もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語Ⅺ」を読みました

長い長い残暑もそろそろ終わりが見えてきました。👀

週末は一気に季節が進みそうです。長袖と少し厚めの布団の

用意を(^^)/

来月に入ったらインフルエンザの予防接種もしなきゃ。

そういえば、インフルのワクチンを打ちに行って、間違って

コロナのワクチンを打たれた人がいたそうだ。

同じ姓の人がいて間違われたそうだ。

これはクリニック側の間違いだけど、打つ方も気をつけたほうが

いいですね。

「インフルを打ちに来ました」と言って👄

 

終わりの始まり──ローマ人の物語[電子版]XI

ローマ人の物語Ⅺ 終わりの始まり」(塩野七生 著)を

読みました。

「終わりの始まり」なんて、縁起の悪いタイトル。

でもこの通り、これからどんどんローマは縁起が悪くなる。

 

今巻は五賢帝の最後、マルクス・アウレリウスから始まります。

 

◆16代皇帝 マルクス・アウレリウス(A.C. 161年~180年)

“哲人皇帝”ーこれが皇帝マルクス・アウレリウスの呼び名。

少年時代から哲学に親しみ、内省と思索を重ねた賢帝でした。

「人間は公正で善良でありうるかなどと、果てしない議論を

つづけることは許されない。公正に善良に行動すること、のみが

求められるときが来ている」

 *註 マルクスの著作「自省録」のことば

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

 

ただ、マルクスが皇帝になるまで約44年間、ローマは内乱も含めて

全く戦争がなかった平和な時代でした。

そのため、皇帝も元老院も軍隊も市民もいわゆる“平和慣れ”状態。

そこにいくつもの苦難が襲いかかる。

まず農産物の不作による飢饉。

そこへテヴェレ河の反乱。

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という格言があるそうだが、

私の考えでは、賢者の側にいたければこの両者ともが不可欠である。

「歴史」、書物と言い換えてもよいが、これを学ぶ利点は、

自分一人ならば一生かかっても不可能な古今東西の多くの人々の

思索と経験までも追体験できるところにある。一方、自身の

「経験」は。追体験で得た知識をどう活かすか、または活かせないか、

を教えてくれる役に立つ。つまり、机上で学んだことも、実体験と

かみ合わせることではじめて活きた知識になるのだ。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

 

外敵(異民族)の侵入、それによる戦役。

戦役中に持ち帰った疫病(ペストと言われている)。

自分自身の欠陥を認めるやそれをおぎなう努力を惜しまなかった

ところもまた、マルクス・アウレリウスが賢帝とされる由縁である。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

「本来の気質からして、マルクス・アウレリウスは、

行動的であるよりも思索的であった」

 *註 歴史家モムゼンのことば

思索とは、辞書によれば、考えをめぐらすこと、である。

これ自体は賞められてよい性向だが、臨機応変な判断と

迅速な行動が求められる戦時には欠点になりやすい。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

 

“平和慣れ”していたローマは、いつもより少し行動が出遅れた。

異民族の侵入が帝国の各地で起こる。

伝統的にローマ軍は、緒戦で敗北を喫した場合でもあわてて

反撃に出ることはせず、反攻の準備に時間をかける。そして、

準備成ったと見るや反撃に出、短時間でケリをつける。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

(前略)

つまり、有機的に構築された基本戦略に沿って展開される

戦争ではなく、戦線のあちこちで個別に闘われた戦争であった

ということだ。戦略はなく、戦術だけで闘われた戦争という

ことになる。下手いやり方、以外の何ものでもなかった。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

危機に直面したときに講ずる打開策は、その重要度に応じて

優先順位を決め、その順に実施していくのが最も安全で確実な

やり方である。だが、優先順位を決められない場合も多い。

このようなときには、いくつかの策を同時進行で進めざるを

えなくなる。その場合に重要なのは、実施の速度と、実施する

際に迷わないこと、の二事であった。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第一部 皇帝マルクス・アウレリウス”より)

 

もともと頑健ではなかったマルクスは、第二次ゲルマニア戦役と呼ばれる

戦争中に病に倒れ亡くなった。

その後を継いだのは、一人息子のコモドゥスだった。

 

◆17代皇帝 コモドゥス(A.C. 180年~192年)

皇帝になってまもなく、実の姉のルチッラに暗殺を謀られ、

それは未然に防げたが、以来コモドゥスは暴君と化してしまう。

 

マルクスが傾倒していた哲学は、いかに良く正しく生きるか、

への問題には答えてくれるかもしれないが、人間とは、崇高な動機

によって行動することもあれば、下劣な動機によって行動に駆られる

生き物でもあるという、人間社会の現実までは教えてくれない。

それを教えてくれるのは、歴史である。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第二部 皇帝コモドゥス”より)

 

そんなコモドゥスも愛妾と寝所付き召使に暗殺されてしまう。

後継が決まっていなかったため、ここからローマは内乱の時代に

入る。

次々と皇帝が入れ替わる。

 

◆18代皇帝 ペルティナクス(A.C.193年1月~3月)

自分を皇帝にしてくれた近衛軍団長官レトーの希望を軽視し、

近衛軍団兵士に殺される。

 

◆19代皇帝 ディディウス・ユリアヌス(A.C.193年3月~6月)

帝位争奪戦の末、味方の近衛兵に殺される。

 

それにしても、内戦はやはり悲劇である。犠牲になった個人に

とっても悲劇だが、「国家」にとっても悲劇である。

これさえ起こらなければ、ローマ帝国という「共同体」に

貢献できた多くの有能な人材が、ただ単に敗者になったというだけで

消されてしまう。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第三部 内乱の時代”より)

戦争や内乱は今までも経験してきたローマなのに、なぜ

衰亡への道を辿ることになるのだろう。

 

◆20代皇帝 セプティミウス・セヴェルス

          (A.C.193年6月~211年2月)

皇帝セヴェルスは、軍団兵の地位と待遇を改善した。

それは全くの善意からだった。

ところが意外な結果につながる。

兵士たちがミリタリーでありつづけることに不満をもたなくなった

結果、シビリアンになっての第二の人生を切り開く意欲の減退に

つながり、それが、ローマ社会での軍事関係者の隔離になって

いったからだ。

(中略)

軍事関係者の一般社会からの孤立ぐらい、彼ら自身のために

良くないばかりか、社会全体までもゆがめてしまうこともない。

なぜなら、孤立感はそれを感ずる者の間での結束につながる

からであり、その行きつく先は、他とのバランスを忘れた暴走以外

にはないからである。

(中略)

セヴェルスによる軍団兵の優遇策もまた、善意が必ずしも

良き結果につながらないという、古今東西いやというほど

見出すことのできる人間社会の真実の例証であると思う。

いや、もしかしたら人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで

実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられた

ことの失敗例で、おおかた埋まっていると言ってもよいのかも

しれない。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス”より)

政策が変わると、人の価値観まで変わってしまうことがあるのだろうか。

 

皇帝セヴェルスは、ブリタニア(今のイングランドウエールズ

合わせた地域)遠征中に病気が悪化して亡くなる。

後を継いだのは長男のカラカラ。

その名を浴場に残すカラカラ帝である。

カラカラ浴場の名前は聞き覚えのあるかたもおられるだろう。

 

今巻は作者の以下の文で終わる。

この後のローマ帝国は、歴史家たちの言う「三世紀の危機」に

突入する。魚は頭から腐る、と言われるが、ローマ帝国も、

「頭」から先に腐って行くのだった。

(「ローマ人の物語Ⅺ」“第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス”より)

 

国が滅ぶ、終わりを迎えることを知っていると、読んでいても

やるせない気持ちになる。

しかし諸行無常は万国共通。ローマの最期まで見守りたい。