もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

手作りデザート ふわとろミルクプリン

久しぶりにデザートを手作りしました。

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正式名称は(?)「杏仁豆腐風ふわとろミルクプリン」です。

シリーズで読み始めた「最後の晩ごはん」に登場したメニューで、

巻末にレシピが載っていました。

“物凄く簡単”と書いてあったのを信じて・・・

 

料理は好きですが、お菓子やデザートを作ることはほぼ

ありません。

ホットケーキミックスを使ったホットケーキか、

ハウスのフルーチェをうーんと昔に作った覚えがあるくらい。

子どもが小さいときに作るものだと思いますが、

私は子どもが幼児の頃、入退院を繰り返していたので、

ほとんど保育所で子育てしてもらったようなものでした。

なんかお菓子を作る機会を逸してしまった感じ。

あと、分量をきっちりしないとお菓子やパンは失敗しやすい

というのも一因。

アバウトな私には向かない・・・

 

というわけですが、今回“物凄く簡単”を信じて作ってみる

ことにしました。

まず、白砂糖と粉ゼラチンを買うことから。

普段は三温糖を使っているからです。

 

(材料・4人分)

牛乳  500ml

砂糖  大さじ2~3

粉ゼラチン  5g

水   50ml

フルーツ缶(なんでもよい シロップも使う) 1缶

生フルーツ  イチゴ、キウイなど

 

(作り方)

①鍋に水を入れ、沸騰しかかったら火を止め、粉ゼラチンをいれる。

 しっかり溶かしたら砂糖を加え、かき混ぜてあらかた溶かす。

②牛乳を入れ、ぐるっと混ぜてから火を点ける。

 弱火で泡立たないように底からゆっくりかき混ぜる。

 全てがきれいに溶けたら火を止める。沸騰させないこと。

③容器(耐熱性ならなんでもよい)に入れ、粗熱がとれたらラップを

 かけて冷蔵庫で冷やし固める。フルーツ缶も冷やしておく。

④フルーツ缶を開けて、中のフルーツと生フルーツを小さめにカット。

 5ミリ角くらい。シロップはとっておく。

⑤固まったミルクプリンを大きめのスプーンで豪快にすくい、

 器に盛りつける。

 フルーツを飾り、缶詰のシロップをたっぷりかけてでき上がり。

(「最後の晩ごはん」第3巻のレシピを参考に)

 

(作ってみた感想)

この牛乳の量だとゼラチンはもう少し多めのほうがいいかな。

ふわとろ感を出すために、わざとゼラチンの量を押さえてあるのだけど、

スプーンですくってもすくいにくい。

それから、4人分を3人で食べたが、量が多い。

次は半分量で作る方がいいようだ。

味は申し分ない。ミルクプリンは、砂糖を入れたホットミルクの味を

思い出して泣きそうになる。郷愁を感じる。

缶詰はライチがおすすめとあったけれど、そんなんスーパーにない。

私はみかんと桃のミックス缶にしました。

 

もうひとつ試したいデザートレシピがあって、

「芋ようかん」。さつまいもの羊羹です。

その材料に粉寒天というのがあって、探したらえらい高額!

失敗するかもしれんし、なんやもったいないなあ~

二の足踏んでます・・・

 

「ローマ人の物語Ⅻ」を読みました その2

週末は風もなく暖かかったけれど、今週は寒くなるそうです⛄

寒い夜の私のお供は、コープさんの「ゆずはっさくネード」。

レモネードのゆずはっさくバージョン。

ちょっと甘いけれどすごくおいしい💛

近いうちに紹介します(^^)/

 

迷走する帝国──ローマ人の物語[電子版]XII

ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」(塩野七生 著)の記事、

続きです。

三世紀の危機と言われる時代、

22人の皇帝が現れては消えていきました。

前回11人紹介し、今回は12人めの皇帝から。

 

◆デキウス(A.D.249年~251年)

先帝フィリップスのときの首都長官。

ゲルマン民族(ゴート族)の大侵入で戦死。

 

◆トレボニアヌス・ガルス(A.D.251年~253年)

遠モエシア属州の総督。

 

侵入してきたゲルマン民族は陸上の民だったが、

海賊となり海側から攻めてもくるようになった。

平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を

失うことになりかねないという「パクス・ロマーナ」の

逆説的な現象が、現れ始めたのは海上だけではなかった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

エミリアヌス、ヴァレリアヌスとの皇帝位争いで負け

殺される。

 

◆ヴァレリアヌス(A.D.253年~260年)

ゲルマニア防衛軍団の司令官。

ササン朝ペルシア王シャプールⅠ世の捕虜となり、

のちに獄死。

この様子が表紙のレリーフのモチーフになっています。

 

ローマの兵士たちはペルシアの公共工事に従事させられました。

自分たちを捕虜にしている国のインフラストラクチャー

整備を命じられた当のローマ兵たちは、どんな想いで

いたのであろう。(中略)ローマの名に恥じない本格的で

堅固なものを建ててやろうではないか。たとえそれが

敵の利になろうとも。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国三世紀後半”より)

ローマ兵の気概を感じます。

 

ガリエヌス(A.D.253年~268年)

ヴァレリアヌスの息子。

ローマ帝国はついに三分割される。

(東にパルミア王国、西にガリア帝国)

 

人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、

残された者同士の団結ではなく、分裂である場合が圧倒的に多い。

束ねる役割を果していた存在が消滅したことによって、

それまで自分たちよりは上の存在によって束ねられていた

人々は、いったんはバラバラになるしかないのかもしれない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

 

このときできたパルミラ王国。

王位は息子にあったが、実権を持っていたのは母のゼノビアだった。

同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、女とは

権力を手中にするやいなや、越えてはならない一線を越えて

しまうのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

うーん、私も残念です。古代の女性の地位なんて今とは雲泥の差で

しょうから、教育も訓練も受けていないし、仕方がないのでは

とも思います。

でもこのゼノビアさん、後のアウレリアヌス帝の時代、

パルミア王国が統合され、ローマに連れて来られますが殺されず、

別荘で優雅に余生を送るんです。

 

兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、

政治とは何たるかを知らなくても立派に職務は果せる。

しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、絶対に政治は

行えない。軍人は政治を理解していなくてもかまわないが、

政治家は軍事を理解しないでは行えない。

(中略)

ガリエヌスの後に輩出してくる軍人皇帝たちを見ても、

軍人としての能力では優れているにもかかわらず、

政治家ではなかった。この事実が実証するように、

以後のローマ帝国は、軍事もわかる政治家、政治もわかる軍人、

を産まなくなってしまう。これもまた、ローマの非ローマ化、

の一つであるのだった。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

完璧な政治家なんて今までも数は限られる。

長い統治の間に学んだり、よい宰相に恵まれたりして何とか

やってこれた場合も多いはずだ。

1年や2年では何もできないに等しいし、味方の部下が

敵になるようではどんな人でも難しいだろう。

 

ガリエヌス帝は騎兵隊長により暗殺される。

 

クラウディウス・ゴティクス(A.D.268年~270年)

ガリエヌス帝のときの騎兵隊長。

ゴート族の侵入を撃破したが、疫病で死ぬ。

 

◆アウレリアヌス(A.D.270年~275年)

騎兵隊の総司令官。

三分割されていたローマ帝国を再統合するが、

秘書が手引きした将官たちによって暗殺される。

 

タキトゥス(A.D.275年~276年)

後継者が決まらず、皇帝空位が5ヶ月続いた末、

元老院が指名。既に75歳。

行軍中に病死。

 

◆プロブス(A.D.276年~282年)

シリア・エジプトの総司令官。

 

反乱を起こしては結局は失敗した例を見ていて感ずるのは、

この人々にはいくつかの共通点があるということである。

第一に、反乱を起こすに際し、自分の指揮下にある将兵たちの

支持を確保するのに、さしたる努力も払っていない。

(中略)

第二は、妻とか側近とかの、他者にそそのかされて、という

ケースが意外に多い。

(中略)

自分の意志ではなく、なんとなくという感じで大事に手を染めて

しまうのも、国の衰退期の特徴の一つである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

これは読んでいて一番残念に思うことだ。

皇帝も部下も兵士もみな疑心暗鬼になっている。

自分が殺したように殺されるのだ。(゚д゚)

 

この時期の統治する側と統治される側の距離が、

限度を越えて短縮していたことを示している。

彼ら軍人出身の皇帝たちは、行ってみれば実力重視政策の

成果であった。

(中略)

だが、正当であるのは明らかな実力重視政策だが、

人間世界すべてのことと同じに、利点があれば欠点もある。

実力主義とは、昨日まで自分と同格であった者が、

今日からは自分に命令する立場に立つ、ということでもある。

この現実を直視し納得して受け入れるには相当な思慮が

求められるが、そのような合理的精神をもち合わせている

人は常に少ない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

これはどうなんでしょう。

現代では同期入社の者が自分の上司になる、ということでしょうか。

リーダーでありつづけることは、相手が感性に左右されやすい

人間であるだけにむずかしい。親近感をもたれながら、

距離感もいだかせる必要があるのだから。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第二部 ローマ帝国・三世紀後半”より)

確かにそうでしょうね。

 

プロブス帝は、荒廃した土地を再び耕作地にするための

工事視察中に兵士に殺される。

 

◆カルス(A.D.282年~283年)

軍が元老院の意向は聞かずに即位を決める。

近衛軍団長官。

ペルシア戦役中、砂漠で落雷に遭い死ぬ。

落雷とは驚きました(゚д゚)!

 

◆ヌメリアヌス(A.D.282年~283年)

カルス帝の次男。 カルス帝と共同統治。

馬車の中で暗殺される。

 

◆カリヌス(A.D.282年~284年)

カルス帝の長男。 カルス帝と共同統治。

部下に裏切られ暗殺。

 

ここで3世紀の主な皇帝22人が終わりました。

カリヌス帝のあとは、私の記憶にも残っている

ディオクレティアヌス帝の治世となります。

それは次巻13巻で。

 

(余談)

13という数字をローマ数字に変換しようと思いましたが

できませんでした。

Ⅻ(12)まではできるのに。

調べると、ローマ数字は時計文字として登録されているため、

12までしかないそうです。

かっこ悪いけれど、どうしても使いたいならⅩⅢとするしか

ありません。

残念です。(笑)

 

マンションの大掃除

今日は午前中に住んでいるマンションのクリーン大作戦が

ありました。いわゆる大掃除です。

例年、3ヵ月に1度の頻度で行われていましたが、

コロナで去年からほとんど中止でした。

今日は2年ぶりくらいの参加になりました。

 

掃除といっても、今はほとんど落ち葉掃きです。

大きなゴミ袋がいっぱいになりました。

 

参加者には飲み物がもらえます。

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私は緑の伊右衛門をもらいました。

 

午後は廊下の面格子の掃除をしました。

これは毎年難儀するのですが、今年は台風の影響がなく、

あまり汚れていませんでした。ラッキー(^^)v

古歯ブラシと痛んだタオル、100均で買った「サッサ」みたいなの、

を駆使(というほどでもないが)してがんばりました。

次はベランダと窓ガラスです。

ぼちぼちがんばります(^^)/

 

「ローマ人の物語Ⅻ」を読みました その1

いいお天気🌞

大掃除日和だけど、何もしていません・・・💦

だんだんお尻に火が付いてくる・・・🔥

 

迷走する帝国──ローマ人の物語[電子版]XII

ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」(塩野七生 著)を読みました。

全15巻の12冊め。

今巻を入れてあと4冊になりました。

今年中にできれば完読したかったのですが、さすがに無理でした。

 

この表紙は、ローマの皇帝が生きたままで敵の手に落ちる

場面を表したレリーフ(浮彫)だそうだ。

今までも国の危機は幾度もあった。けれどー

自分たち本来の考えなりやり方で苦労しながらも危機を

克服できた時代のローマ人と、目前の危機に対応することに

精いっぱいで、そのためには自分たちの本質まで変えた結果、

危機はますます深刻化するしかなかった時代のローマ人、の

ちがいであると言ってもよかった。

この巻以降のローマ帝国は、もはや明らかに、後者のタイプの

危機に突入して行くのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“読者に”より)

 

衰退していくさまを見ていくのはなかなか辛い。それは作者の

塩野氏が一番感じることだろうと思う。

第Ⅺ巻からはじまった私のローマ帝国滅亡史も、各民族の

衰亡に共通する要素を探し求めるよりも、ローマ人の衰退のみを

直視して、その要因を探し求めることのほうに集中したい。

なぜなら、史上最大で最長の生命を保った大帝国ローマの衰亡の

要因を知ることさえできれば、それは、他の国の衰退の要因を

探る場合でも、計器にはなりうると考えるからである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“読者へ”より)

この気持ちで私もこの巻を読んでいきたいと思います。

 

ローマ浴場の名で知られるカラカラ帝の時代になったところで

終った前巻。

ローマ史上“三世紀の危機”と呼ばれる約70年間は、

カラカラ帝の即位 A.D.211年から、カリヌス帝即位のA.D.282年

までのあいだに22人の皇帝が入れ替わった時代でした。

ほとんどの皇帝が暗殺、謀殺で亡くなっています。

70年間で22人は平均すれば1人あたり約3年で、たいしたことは

ないのではと思われますが、実は大きな変化でした。

紀元1世紀は、128年間で9人の皇帝。

紀元2世紀は、約110年間で6人の皇帝だったのです。

ローマ市民としては、とにかく落ち着かなかったのではと

思います。

 

◆皇帝カラカラ(A.D.211年~217年)

先帝セプティミウス・セヴェルスの息子。

カラカラ帝の行った過ちへの一歩は“アントニヌス勅令”と呼ばれる

法律です。

簡単に言えば、誰でもローマ市民になれるという法律。

一見、みんな平等になり良さそうです。

ローマ人は「市民権」を、アテネ人のように「血」が同じで

あることを基盤にしたものではなく、「志」とか「意欲」で

つながるものと考えていたからだろう。それゆえ、敗者でも

ローマという「共同体」を守(も)り立てていくうえで

協力を惜しまない人ならば、市民権を与えることで

自分たちと同格になる資格は、充分にあると考えていたのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

「市民権」に対するローマ人の開放的な考え方は、ヒューマンな

感情から生れた思いつきではまったくない。敗者同化は、

ローマ人にとっては、帝国運営上の「政略」であった。だからこそ、

帝国創設時にカエサルアウグストゥスの二人が考え実施した

この開放路線が、その後の皇帝たちにも引き継がれていったのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

ローマ人にとって、市民権は取得権であり、目標であり誇りでも

あったのだろう。

それが既得権になってしまった。

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。

現代の投票時の棄権率の高さも、これを実証する一例になるだろう。

なぜなら、実利が実感できないからだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

カラカラによって、ローマ市民権は長く維持してきたその魅力を

失ったのである。魅力を感じなくなれば、市民権に附随する

義務感も責任感も感じなくなる。そしてそれは、多民族多文化

多宗教の帝国ローマが立っていた、基盤に亀裂を生じさせることに

つながった。誰でも持っているということは、誰も持っていない

と同じことなのだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

法律上 平等になったのに、市民のあいだには階級が生まれ、

社会の流動性が失われた。なんとも皮肉なことだ。

人間は所詮、全員平等でいることには耐えられず、何かで差別

しなければ生きていけないのかもしれない。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

悲しいなぁ・・・

 

カラカラ帝はパルティア王国の王女に求婚したが、それが不評。

皇帝付きの近衛軍団長官マクリヌスにより謀殺される。

 

◆皇帝マクリヌス(A.D.217年~218年)

カラカラ帝の母であるユリア・ドムナの妹(つまりカラカラのおば)

ユリア・メサが陰謀を企て、マクリヌス帝は逃亡中に暗殺される。

 

◆皇帝ヘラガバルス(A.D.218年~222年)

ユリア・メサの長女の息子(カラカラ帝からすると従姉妹のこども)。

シリア育ちで、ローマにオリエント(東方)式を持ち込んだ。

品性を欠いた行動のため、近衛軍団長官により謀殺される。

 

◆皇帝アレクサンデル・セヴェルス(A.D.222年~235年)

ヘラガバルス帝の従兄弟。

皇帝と元老院にあった司法上の最終決定権を、各属州の総督に

委譲するとした法の成立によって、ローマ人は控訴権を失う

ことになった。

この変化が、皇帝の仕事の軽減を図るなどという浅はかな考えの

結果ではないにちがいない。ましてや、二十年後になって

表面化してくる、キリスト教台頭の弾圧策でもないはずだ。

現実的に処理不可能になったがゆえの権限委譲、であったのでは

ないか。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国三世紀前半”より)

市民権が拡大し、控訴権の対象が増えたからだというのだ。

先帝、先々帝の過ちがだんだん傷を広げていく。

アレクサンデル帝はゲルマン人の侵入に経済援助で対抗しようとし、

マインツの兵士に暗殺される。

この若者には、困難な事態への対処には不可欠の柔軟性と、

必要とあれば悪にさえも手を染める決断力が欠けていた。

善良で責任感が強いだけでは、リーダーは務めきれないのである。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国三世紀前半”より)

ごもっともで。

 

ここからは、約50年にわたる軍人皇帝(軍人出身の皇帝)の

時代となる。ローマ帝国の衰退がこれら軍人皇帝たちの輩出に

起因すると評判が悪い。

しかし・・・と塩野氏は言う。

しかし、その要因を軍人出身の皇帝たちだけ帰すのも納得できない。

カラカラもアレクサンデル・セヴェルスも、ミリタリー(軍団で

キャリアを重ねた者)ではなくシビリアン(元老院出身者)に

属す皇帝だったが、そのシビリアンがローマの衰退を促す種を

蒔いたのではなかったか。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

◆皇帝マクシミヌス・トラクス(A.D.235年~238年)

軍団が自分たちの司令官を、元老院の意向など無視して

皇帝にかつぎあげた。

実力はあったが品格がないと元老院は反感を持ち、

国家の敵と決議される。

人気も実力のうちだが、その実力だけでは占める地位は

正当化されない。地位の正当化には、実力に加えて正統性

が求められる。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

本国イタリアに入る前に、マクシミヌス側の兵士に殺される。

味方の兵士に・・・もう誰が敵か味方かわからなくなってくる・・・

 

◆皇帝ゴルディアヌスⅠ(A.D.238年)

◆皇帝ゴルディアヌスⅡ(A.D.238年)Ⅰ世の息子

アフリカ属州の総督だった高齢の父と共に即位。

しかし、隣のヌミディア属州の軍団が擁立に反発。

Ⅱ世は戦死、Ⅰ世は自殺。(ともに帝位1ヵ月)

あっという間です。

 

◆皇帝パピエヌス(A.D.238年)

◆皇帝バルビヌス(A.D.238年)

共同統治の予定だったが、元老院が二皇帝のどちらにつくかで

割れ、混乱。将兵たちに二皇帝とも殺される。

何が何やら・・・

 

◆皇帝ゴルディアヌスⅢ(A.D.238年~244年)

ゴルディアヌスⅠ世の孫。

ペルシア戦役の冬営中、近衛軍団長官フィリップスが

金で買収した兵士に殺される。

皇帝を警護する軍団が近衛軍団ですから、これも味方の

はずなんですけど。

 

◆フィリップス・アラブス(A.D.244年~249年)

アラブ人初の皇帝。

不満をもった兵士にかつがれた軍と対峙し、自殺。

 

無駄な争いや戦争は、お金も人材も無駄になり、

国土も荒れ、市民、兵士の士気が下がる。

全ての持てる力が削がれていく。

哲学や芸術面ではギリシア人に及ばず、体力では肉食民族の

ガリアやゲルマンの民に劣り、技術でさえもエトルリア民族の

教えを受けることで、あれほどのインフラストラクチャー

完備を可能にした技術立国になり、経済の才能でもカルタゴ

ユダヤの人々にはるか及ばなかったのがラテン民族だったが、

そのローマ人がこれらの諸民族を傘下に収める大帝国を

築きあげ、しかも長期にわたってその維持に成功してきた

真因は、実にこの持てる力の合理的で徹底した活用への

執着、にあったのだ。

(「ローマ人の物語Ⅻ」“第一部 ローマ帝国・三世紀前半”より)

 

私は最初、ローマ市民はコロコロ皇帝が変わって、

落ち着かなかったのでは、と書きましたが、

落ち着かないどころか、これではとても不安であったろうと

思います。

一つの緩みが別の緩みをもたらし、どんどん広がっていく。

ネジを一つ一つ締め直してももう追いつかない。

 

前半の11人の皇帝を挙げただけでそこそこの量になったので、

後半の11人は次回に回します。

 

大変ややこしく小難しい内容をできるだけわかりやすく、

と思いながらやっぱりややこしくなってしまったことを

お詫びします。<(_ _)>

 

「貘の檻」を読みました

だんだん年末の気分になってきました。

コープの配達のお兄さんに、「このカタログが年内最後です」

と言われて。

かかりつけの医院で、年末年始の休診日を聞いて。

今年最後の美容院で、「来年もどうぞよろしく」と

挨拶して。

この2年、何の進歩もなく、終わってしまいました。

遅々とした進みでも、前に進んでいたいんだけど。

 

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「貘の檻」(道尾秀介 著)を読みました。

文庫本はこちら。 ↓

貘の檻(新潮文庫)

 

道尾氏の本をいくつか続けて読んでいます。

図書館の書棚で見ても、タイトルに生き物の名前が入っている

ことが多く、おもしろいと思いました。

この本にも獏*1という動物の名前が含まれています。

 

漢字で書く「獏」は中国由来の伝説上の生き物で、

顔は鼻の短いゾウみたいで、体はイノシシみたいな感じです。

獏は夢を食べると聞いたことがありますが、ウイキペディアを

見ると、元々中国唐代では病気や邪気を払うと言われていて、

屏風に獏の絵を描いたり、獏の絵を枕の下に敷いたりしたそうです。

それが日本に伝わって、「悪を払う」が「悪夢を食べる」と転じた

という説があります。

実際室町時代には、宝船の帆に「獏」という字を書いたり、

獏枕という獏の形をした枕が作られました。

 

実在の動物 バクは、この「獏」に似ていることから付けられた

そうですが、逆の説もあります。(実在のバクから伝説の獏がうまれた。

私はこっちと思っていました)

私は動物園でマレーバクを見たことがあります。

細いブタな感じの体で、鼻がやや長く伸びています。

 

悪夢を見たときは「ゆうべの夢は獏にあげます」と3回

唱えるとよい、というおまじないがあるそうですが、

私は知りませんでした。

それほど恐ろしい悪夢を見たことがないというのも

ありますし、目覚めたときは覚えていてもそのうち忘れて

しまうというのもあります。

この小説のモチーフのひとつがまさに悪夢です。

 

主人公の大槇辰男(おおまきたつお)は、仕事を辞め、

妻と離婚し、息子の俊也(しゅんや)とは面会日のみ会える

日々だ。

不整脈がきっかけで飲むようになった心臓の薬が、

長年苦しんできた悪夢の記憶を薄れさせる効果があることに

気がつき、以来辰男は依存している。

しかし、悪夢は辰男の過去の出来事と関係があるのではと思い、

妻の留守中預かることになった俊也と共に、

昔住んでいた長野県の寒村に向かう。

 

オーソドックスなミステリーだと思いました。

怪しそうな人がやっぱり怪しくて、謎もすっかり明らかに

なってすっきりします。

でも・・・

すべてが少しずつ違っていた。

誰もが少しずつ思い違いをしていた。

(「貘の檻」“終章 貘の檻”より)

せいで、誤解が誤解を生み、謎の解決には犠牲が大きく

なりました。

何といっても、悪夢の描写が怖い・・・気持ち悪い・・・

こんな夢を見たら誰でも平常心を失うだろうと思う。

獏に悪夢を食べてほしいとずっと願っていたら、

獏は夢を食べてどんどん大きくなり、しまいには自分まで

食べられてしまうのか・・・

 

辰男の悪夢と薬物依存については、希望を感じさせるラストで

じ~んとしました。

悪夢の檻から出て、自由になれる日が来るといいな。

息子 俊也のためにも。

 

*12/10・12/12 加筆修正しました

*1:本のタイトルは貘となっていますが、記事では異体字の獏を

使っています

クリスマス イルミ

近所のショッピングセンターのクリスマスイルミネーションです。

でも夜に出かけないので、昼の写真。

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上の柵にトナカイがいます。

 

やっぱり夜でないと雰囲気がでませんね(笑)

「最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華」を読みました

少し前から準備を始めていた年賀状のデザイン。

今日やっと印刷できました。

年々枚数が減り、宛名は手書きできる枚数なので空き時間に

がんばります(^^)/

 

最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華 (角川文庫)

「最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華」(椹野道流 著)を

読みました。

「最後の晩ごはん」シリーズ第2巻。

今巻の主役は、「ばんめし屋」の常連である小説家の

淡海五朗(おうみごろう)さんです。

 

前巻を読んだときからタイトルの意味を考えていましたが、

どうも登場人物以外の人物に関係しているのではと

思えてきました。

登場人物以外の人物とは?なんじゃら?

 

実は「ばんめし屋」にはときどき幽霊がお客として

やってきます。👻

店長の夏神留二も、店員として働く五十嵐海里も

幽霊が見える!という特別な?眼を持っています。

このお客の幽霊に、前巻ではだし巻き卵を、今巻では

冷やし中華を「最後の晩ごはん」として出し、

幽霊は満足して消える・・・というわけです。

 

幽霊と人間、実はこの中間?というべき存在も登場します。

見えている世界が限られた小さいものだということを

この物語は気づかせてくれました。