もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語⑮」を読みました その2

いいお天気が続きましたが、明日からは雨や曇りが続きそうです。

花粉はピークを過ぎたようですが、

私は今週鼻水👃がひどいです・・・(T_T)

 

ローマ世界の終焉──ローマ人の物語[電子版]XV

ローマ人の物語」シリーズ最終巻、

ローマ人の物語ローマ帝国の終焉」読後レポート

第2弾です。

 

ローマ帝国が東西に分裂し、“最後のローマ人”と言われた

将軍スティリコは処刑され、

幼い皇帝を支えるため、その母や姉がトップの座についた

というところで、前回は終わった。

その女たちはー

特権を有する人々が閉鎖的になるのは、

人間性の宿命でもある。そして、閉鎖された空間では、

公的な資格をもたない人が、公的な資格をもつ者の

近くにいるというだけで権力を持ってくるものだ。

皇帝の近親者、それもとくに女の近親者にとっては、

理想的な状況というわけであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

女が権力をにぎって、悪いことは少しもない。

ただしそれは、権力を行使する正当な資格を持った

場合にかぎられる。皇帝の実母とか後見人では、

その資格がなかった。そして、その種の資格を

持たないことは、帝国の統治においては無視できない

不都合を伴ったのである。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

塩野氏は女性に手厳しい(^^ゞ

国を任せるのに男も女もないけれど、

まともな名前さえなかったこの時代の女性にとっては、

まさに我を忘れる境地になるのかもしれないと思う。

 

大事を成すには、情熱的でエネルギッシュである

だけでは不充分で、そのうえさらに冷徹さが

求められる。だが、情熱的でエネルギッシュで

あることとクールであることは、

多くの場合両立しない。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

この2つが両立している人は少ないだろう。

だからこの2つの違うタイプが混じるような形に

なるように、複数の者で協力体制がとられれば

ベストなのだろうと思う。

 

女性のリーダーは陰謀に巻き込まれたり、

浅はかな考えで動いたりして、その座を追われる。

 

一国の最高権力者がしばしば変わるのは、

痛みに耐えかねるあまりに寝床で身体の向きを

始終変える病人に似ている。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

この例えは難しいけれど、向きを変えても根本的な

病気が治らなければ何も変わらない、

良くなることはない、ということだろうか。

 

イタリア半島は北(陸側)からも南(海側)からも

攻め込まれ、とうとう首都ローマが劫掠(ごうりゃく)

される。

制海権と聴くと軍事上のことに限られると思いがちだが、

それが失われて誰よりも先に、また誰よりも大きな被害を

こうむるのは、常のことながら一般の人なのであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

このことは、現在毎日報道されるウクライナの状況を

見ても確かにそうだ。

 

筆者は、紀元前146年に起こったカルタゴの滅亡に

立ち会ったスキピオの言葉を引用し、

ローマの最期のときをカルタゴの場合と比較している。

「われわれは今、かつては栄華を誇った帝国の滅亡

という、偉大なる瞬間に立ち合っている。だが、

この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びでは

ない。いつかはわがローマも、これと同じときを

迎えるであろうという哀感なのだ」

(註:スキピオの言葉)

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

でも、ローマの最期のときはカルタゴとは違っていた。

 

燃えつきはした。

だがそれは、火炎によってではなかった。

滅びはした。

だが、阿鼻叫喚とともに、ではなかったのである。

誰一人気づかないうちに、滅びたのであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

異民族がローマに侵入したとき、抵抗する兵も市民もなく、

大きい戦いもなく、劫掠は静かに行われたのだ。

それほどまでに当時のローマは弱っていたのだろう。

 

首都ローマが落ちて、西ローマ帝国はなくなった。

紀元476年のことだった。

ローマ建国以来、1230年後になる。

このあとも分裂したローマ帝国の片いっぽう、

東ローマ帝国は存続するから、厳密に言えば

ローマ帝国の歴史はまだ続いていると言える

かもしれない。

しかし塩野氏は言い切る。

ローマという都市なしでの、ローマ帝国

ありえない。ローマ人は、どれほど壊滅的に

破壊された後でも、ローマからどこか他の土地に

遷都することに、頑強に反対しつづけた民族である。

(中略)

その意味のローマ帝国は、やはり紀元476年に

滅亡したのであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第二部 ローマ帝国の滅亡”より)

 

このあと第三部は、ゲルマン民族に支配されるように

なったローマ(イタリア半島)や他のヨーロッパ地域、

そして残った東ローマ帝国の滅亡までを取り上げて、

ローマ人の長い長い物語はようやく終わりを迎える。

それは、また次回。(^^)/