくいかない。

そんなとき奈津が交通事故に遭ったという知らせが来る。

奈津の意識は戻らない。

奈津の意識を回復させるために作られたのがホットケーキ。

 

第2巻の「小説家と冷やし中華」の記事で、

幽霊と人間の中間のような存在と書いたのは、

ロイドという名の執事の眼鏡。

  ↑ 

ロイドは、もともと眼鏡です。

セルロイド製の眼鏡で、第1巻で海里に拾われました。

その眼鏡はあるイギリス人の持ち物でしたが、イギリス人が

亡くなったことから回りまわって草むらに捨て置かれることに

なったのです。

ロイドは主人のイギリス人が非常に好きだったので、その気持ちが

眼鏡にのりうつり、主人の前ではおしゃべりができ、

短い時間なら人間の姿になることができました。

ロイドは自分を拾ってくれた海里を新しい主人と思い、

バレないように海里とだけおしゃべりしていたのですが、

店長の夏神にはすぐばれ、小説家の淡海さんも知ります。

(表紙の一番左の人物が人間の姿になったロイド)

 

このロイドと海里のやりとりが絶妙でおもしろいです。

ロイドは海里の前でも人間になることができるようになり、

その姿は前の主人のイギリス人。

「ばんめし屋」の常連客は、

「恐ろしく腰の低い、日本語ペラペラのロマンスグレーの

イギリス人」に最初は戸惑いますが、

店長の夏神が、

「日本暮らしの長いイギリス人のご隠居が、暇つぶしに

パートに来てくれてんねん」という説明に納得しています。

 

ロイドは日本なら付喪神という存在かな。

こんな存在、私は結構楽しめます。

見えないものを想像するのも楽しいです。

 

「ローマ人の物語Ⅻ」を読みました その3

大掃除をせんと。せんとあかんのはわかってる。

夏休み。宿題をせんと。せんとあかんのはわかってる。

あの気持ち。

31日が音を立ててやってくるのも同じ・・・

 

迷走する帝国──ローマ人の物語[電子版]XII

ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」(塩野七生 著)の記事、

懲りずに続々編(笑)です。

 

第二部 第三章として「ローマ帝国キリスト教」が章立て

されていました。

目に見えて衰退してきたローマ帝国のこれからに、大きく影響を

及ぼすキリスト教について、最後にまとめて書いておきます。

 

キリスト教とローマの宗教との違いについて、

塩野氏は「卑近かもしれないが」と断って、夫婦ゲンカを例にとり

説明している。

キリスト教の場合

 夫婦のどちらか、または両方でも別々に教会に行き、

 懺悔で告白する。それを聞いた司祭から、

「夫婦は神の前で誓った聖なる関係だから、離婚はもちろん

 ケンカもしてはいけない」と言って諭される。

 そしてお祈りをする。

〇ローマの宗教の場合

 ローマには多いときで30万近くの神がいて、それぞれ

 神殿や祠がある。

 夫婦ゲンカに対応する神は、ヴィリプラカという女神。

 ケンカになったとき、夫婦でヴィリプラカを祭る祠に

 出向く。

 ローマの神殿に神官はいない。そういう聖職者階級がない。

 そのため誰もいないところで、一人ずつ神に言い分を訴える。

 一度に一人ずつしか言い分は聞いてもらえないとされるので、

 もう一方は黙って相手の言い分を聞いて待っているしかない。

 夫婦双方くり返しているうちに、相手の言い分の理屈も

 わかり、興奮も落ち着いてくる。そのうちケンカはおさまる

 というわけ。

 おさまらない場合は、「離婚しなさい」という神のお告げ

 だそうだ。(ローマでは離婚はOK)

この例でもわかるように、キリストの神は人間に、生きる道を

指し示す神である。一方、ローマの神々は、生きる道を自分で

見つける人間を、かたわらにあって助ける神々である。

絶対神と守護神のちがいとしてもよい。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

とてもわかりやすく、おもしろいと思いました。

 

もともとローマは都市国家で、ローマ神話にもある多くの神々を

もっていましたが、ギリシアやエジプトなど多くの異民族の神々を

受け入れてきた多神教の国です。

ローマ人の宗教観とは、個人的には何を信じようと自由だが、

多民族国家であるローマを精神的に統合している「われわれの神々」を

祭るときはそれに参加すること、であったと言ってよい。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

 

それに対し、キリスト教一神教です。

エスが生まれたとされるのが紀元。十字架上で死を迎えたのが

紀元33年前後。

なぜキリスト教は、イエス・キリストの死からコンスタンティヌス大帝

による公認まで、つまり、誕生からはじまって無視できない勢力に

なるまでに、三百年という長い歳月を要したのか。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

 

私が思うのには、ローマが衰退するまでは人々はそれほど強い宗教を

必要としなかったのではないか。

仕事もあり、家族と住む家もある。病気になれば医者に診てもらえ、

困窮すれば福祉政策が機能していた。

それが崩れていくと、人々は何かにすがらなければ生きていけなかった

のかもしれない。

キリスト教会が三世紀のローマ人に与えるのに成功したことは、

多くの人がそれなしには生きることがむずかしい帰属心であった。

人々を苦しめるのは、自分はどこにも属していないという孤独感

なのである。(中略)

キリスト教のコミュニティに加わることで、人間的な温かさを

得られたのだ。誰かが自分のことを、現世でも来世でも、

心配してくれると思えたのであった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

この流れは自然なことだと思う。

 

また、キリスト教徒の純粋で禁欲的な生き方にも惹かれていった。

しばしば人間は、ある人の考えそのものよりも、その人の行いの

正しさや人格の良さによって、その人の思想にさえも共鳴するように

なる。あれほど人柄が高潔で立派な人が言うのだから、正しいに

ちがいないと思ってしまうのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

これは一方で危ない思想に引き込まれやすい、人間の急所といえる

部分でもあるかな。

 

ローマ帝国の知識人も、かつては堂々と現世主義を貫いて、

恥じるところは少しもなかったのだった。(中略)

哲学も芸術も科学も、得意なギリシア人にまかせよう、

われわれローマ人は、現生の生活に必要不可欠なことである

安全保障や法律による政治やインフラの整備や食の保証は、

責任をもって引き受けるから、とでもいう感じで。

(中略)

あの時代のローマ人には、アイデンティティ・クライシス

存在しなかったのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

それが三世紀になってすっかり変わってしまった。

一般の人々が直面していたのは、死後や将来への不安よりも

まず先に、知的で生活にも恵まれた人ならば味わうことのない、

現に眼の前にある欠乏と不安であったからである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

アイデンティティ・クライシス

恐いことだ。

戦争や災害、そして現在のコロナ感染症のような疫病ー

危機的な状況でいかに自分の冷静な状態を保つか。

 

キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の

弱体化と疲弊化にあったのである。ローマ帝国は、自分自身

への信頼という、活力を維持するには最も重要な要素である、

気概までも失ってしまったのであった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より

気概を失ってしまったローマ人。

どうなってしまうのかー

次巻13巻へ続く。