もりっちゃんのゆるブログ

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阪急ハイキング 大川沿いの桜の下でウォーキング その2

大型連休が始まりました🚅

朝は天気がよかったけれど、だんだん曇ってきました。⛅ 午後から雨、夜中は荒れるみたい・・・

明日はハイキングの予定があるけれど、無理かなあ。心配・・・

 

4月9日(日)に参加した阪急ハイキング「大川沿いの桜の下でウォーキング」の続きです。

大阪市北区、淀川が大川へと分岐するところにあるのが毛馬(けま)閘門(こうもん)。

今の閘門ができる前に使っていた旧毛馬閘門、旧毛馬洗堰がまずありました。

閘門とは、水位の高低差がある河川で船を安全に通過させるための施設、と書いてあります。

昔の淀川は今の大川でした。カーブが多く何度も水害に見舞われ、1896年(明治29年)、大橋房太郎という府会議員が中心となり新淀川の開削工事に関わる法案が可決されました。

実際に工事を指導したのが土木監督署長だった沖野忠雄氏。

沖野氏の像も近くにありました。 ↓

旧毛馬閘門は、1907年(明治40年)8月に完成し、1976年(昭和51年)1月まで使用されました。

 

隣にあるのが、旧毛馬洗堰。 ↓

洗堰とは。

堰は川や湖をせき止めて水を溜める構造物のこと。その中で、洗堰は堰の高さが固定されていて、堰の高さより水が増えると、水が堰の上を洗って流れるタイプのものを指します。

1910年に完成し、1974年に廃止されました。

旧毛馬閘門と旧毛馬洗堰は2008年(平成20年)に国の重要文化財に指定されました。

 

さて、いよいよ現在の毛馬閘門です。

昼間は歩行者が通れる道があって間近で見られます。

おお、おおきい!

中央クレーンの向こうにあるのが、現在の淀川大堰。ちょっとわかりにくいですね💦

   (写真の一部を加工しています)

振り返るとこんな感じ。  ↑

 

閘門を過ぎ、大川の東側へ降ります。

降りてすぐ、蕪村生誕の地の碑がありました。 ↓

刻まれているのは、与謝蕪村の句「春風や堤長うして家遠し」。

蕪村はこの地、毛馬の生まれだとされているが、17~18歳で村を出て江戸へ。

その後京都で生活し墓も京都にあるが、大坂にはほとんど足を踏み入れていないそうだ。そのため、蕪村の句碑は少ない。

そのせいかどうかわからないけれど、ここから南へ下った先に「蕪村公園」として整備された公園がありました。

そこに行くまでも毛馬閘門の反対側を見ながら歩きました。

 

蕪村公園に着きました。

2009年(平成19年)オープンというから新しい公園。

公園の周りに13基の蕪村の句碑がある。とても全部は撮れなかったので2基だけ。

アップで ↓

 

アップで ↓

 

ここから大川の東側を大川に沿って南へひたすら下ります。

それは次回に✋