もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語Ⅹ」を読みました

台風14号が近づいています。

温帯低気圧に衰えると思われていたのに、まさかの復活!

進路も四国横断。あんまりないコースです。

油断せず気をつけましょう(^^)/

 

すべての道はローマに通ず──ローマ人の物語[電子版]X

ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」(塩野七生 著)を

読みました。

 

今巻は、今までのように時代を順に追って記述するのではなく、

ローマの「インフラ」についてまとめて述べた巻になっています。

ハード面でもソフト面でもインフラを国家の基盤と考えたローマ人。

ローマ人はインフラを、

「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」

と考えていたということではないか。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“はじめに”より)

 

中国で万里の長城が築かれた時代と、ローマ街道が整備された時代は

同じ頃です。

長城を建設した支那人と街道網を張りめぐらせたローマ人のちがいは、

国家規模の大事業とは何であるべきか、という一事に対する、

考え方のちがいにあったのではないかと思えてくる。

防壁は人の往来を断つが、街道は人の往来を促進する。

自国の防衛という最も重要な目的を、異民族との往来を断つ

ことによって実現するか、それとも、自国内の人々の往来を促進

することによって実現するか。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“はじめに”より)

この違いはおもしろいと思いました。

 

目次は以下のようになっています。

第一部 ハードなインフラ

1 街道

2 橋

3 それを使った人々

4 水道

第二部 ソフトなインフラ

1 医療

2 教育

 

ハードなインフラに取り上げられた街道にも橋にも水道にも

いえるモットーがある。

ローマの公共事業のモットーは、堅固で長持ちし、機能性に優れ、

それでいて美しい、である。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“第一部 ハードなインフラ”より)

 

ハードなインフラを読んでいて興味深かったのは、

郵便制度と地図。

郵便制度はカエサルが考えた制度で、もともとは戦況の報告や

敵の情報を司令官や元老院に伝えるために街道を馬に走らせて

書を届けました。

国営郵便制度の設立の目的は、公文書を運ぶことにあったのだが、

ローマ人とは、規制を作ることには熱心でも、それを実施するに

際しては柔軟性をもって対する民族でもある。どうせ首都ローマ

に行くのだからと、属州総督からの妻や子供や友人たちへの

手紙を運んでも、皇帝も元老院も黙認したのである。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“第一部 ハードなインフラ”より)

 

長い道のりのため、途中に馬の交換所(今のガソリンスタンド)

を設け、

街道はやがて旅行者も使うようになり、宿泊設備のある

旅宿(今のホテル)ができ、

食事や休憩のできる軽食屋(今のレストラン)ができた。

 

さて、こうやって設備は整ったものの、いざ旅行をするとなると

自分が今どこにいるのか、目的地や旅宿まであとどれくらいか

わからないと困る。

この時代の旅行者用に作られた地図といえるものが2種類ある

と紹介されていた。

2つとも現在遺っていて。

1つは、旅行者用の銀製のコップです。コップは円筒形で、

その表面ぐるりに文字と数字が刻まれている。

ラテン語で書かれた文字は旅宿、馬の交換所、馬車の修理場、

軽食屋、これらのサービスを受けられる都市の地名を表し、

数字(もちろんローマ数字)はこれらの間の距離、を示している。

ローマ街道には、1ローマ・マイル(約1.5㎞)ごとに「マイル塚」

という石柱が建っており、街道の起点から何番目か記されていて、

起点からの距離はわかるようになっている。

このコップを持ち歩き、旅行の予定を立てることができたのです💪

遺っているコップには、今のスペイン南西部のカディスから

首都ローマまで書かれていて、その距離は全長2,750㎞! (゚д゚)!

 

2つめの地図は、「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」と

呼ばれていて、いわゆる絵地図。

縮尺や方向、距離なんかは正確ではないが、

必要情報が記号化されて書かれている。

海が緑色の面、河川が緑色の曲線、山脈が茶色の山型の連なり、

大森林が樹々の連なりで表現されているのまでは平凡だが、

それ以上となるともはやマンガ的で愉しい。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“第一部 ハードなインフラ”より)

 

大都市は城壁をめぐらせた記号、

家、倉庫、ホテル、温泉場は家型の記号を組み合わせている。

ホテルはミシュランの★のように、ランク付けされていて、

地図とガイドブックを兼ねた感じ。

 

ハードなインフラが国家事業、公の事業だったのに対し、

ソフトなインフラは私(わたくし)の分野だったようだ。

先の地図には、学校や病院がない。

医者の役割は、家庭では家長である父親が担当した。

一家の長が家族と奴隷たちの健康を保つために、健康的な食事、

適度な労働、十分な睡眠、衛生環境に気を配ったのである。

あとは、神に祈る場、神殿に籠る方法である。

ローマが大きくなるにつれて、各地から医学を学んだものが

ローマに入ってきた。それぞれ、家庭医、研究医、開業医、

軍医などに細分化されていく。

 

医者と同様、教師も「私」の分野だった。

私塾や家庭教師で親は子どもに教育を受けさせた。

のちに「学校」と言われるものもできるが、

そのために建物を建てず、公会堂や広場を使って行われた。

「私」なんだから有料で、競争もある。

 

何を公とし何を私とするか、考えさせられました。

 

現代でも、先進国ならば道路も鉄道も完備しているので、

われわれはインフラの重要さを忘れて暮らしていける。

だが、他の国々ではそこまでは期待できないので、かえって

インフラの重要さを思い知らされる。

水も、世界中ではいまだに多くの人々が、充分に与えられて

いないのが現状だ。

経済的に余裕がないからか。

インフラ整備を不可欠と思う、考え方が欠けているからだろうか。

それとも、それを実行するための、強い政治意志が、

欠けているからであろうか。

それともそれとも、「平和(パクス)」の継続が保証されない

からであろうか。

(「ローマ人の物語Ⅹ」“おわりに”より)

 

この疑問の答えのヒントが、歴史を学ぶ中に見つかるかもしれない

といつも思う。

次巻(第Ⅺ巻)からは五賢帝時代に戻る。

五賢帝の最後、マルクス・アウレリウスの時代。

いよいよローマが傾きかける・・・