もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

大相撲初場所

今日はお相撲の話をします。

ブログではあまりスポーツの話を書きませんでした。

タイガースのことや、オリンピックのことに触れた程度だと

思います。

でも私は、スポーツのテレビ観戦が大好きです。

これは子どもの頃からです。

テレビで中継されるスポーツは、ほとんどといっていいほど

見ていました。

スポーツではないかもしれませんが、競馬を見るのも

大好きです。

 

ただ、人それぞれ贔屓のチームや選手があって、トラブルとまで

いかなくても、嫌な思いをする人がいてもと思って、

あまり積極的にスポーツの話をすることはありませんでした。

 

体育の成績はよくて3、ほとんど2だった私が、どうして

こんなにスポーツ観戦が好きなのか自分でも?ですが、

スポーツ観戦は私の一部のようなものなので、これからは

書いてみることにします。

 

さて、お相撲。

皆さんはお相撲、ニュースなどでご覧になったことがあるでしょう。

1月は初場所で、徳勝龍という奈良の力士が幕内優勝しました!

今、大相撲はちょっと世代危機的なことになっていて、

横綱が休場、大関豪栄道がカド番を負け越して陥落となり、

場所後に引退発表、先場所大関を陥落した高安も負け越し、

大関復帰がなくなりました。

横綱大関は昇進に基準があるので、なかなか簡単に上がることが

できません。

番付上位に強いお相撲さんがいないというのは、番付の下の

力士にとってはチャンス到来ですが、見ているファンとしては

物足りない部分もあります。

 

さて、奈良出身の徳勝龍の優勝はうれしかったですが、

初場所で一番うれしかったのは、序二段で宇良が優勝したことです!

宇良は以前は幕内で相撲を取っていた力士だったのですが、

大怪我をして今場所は序二段まで落ちていました。

大相撲の番付は、上から幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口

となっていて、下から2番目になります。

ここまで落ちたけれど、優勝したんです。

千秋楽に表彰があって、久しぶりに宇良の相撲(VTR)を見ました。

(普段、序二段の相撲は地上波では見られません)

膝に頑丈なサポーターが巻かれていましたが、体も大きくなって

相撲も少し変わっていました。

勝気な顔つきは変わらず、ほっとしてうれしかったです。

これからも応援したいと思います(^^)/

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「なにわの企業が集めた絵画の物語」展へ 続き

今日は冷え込んでいます⛄ 冬はこんなもんなんだろうけど、

今までが暖かすぎてこんな寒さでもこたえます・・・

ちょっとみぞれのようなものも降りました☔

 

1/28(火)に行ってきた「なにわの企業が集めた絵画の物語」展。

   ↓

入場料は500円。

展示場はenoko(大阪府江之子島文化芸術創造センター)の4階です。

写真はパンフレットですが、それとは別に鑑賞ガイドという冊子を

もらえます。

展示されている作品の写真と解説が載っています。

 

関西の企業が保有している芸術作品を集めた展覧会ということで、

普段なかなか一般には見れない作品を見ることができます。

会社のロビーや社長室👀や応接室🍵に飾られている作品も

多く、企業のイメージに合ったものが選ばれているらしいです。

ほお~

 

今回展示されている作品の中では、

東郷青児やマルク・シャガール、ベルナール・ビュッフェが

よかったですね。

 

今、中之島に新しい美術館が建設中で来年開館予定です。

名称は大阪中之島美術館といいます。

たぶん、大阪万博の宣伝とや文化都市のアピールもあるのでしょう。

鑑賞後アンケートに答えたら、招待券をもらいました。

うーん、カフェのサンドイッチは魅力だけど、展示をもう一度見るのは

もういいかな・・・

 

このenocoという施設は、部屋の貸し出しをメインにしていて、

アーティストの展示場やワークショップ、イベントに使われています。

無料で入れる展覧会もあり、昨日も1階で

大阪府20世紀美術コレクション展 ココロヲウツス」という

写真展を見てきました。

麥生田兵吾(むぎゅうだひょうご)という写真家でした。

なんと感想を書いたらいいのやら・・むずかしいです。

写真以外にも小物を使って、一つの風景?として展示してある、

というか。

うーん、やっぱり言葉ではうまく伝えられません・・・

芸術はむずかしいですね。

 

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enocoの建物について調べました。

大阪府庁跡の碑がありましたが、この建物自体は府庁ではなく、

実際の位置もenocoの北側だったようです。

初代大阪府庁は今のマイドームおおさか中央区本町橋)に1868年設置。

二代目府庁が1874年、enocoの北側に移転しました。

その頃、江之子島(えのこじま)は木津川と(当時の)百間堀川のあいだの

中洲、文字通り「島」でした。

戦後百間堀川が埋め立てられ、島ではなくなりました。

 

1926年、大手前に三代目大阪府庁舎が完成し、

二代目府庁は大阪府工業奨励館となりました。

enocoの建物は、そのときの附属棟として建てられた工業会館。

二代目府庁はドームの付いたモダンな建物でしたが、戦争の空襲で

焼失しました。

残ったこの工業会館が今のenoco。

 

阿波座阪神高速の合流地点で車通りの多いところですが、

街並みは割と古く、ちょっと人の集まりにくいところだと

思います。

どうしてもインバウンドの観光客向けの街作りにになりがちですが、

古い大阪も見直してほしいですね。

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虎屋のういろ

「うまいもんまつり」の記事に戻ります。

第3弾は虎屋のういろです。

虎屋は三重県伊勢市のういろ屋さんです。

すごく種類が多くて、定番で10種類。他に季節商品もあり。

(小倉、栗、桜、白、抹茶、黒、こしあん、虎、よもぎ、伊勢茶栗)

迷った末に、季節商品の節分ういろにしました。 ↓

(半分食べた後です・・・<(_ _)>)

桜と抹茶のういろの重ねにうぐいす豆をちりばめたもの。

消費期限は2日。おいしかったです👄

 

虎屋は、大正12年創業。当初は和菓子全般を販売されていましたが、

昭和13年にういろ専門店になりました。

伊勢地方では、黒砂糖で作られたういろが昔からあったそうです。

 

ういろ(外郎)については、以前記事にしました。

  ↓

 https://moricchan24.hatenablog.com/entry/20160220/1455975156

 

名古屋名産の青柳ういろうはよく食べます。

虎屋は近鉄百貨店によくお店が出ます。あべのハルカス店で何度か見ました。

やっといただけてうれしかったです🎵 

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「なにわの企業が集めた絵画の物語」展へ・カフェ編

今日は通院日でした。終了後自転車を駅前の駐輪場にとめて、

ちょろっと阿波座まで行ってきました。

テレビで見た「なにわの企業が集めた絵画の物語」展へ行こうと

思い立ち、スマホで調べながら・・・

阿波座までは、阪神電車で野田まで行き、大阪メトロ千日前線

野田阪神から阿波座まで乗ります。

 

阿波座はちょっと懐かしい駅。

大学卒業後就職した会社のあった場所です。

3年くらいで退職しましたが、バブル崩壊の前につぶれて

しまったとその後聞きました。

 

会場の大阪府江之子島文化芸術創造センター(通称enoco)は

その会社のあった西本町とは反対方向にあります。

何やら大仰な建物だと思ったら、ここは昔大阪府庁のあったとこ

らしいです。その建物が生かされているのかは、また調べます。

今日は、展覧会の前に入った地下のカフェで食べたランチを

アップします。

 

「CORAL PARLOR enoco」というカフェ。

カレー、サンドイッチ、ピザに飲み物(コーヒー、ティー、ビール、ワイン)

などのメニュー。

私はフィリーチーズステーキサンドとアイスコーヒーのセットにしました。

(計 1010円)

長ーい名前のサンドイッチ、フィリーチーズステーキサンドは ↓

フィラデルフィア庶民の味。

イタリアの長いパンのホーギーロールに、炒めた薄切り牛肉と

たっぷりの溶かしチーズを挟んだサンドイッチ。

 これ、すごくおいしかったです!

牛丼の具みたいな味付け(甘辛い)の牛肉とタマネギで、

チーズはその温かさでだんだん溶けてくる。

パンがまたおいしい👄

このホーギーロールって何? ←これも調べよう✋

 

アイスコーヒーのカップに ↓

手書きの文字が描いてありました!

「good day 🌞」

ほのぼのしました。こういう工夫はいいですね💛

 

ほっこりしたあと、展覧会へ。

それはまた次回。

 

安岡蒲鉾の宇和島じゃこ天

 冷たい雨が降っています。

いわゆる台湾坊主、南岸低気圧がやって来ています。

うーん、やっぱり3月くらいの天気だなあ・・・

 

うまいもんまつり第2弾は、

安岡蒲鉾の宇和島じゃこ天です。

濃い茶色の方がじゃこ天、白っぽいのは身天(みてん)。

1枚を3つに切っています。

5枚で1000円ほど。

 

愛媛の松山に行ったとき、「じゃこカツ」を食べました。

じゃこ天のパン粉揚げバージョン(実はちょっと違う)。

ちくわなどこういう練り製品は原料とつなぎの割合によって、

食感や歯ごたえ、風味が変わってきますね。

好みはあるでしょうが、じゃこ天はそれが程よくて好きです。

 

小さな魚(雑魚)を原料とすることから、「雑魚天」が転じて

じゃこ天と呼ばれるそうです。

1匹ずつでは売り物にならない雑魚を活用したのが、そもそもの

始まり。

 

じゃこ天

宇和海で捕獲される鮮度の良い「ほたるじゃこ」(別名 はらんぼ)

を主原料とし、「おきひいらぎ」「あじ」など近海小魚100%を

1匹1匹手作業で丁寧に解体し、昔ながらに石臼で練り上げ、

菜種油で揚げて作る。

 

身天

宇和海で捕獲された「まえそ」「ぐち」を1匹ずつ手作業で解体

し、すりみを石臼で練り上げて菜種油で揚げて作る。

 

じゃこ天ができるまで

原料選び

季節ごとの旬な魚を使用するのも美味しさの秘訣。

魚の配合がすり身の粘りや弾力など大きく影響するので、

どの魚をどれくらい配合するのかが職人の腕の見せ所です。

海が穏やかな宇和海には季節に応じてイサキやトビウオなど

美味しい魚が目白押しです。

        ↓

頭落とし

魚の頭を落とす作業工程のこと。魚の身質や鮮度を確かめながら

1匹1匹手作業で魚をさばきます。

        ↓

すり身

魚の頭を落としてウロコと内臓をきれいに取り除けるまで

洗います。

その後よく冷却しミンチをかけます。

皮も骨もミンチにかけるので鼠色になって身が出てきます。

カルシウムが豊富でとてもヘルシーです。

        ↓

擂潰(らいかい)

魚肉を擂りながら味付けをしていく行程。

ミンチにかけた魚を石臼と杵で練っていきます。

魚の繊維を壊さずに擂ることのできるザラザラとした表面と

作業による温度変化が少ない石の性質は、きめ細やかな

すり身を作るのに適しています。

       ↓ 

手押し

すり身を木製の型枠に入れて成形します。

       ↓

揚げる

成形したすり身を菜種油で揚げます。

 (ホームページとパンフレットを参考にしました)

 

宇和島のじゃこ天の歴史、これはかまぼこの歴史を紐解かないと

いけません。

宇和島のかまぼこの歴史は古く、1615年宇和島藩の初代藩主伊達秀宗

仙台から職人を連れてきてかまぼこを作らせたのが始まりだと

言われています。

江戸時代にはすでにかまぼこは商品化されていたといいます。

かまぼこの歴史、調べるとすごくおもしろいけれど、何回シリーズになるか

わからないくらいの広がりと深さで・・・

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(なんとじゃこ天のフリーイラストもあった!)

そのまま食べてもおいしいですが、

私はオーブントースターで軽く焼き、生姜醤油やポン酢で

いただきました。

 

柳原惣門跡

1月最後の週になりました。

なぜかわかりませんが、1月 例年より長い気がします。

1月~3月までは「いって、逃げて、去って」とあっという間に

過ぎてしまうと言いますが・・・

ちょっと若返ったのかしら( ^ω^)・・・んなアホな。

 

「うまいもんまつり」の記事をちょっと休んで、

後回しにしていた「柳原惣門跡」の記事を書きます。

 

兵庫七福神めぐりの最後、柳原蛭子神社の西に

「柳原惣門跡」がありました。  ↓

柳原蛭子神社はJR兵庫駅の東側、JR線の海側にあります。

こういう遺跡の説明、きちんと読まなかったり、読んでもよく

わからなかったりで、素通りすることが多かった。

これからは、少し調べてみることにしました。

 

柳原惣門は兵庫津の西惣門であり、兵庫城の外郭の門の一つとして

築かれたと推定されている。

 

さて、わからない言葉が続々・・・

この時点で少し気分が萎えます・・・

まず「惣門」は ↓

屋敷の外囲いにある大門、正門のこと。

江戸時代、最も重要な街道筋には惣門が置かれていた。

そして、改め番所で往来を監察した。

ふんふん。 

「兵庫津」は ↓

兵庫津は、平安時代末に平清盛日宋貿易のために整備し、室町時代には

足利義満日明貿易の拠点として栄えた港である。

元は行基が設けた摂津五泊(摂津国播磨国にかけての5つの港)の

一つ、大和田泊で知られていた。

江戸時代には兵庫津と呼ばれ、西国各地から大坂入りの船舶の寄港地

として賑わった。

今のことばで言えば、「兵庫港」ということかな。

ここまでまとめると、

柳原惣門は兵庫港の西側の大門ということ。 

 

西側に大門があったなら、東側もあったよね、たぶん・・・

というわけで調べると柳原惣門よりJR線に沿って東へ行くと。

八幡神社があり、そのあたりが「湊口惣門跡」

になります。(実際に碑もあります)

湊口惣門が兵庫港の東の玄関口。

 

そしてちょうど「清盛くん像」があるあたりに、かつて

兵庫城があったのでした。

兵庫城ができたのは、1581年。

織田信長軍の武将、池田恒興が信長より兵庫の地を与えられ、

城を築きました。

しかしわずか2年で兵庫城下は豊臣秀吉の直轄地となり、

兵庫城は代官の名を取って、片桐陣屋と称されました。

1615年大坂城落城後は、尼崎藩に組み込まれ、

1769年兵庫津一帯は天領になり、陣屋は勤番所に改築。

明治時代になり、勤番所が初代の兵庫県庁になり、伊藤博文

初代兵庫県知事として赴任しました。

土塁だけが残っていた兵庫城跡は、1874年兵庫港の大幅改修

により破壊されてしまいました。

 

ちなみに、当時の兵庫城、私たちが一般にイメージする

天守閣のある城とは違うようです。

興味のあるかたは調べてみてください。

 

兵庫城はたった2年で事実上役目を終えたのですね~

短いけれども、歴史は古い。

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 ↑ 一般的な城のイメージ (無料イラストより)

 

ちなみに私は高所恐怖症なので、お城に登るのは苦手です。

遠くから見るのがいいです。

と言いながら、姫路城には登りました。

一番怖かったのは松本城です。たぶん今は登れないでしょう。

○○タワーというのもだめです。

VRバーチャルリアリティー)を使って、地べたで上から見た景色を

見られたらいいなあと思います(笑)

 

崎陽軒のシウマイ

「うまいもんまつり」にはバルコーナーがあり、

地ビールやフルーツサワーも販売していて、その場で

駅弁やうまいもんを食べることができます。

(立ち食い、立ち飲みです)

お昼間でもいっぱいでした。

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午後3時からはバルチケット(800円)の販売があり、

ビールor日本酒 + 対象のお店の一品が選べます。

(例)ビールが1杯501円~で、チキン南蛮450円

なので、お得ですね。

 

では、私が選んだうまいもんを紹介します。

ひとつめは、崎陽軒(きようけん)のシウマイです。

人気のお店でしたね~

私が買ったのは、当日消費期限のあつあつバージョンでしたが、

他に真空パックの常温保存できるタイプもありました。

肉まんやあんまんも人気でした。

ちょうど私の前の人で「できたて」がなくなり、

次の「できたて」まで5分待ちました。

 

開けると、こんなんですよ。

 

崎陽軒のシウマイ、とても有名ですが、私は初めてです。

ひとつひとつは小さくても、むちっと身が詰まっていて

歯ごたえもあり、うん、おいしい👄

 

崎陽軒とシウマイについて調べました。

私が買ったのはシウマイの単品ですが、横浜駅の有名駅弁に

シウマイ弁当があります。

崎陽軒は横浜の会社なんですね。

ホームページによると、 ↓

 

創業は1908年(明治41年)。

4代目横浜駅長だった久保久行さんが、退職後に妻

コトさん(旧姓野並)の名で横浜駅構内営業の許可を得たのが始まり。

当時の横浜駅は現在と位置が違い、現在の桜木町駅付近だった

そうです。

初代横浜駅で売っていたのは、牛乳やサイダー、餅、寿司などで

シウマイが登場するのはずっと後です。

 

1915年(大正4年)、初代横浜駅が移転し、2代目横浜駅

できたのに合わせて、匿名組合崎陽軒を設立し、駅弁の販売を開始。

1923年(大正12年)、合名会社に法人化。

関東大震災後の復興のため、駅頭で牛丼やカレーライスを販売して

旅客供食に努めた。

 

1928年(昭和3年)

横浜駅は東京駅から近く、駅弁の販売には不向きだった。

横浜名物を作りたいと、南京街(現在の中華街)を探索し、

突き出しとして提供されていたシューマイに着目。

冷めてもおいしいことにこだわり、南京街の点心職人をスカウトし、

豚肉と干し帆立貝柱を混ぜ合わせたシウマイを完成させた。

 

ここで初めてシウマイが出てきました。

 

1946年(昭和21年)、横浜大空襲(1945年)により全てをなくした

崎陽軒だったが、KY食堂の名で横浜駅構内食堂を開店。

KYはきようけん・よこはまのイニシャル。

1954年(昭和29年)、シウマイをメインにした「シウマイ弁当」が誕生。

焼き魚、玉子焼きに加え、横浜蒲鉾、福神漬にシウマイが入った

お弁当でした。

 

1955年(昭和30年)

「ひょうちゃん」が登場。

「ひょうちゃん」は、シウマイの箱に入れる醤油入れです。

 

↑ 写真の右上のひょうたん型の醤油入れです。

 

醤油入れは初めはガラス製でしたが、ひょうたん型の磁器にしたところ、

漫画家・横山隆一先生が「目鼻をつけてあげよう」と

たくさんの表情を描いてくれました。

「ひょうちゃん」の命名も横山先生。

 

1955年(昭和30年)、お手拭きを駅弁に付けました。

お弁当にお手拭きを付けるのは崎陽軒が最初。

1967年(昭和42年)、真空パックのシウマイ販売開始。

今では一般名称になった真空パックという言葉は崎陽軒独自の発案。

 

崎陽軒、すごいですね~

横浜駅と中華街によって、シウマイ弁当は生まれたのですね。

 

さて、シュウマイのイラストといえば ↓

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上にグリンピースが載っていますが、

崎陽軒のシウマイには載っていませんね。

実は中に入っています。(写真にもちょっと緑っぽいところが)

崎陽軒によると、シウマイ1個につき平均グリンピース3個

入っているそうです。

シウマイにグリンピースが載っているわけは、

  1. イチゴのショートケーキを真似た
  2. 給食で数を数えやすいよう目印にした
  3. 冷凍食品メーカーが見栄えや栄養バランスを考慮して

などの説があります。

NHKのチコちゃん~の番組では1の説をとっていた)

 

横浜は行ったことがありません(通過しただけ)。

中華街も神戸より大きいのかな。ぜひ行ってみたいものです。

次回は宇和島のじゃこ天を紹介します(^^)/