もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「鍵のない夢を見る」を読みました

朝は冷え込むようになりました。

だんだん秋らしくなってきましたね。

 

図書館で借りた本の返却期限が次々と迫り、ひたすら本を

読んでいます。

そして読んだら次に予約している人のためにできるだけ早く

返却しよう、そうなると忘れないためにすぐブログを書かなくては。

ということで、「読書」の記事が続いています。

 

鍵のない夢を見る

辻村深月著「鍵のない夢を見る」を読みました。

有栖川有栖著「鍵の掛かった男」に続き「鍵」つながり(笑)

  • 仁志野町の泥棒
  • 石蕗南地区の放火
  • 美弥谷団地の逃亡者
  • 芹葉大学の夢と殺人
  • 君本家の誘拐

上記5編の連作短編集です。

10代から30代の女性が主人公になっていて、

辻村作品特有の「女子小説」。

女子の持っている心の闇、外に出したくない秘密なんかを

さらりと描いています。

読みやすくスイスイ読めますが、楽しい話かといえば全然

そんなことはない。

自分にも心当たりのある言動や気持ち。

確かにそういうこともあったと思う過去。

それに気づいてちょっと暗い気分にもなる。

 

4作目「芹葉大学の夢と殺人」には

まさに“鍵のない夢を見る”男性が登場する。

夢見る力は、才能なのだ。

夢を見るのは、無条件に正しさを信じることができる者だけに許された特権だ。疑いなく、正しさを信じること。その正しさを自分に強いることだ。

(本書165ページ)

 夢は結構罪作りだ。夢に翻弄される人も多い。

一方夢は肯定的に論じられることが多いのも事実。

夢を持っている人、追い続けている人を応援したい気持ちは

誰にでもあるだろう。

それが悲劇を招くこともあるのだ、とぞわぞわする話だった。

 

「ラプラスの魔女」を読みました

ちょっと暑いけれど秋晴れのいいお天気です🌞

 

ラプラスの魔女

東野圭吾著「ラプラスの魔女」を読みました。

 

作者の東野氏みずから「これまでの私の小説をぶっ壊してみたかった」

と言われている通り、異色作です。

事故死とみられる出来事が起こり、本当に事故死なのか、

偽装された殺人では? とミステリらしい始まりなのだが。

タイトルの「ラプラス」は人名で、ピエール・シモン・ラプラスという

フランス人。

この世に存在するすべての原子の現在位置と運動量を把握する知性が存在するならば、その存在は、物理学を用いることでこれらの原子の時間的変化を計算できるだろうから、未来の状態がどうなるかを完全に予知できる。

 ??? なんのこっちゃですが。

今のAIを超えるような知性を持つ人間がもし存在したら、

物理現象だけでなく、意思を持った人間の行動までも予測できる

という説です。

どちらかというと、ミステリよりSFに近い気がします。

“夢や希望は未来がわからないからこそ持てる”

というような言葉も出てくるように、読んだ後は少し厭世的な

気分になりました。

 

スマホデビュー

台風の暴風警報が午前中に解除され、ベランダの復旧を

ぼちぼち始めています。

こちらは被害はありませんでしたが、今回も九州や中国地方で

強風による被害があったようです。

お見舞い申し上げます<(_ _)>

 

さて、9月もあと一週間となりました。

バタバタと駆け込みの用事が続いています。

昨日は、やっとガラケーからスマホへののりかえ契約を

終えました。

f:id:moricchan24:20190923150249p:plain

でも格安スマホなのでデータの移行はできず、

面倒でもデータを入力しないといけません。

電話番号だけでも移行できたのでよしとしています。

 

ブログの更新もスマホからできるようになると

思いますが、まだまだそこまで手が回りません(^^ゞ

いつものようにぼちぼちやっていきます(^^)/

 

何といっても地図アプリがありがたい!

これでもう道に迷わないぞ!

ふっふっふっ(*^ ^*)

 

「鍵の掛かった男」を読みました

また台風が近づいてきています。

千葉の被災地のことを思うとつらいです。

備えられることは備え、十分に注意しましょう。

 

鍵の掛かった男

有栖川有栖著「鍵の掛かった男」を読みました。

本屋さんでタイトルの「鍵~」のみ覚えていて、表記の本と

辻村深月著「鍵のない夢を見る」だと見当をつけ、

図書館で予約しました。

 

作者と同じ名前の作家、有栖川有栖とその大学時代の友人で

大学准教授の火村英生のコンビが活躍する“火村シリーズ”。

以前、有栖を窪田正孝、火村を斎藤工でドラマ化され、

楽しく見ていました。

本屋さんで見たとき、今度続編が・・・と文庫の帯にあったが、

テレビの地上波ではなく、ネット配信(hulu)のようだ。

ショック・・・Σ( ̄ロ ̄lll)

 

それはともかく。

「鍵の掛かった男」、今まで読んだ“火村シリーズ”とは

少し違いました。

まず、ワトソン役の有栖が火村センセ顔負けの活躍をすること。

 ↑ (失礼か)

1月に事件が起こり、2月、大学入試で忙しい火村のいないまま

捜査を続ける有栖が今回頼もしかったです。

また、大阪中之島を舞台にしていることで、知った地名や

建物が出てきて身近に感じました。

 

中之島にある小さなホテルで初老の男性が亡くなり、警察は

自殺として処理しようとしているが、自殺の見解に納得できない

ホテルの常連客が有栖に捜査を依頼する。

男性は5年間、ホテルのスイートルームに住み続け、ホテルの

従業員や常連客と家族のように過ごしていたが、

その過去や来歴などは全くわからず、謎に満ちていた。

「鍵の掛かった男」の錠前をはずしていこうとする有栖だが、

まるでたまねぎのように剥いても剥いても中身がない ♪ ♫

亡くなった男性はいったい誰?

自殺? 他殺?

他殺なら犯人は誰?

 

宮部みゆきさんが “火村シリーズ”について、

「いわゆるサザエさん方式」と言っているが、

時代が移り変わっても有栖と火村は歳をとらない。

今も有栖は夕陽丘のマンションに仕事場を持ち、

火村は学生時代の下宿先を住処に、大家さんと猫とで

暮らしている。

こちらは30年以上年齢を重ねたが、変わらぬ若さと

コンビ愛をみせてくれる二人に感謝をしたい。

 

みんぱく「特別展 驚異と怪異」へ

だんだん秋の空気に変わってきました。

気をつけないと風邪を引きそうです。

 

昨日、吹田の万博公園みんぱく国立民族学博物館)で

やっている「特別展 驚異と怪異」を見に行きました。

f:id:moricchan24:20190918152008j:plain

万博記念公園に来るのは久しぶりです。

朝の8:30に家を出てちょうど10:00過ぎに着きました。

乗り換えが多いので交通費も痛いです(:_;)

f:id:moricchan24:20190918152329j:plain

やっぱり太陽の塔は大きいですね~

塔内を見学できるようになってこの太陽の広場も整備されたようです。

今日はみんぱくのチケットだけにして公園内の散策はお預け。

 

f:id:moricchan24:20190918152821j:plain

みんぱくの特別展示館。

 

f:id:moricchan24:20190918152954j:plain

入り口のパネル。

 

f:id:moricchan24:20190918153022j:plain

入り口。

 

特別展の展示は2か所を除いて撮影禁止で残念でしたが、

とてもおもしろくて、ちょっと怖くて、やっぱりおもしろい、

それでも怖い・・・そんな気持ちがぐるぐるする。

 

世界各地の人々の想像の中に息づく生きものが集められて

いました。

<水に潜むもの>

しょっぱなは「人魚」です。

頭は人で体は魚というのが「人魚」と思っていましたが、

逆パターンの頭が魚、体が人の「人魚」もありました。

次は「龍」

「龍」は身近でめでたい感じ。

f:id:moricchan24:20190918154646j:plain

と思ったらアジアの「龍」は怖そうだった・・・

あとは「河童」とか怪しげな「蛙」とか。

 

<天にはばたくもの>

「霊鳥」「怪鳥」「鳥人

このあたりからちょっとずつ怖くなる。

サンダーバード、日本にいる「ライチョウ」ではない

雷鳥」もありました。

可愛くすればポケモンなんだけどねー

「天馬」ペガサスですね。西洋の絵はきれいでした。

 

怪異を吉兆とするか凶兆とするかは国や時代、文化に

よるのですが、大体は政治や経済活動に利用されたり

するんですよね。

 

<地を巡るもの>

「巨人」

だいだらぼっちと呼ばれる巨人伝説が日本にあって、

その巨人の刀と下駄がありました。

下駄は机くらいありました(:_;)

「有角人」

身近なのは「鬼」ですね。

西洋の「有角人」はひょうきんな感じであんまり怖く

ないのですが、ずっと見ていると不思議と不気味に

感じてくるのです。

「変身獣」「瑞獣・怪獣」「蟲」「人間植物」

だんだん、ほんまか~って突っ込みたくなるものが

出てきますが、このへんから面白くなってくるのも事実。

ゲゲゲの鬼太郎』や『千と千尋の神隠し』の世界です。

 

<驚異の部屋の奥>

「人魚」や「河童」のミイラが箱に入って神社の奥にありました。

てな具合で展示されてる。

ほんまか~ってじっくり見たいけど、背筋が寒い。

もう降参\(T_T)/

 

見えないけれど確かにあるものを、太古から人間は

形にしてきた。

そのいくつかが今も残っているのだろう。

そんな人間の心が一番の「驚異」かもしれない。

 

ミュージアムショップでお土産を1つ買って、

本館のレストランで「フォーランチ」を食べた。

ベトナム料理のフォーだ。

塩味のスープに、具はとり胸肉、もやし、ネギ。

お好みでと言われたパクチーは入れずにレモンを絞って食べた。

ベトナム春巻き?がおいしかった。

ぎょうざのたれのようなものが付いていて、

それをかけて食べてみた。

最初はちょっと臭いがして、ん?と思ったが、

食べているうちにクセになってきた。

デザートはベトナムコーヒーのゼリーだった。

みんぱくならではのランチだった。

 

午後は本館を見学。

次回をお楽しみに。

 

「東京會舘とわたし」上・下 読みました

 しばらく涼しい日が続きました。ほっとできました。

また今日から暑くなりそうですが、少しずつ秋の気配も

感じます。

もうちょっとの辛抱ですね。

 

辻村深月著「東京會舘とわたし 上 旧館」、

東京會舘とわたし 下 新館」を読みました。

東京會舘とわたし(上)旧館

東京會舘とわたし(下)新館

上下巻共に今月文庫化され、本屋で見かけたので

図書館で予約しました。

既に次の予約が付き、期限内に読めるか心配でしたが全く大丈夫(^^)v

読みやすくおもしろかったです。

 

東京丸の内、皇居二重橋前にある東京會舘

この物語の主人公はこの建物です。

大正11年に民間の力のみでできた国際社交場。

この東京會舘に関わった人々のエピソードを上下巻10のお話で

つなげています。

第一章が大正12年(1923年)、第十章が平成27年(2015年)

と、92年の年月が流れるため、

10のお話の登場人物は変わっていきます。

でも、チェーンのようにつながっているのです。

 

たとえば、

“第一章 クライスラーの音楽会 大正十二年(1923年)五月四日”

では、東京で小説家を志しながら挫折し故郷に帰った寺井承平が

帝国劇場で開催されたヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー

音楽会を聴きに金沢からやってくる。

その寺井に応対した東京會舘のボーイの佐山(第一章では

名前はわからない)が、

“第二章 最後のお客様 昭和十五年(1940年)十一月三十日”

で、主役を務める。

クライスラーの音楽会を聴いた寺井のその後は、第三章で

明らかになる。

 

92年間に戦争、二度の大震災(関東大震災東日本大震災)、

建て替え(上下巻が旧館、新館となっているのはそのため)、

名称の変更などがあり、長い歴史がうかがえる。

私は東京は不案内で、東京會舘がどこにあるのか地図で探した

くらいだから、東京會舘に思い入れはない。

でも登場人物が東京會舘を家族や恋人のように愛する気持ちは

わかるような気がした。

きっと当時も今も東京會舘に特別な思いを抱いている人は

実際たくさんいるのだろうな。

 

東京會舘は、このお話の第十章の後、平成27年2月から

再び建て替えられ、平成31年1月(そう今年)オープンした。

新しい顔になっても、変わらない落ち着きと安心感で

人々を迎えているのだろう。

 

「坂の途中の家」を読みました

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン

   ↑

(暑さに苦しむ私のうめき声)

 

角田光代著「坂の途中の家」を読み終えました。

坂の途中の家

本屋さんで読みたい本を物色し、図書館で予約しようと

思いました。

家に帰ると「~~家」というタイトルしか覚えていませんでした。

検索して、

東野圭吾氏の「人魚の眠る家」と

上記の「坂の途中の家」のどちらかだと思い、両方予約しました。

「人魚~」の方は200件以上の待ちなので2年くらい先に

なるでしょう(^^ゞ

 

さて、「坂の途中の家」、なかなかキツい中身です。

2歳の女の子をもつ専業主婦の里沙子が、裁判員に選ばれる

ところから物語は始まる。

それは娘を虐待死させた(疑いで起訴された)母親の

裁判だった・・・

裁判が進むにつれ、自分の子育て、出産、結婚、恋愛、

学生時代、幼少時代と記憶を遡っていく里沙子。

 

“坂の途中の家”とは、被告人の親子が住んでいた家のこと

なのだが、読み進めるうちに、

“誰もが坂の途中の家に住んでいる。一歩外へ出れば急な坂道に

足を取られて転げ落ちるかもしれないし、

信じられないくらいの上り坂に気が遠くなるほど苦しい

ときがある。”

そんなふうに思えてくる。

家族との生活は、実は不安定で怖いシーソーの上で懸命に

バランスをとりながら安定を保つ、そんなものかも

しれない。

 

心に残った里沙子のセリフ。

(中略)

私たちはだれでもない、母親でもなく妻でも、だれかの娘でもない、何も負わされることなく、ブランドものや仕事や前の恋人やほかの若い母親、そんなものに何ひとつとらわれることなく、無邪気な自信と陽気さにあふれた、まっさらな自分自身に戻って向き合えたかもしれない。

 そうやな~ そんなふうに生きるのはもう無理なんかな~

 

裁判の結審、判決公判の日で物語は終わる。

小説の中だけのこととして読み終えるには重く、

さあこれから自分はどう生きる? どう生きたい?

アンバランスなのは家じゃなく、私の心かも。