もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語Ⅷ」を読みました

この暑さ続きで読書のペースが上がりません・・・ 

エアコンをかけると、気持ちよくて眠たくなってしまいます(^^ゞ

エアコンを切ると、暑さで頭がぼうっとしてしまいます(^^ゞ

 

危機と克服──ローマ人の物語[電子版]VIII

ローマ人の物語危機と克服」(塩野七生 著)を読みました。

ローマ帝国も第5代皇帝ネロが自ら亡くなった後、内乱の時代に

入ってしまいます。

12代皇帝ネルヴァからのいわゆる五賢帝の時代まで、

約30年のあいだに6人の皇帝が入れ替わることになります。

長い古代ローマの歴史の中で、この30年を何とか乗り越えられた

から、ローマ帝国の領土は最大となり繁栄をきわめられたのだろう

と思います。

 

現代の私たちが知っているローマ史は、ローマの歴史家タキトゥス

書き遺した著作物による影響が大きいのだが、

タキトゥスがこの時代についての総括が以下の通りである。

  ↓

ー私が今から述べようとしているのは、ローマ帝国にとって、

苦悩と悲嘆に埋めつくされた時代の話である。

(中略)

しかし、この時代に天と地が示した予兆や警告は数多く、それらは、

神々の意志がローマ人の安全よりもローマ人への懲罰にあるという

ことを、かほども明確に示した時代もなかったのである。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“はじめに”より) 

この時代のローマについて、教科書では全く触れられていないし、

長い歴史の中ではこのような混乱もあまり気に留まらないのだろう。

それでもその時代に生きたローマ人の思いを感じることができるし、

その歴史から学ぶことも多くあると思う。

 

コロコロ変わった皇帝の死因を並べてみる。 

◆6代皇帝ガルバ(A.D.68.6~69.1)

 人心掌握と人事のミスで、近衛軍団に暗殺される。 

◆7代皇帝オトー(A.D.69.1~69.4)

 自分が死ぬことで内戦を終わらせようとした(自死)。

◆8代皇帝ヴィテリウス(A.D.69.4~69.12)

 敗者の処理のミス。やるべきことをやらず、やってはならないことを

 やったため、殺される

◆9代皇帝ヴェスパシアヌス(A.D.69.12~79.6)

 税率を上げず、新税を創設せず、財政を再建した。(病死

◆10代皇帝ティトス(A.D.79~81.9)

 ヴェスヴィオ火山大噴火・ポンペイ埋没、

 ローマの大火、

 イタリア全域に疫病発生。

 これらの災難の復旧に奔走し病死

◆11代皇帝ドミティアヌス(A.D.81.9~96.9)

 デラトール(告発者、検察官の意)の暗躍により、恐怖政治を

 行い、皇后付きの奴隷に暗殺される。

◆12代皇帝ネルヴァ(A.D.96.9~98.1)

 ショート・リリーフ。後継者指名をして亡くなる。(自然死

 

暗殺や自死が多く、志半ばで病に倒れたことも。

なかなか指導者としてやるべきことをやり、天寿を全うできる

のはまれだったのですね。

 

次は、印象に残った部分を引用します。

トップというのは、勝負がかかっている場には絶対に自ら出向く

必要がある。外敵との闘いの場合は最高司令官の臨戦の有無が

戦闘員の士気に影響してくるから、その理由は説明するまでもない。

しかし、内戦、つまり同胞間の戦いとなると、トップ自らの

臨戦の重要性はより決定的になる。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第二章 皇帝オトー”より)

内乱は、いつかは終る。終った後に待つ社会の再建に、怨念ほど

害毒をもたらすものはない。ゆえに、勝つのは必要だが、怨念を

残さないやり方で勝たねばならない。それが、内戦のむずかしい

ところなのである。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第二章 皇帝オトー”より) 

内戦のむずかしさはここにある。今は敵味方に分れていようと、

同胞なのだから寛容に遇したいのは人の情である。だが同時に、

敵側の利にならないように、つまりは味方の利につながるような

形で寛容な処遇はなされねばならない。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第二章 皇帝オトー”より)

オトーはそんなに悪い皇帝ではなかったのだが、内戦を収めるのは

かなり難しい。

国同士の戦いと内戦はだいぶ違うようなのだ。

 

だが、民衆は察知していたのだ。意識はしなかったにせよ、

どちらが勝とうと変わるのは皇帝の首だけであることを、

彼らは知っていたのである。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第三章 皇帝ヴィテリウス”より)

内戦が続くと、市民は「誰でもいいから内戦を終わらせてほしい」

と思うようだ。

 

こうしてローマは、わずか一年のうちに三人の皇帝の死を

経験したのである。

だが、これでようやく、歴史上「三皇帝時代」と呼ばれ、

タキトゥスによれば「すんでのことで帝国の最後の一年に

なるところだった」紀元69年も、終ろうとしていたのだった。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第三章 皇帝ヴィテリウス”より)

日本でもコロコロ総理大臣が変わった年がありました。

 

社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の

人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に

対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかない

からである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第五章 皇帝ヴェスパシアヌス”より

今回のコロナでも「悪平等」ということが言われました。

あっちを立てればこっちが立たずで。

 

身体を清潔に保つ習慣は、免疫力の向上につながる。食を

保証するのは、体力を維持することで病気を遠ざける役に立つ。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第五章 皇帝ヴェスパシアヌス”より)

 医療と教育を民活にゆだねることで一貫したこの方針が、

ローマの社会福祉費が国家財政を圧迫するまでには至らなかった

要因ではないかと思う。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第五章 皇帝ヴェスパシアヌス”より)

古代ローマに公の施設としてなかったのが、病院と学校だと

言われている。

医者と教師には所得税をとらず、優秀な人材を保証し活用したのだ。

ちなみに、漫画(映画にもなった)「テルマエ・ロマエ」で

有名なローマ人の入浴好き。

古代ローマには公衆浴場がたくさんあった。

現代のスーパー銭湯で、マッサージ場、体育場、図書室、ゲームコーナー、

などが付いている施設。

もうひとつ、公衆トイレを作ったのもローマ人。有料。

イタリア語で公衆トイレのことを、皇帝の名を取って

「ヴェスパシアーノ」と言うらしい。

 

いつも考えていることだが、物語るに値する行為をなす才能か、

読むに値することを物語る才能かのどちらかを神々より与えられて

いる人は、ほんとうに幸運な人だと思う。だが、より大きな

幸運は、その双方ともを与えられた人だ。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第六章 皇帝ティトス”より)

これは今回考えさせられました。

天賦の才能、それが二つもあるなんて本当に奇跡です。

それは幸運なことなのですね。

 

盛者必衰は、歴史の理である。ローマ人の歴史もまた、

この理の例外ではありえない。(中略)

ローマ史とはリレー競走に似ている、という想いである。

既成の指導者階級の機能が衰えてくると、必ず新しい人材が、

バトンタッチのライン上に待機しているという感じだ。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第八章 皇帝ネルヴァ”より)

人間にとっての最上の幸運とは、自分のためにやったことが

自分の属する共同体のためになること、つまり、私益と公益が

合致することにある。

(「ローマ人の物語Ⅷ」“第八章 皇帝ネルヴァ”より)

リレー競走とはうまい言い回し。 

 

次巻は「五賢帝時代」。

五賢帝時代が終わると、ローマ帝国も下り坂か・・・