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阪神平日ウォーク③ 阪神間モダニズムを感じる名建築を巡る その1

6月7日(水)、第3回 阪神平日ウォーク「阪神間モダニズムを感じる名建築を巡るウォーキング」に参加してきました。

阪神間モダニズム”って何?

日本で1900年代から1930年代(特に大正期から昭和初期)にかけて、大阪市と神戸市の間を指す「阪神間」を中心とする地域において育まれた、近代的な芸術・文化・生活様式とその時代状況を指す。

 

梅雨どきは天気が心配でしたが、晴れて風もあり、まあまあ歩きやすかったです。

でも後半は暑さが増し、さすがにバテました💦

 

集合は阪神尼崎駅から歩いてすぐの尼崎城址公園。

駅前にはレンガの建物。阪神電鉄 旧尼崎発電所になります。今は建物の一部のみ残っています。

復元された尼崎城。右隣は尼崎市立中央図書館。

 

尼崎城は、江戸時代の元和3年(1617)に戸田氏鉄により築城されましたが、明治6年(1873)の廃城令により取り壊されてしまいました。現在の城は近年再建され、平成31年(2019)3月より一般公開されたものです。

(あまがさき観光局ホームページより)

この広場が集合場所でした。地図をもらって出発です🎺

 

今回のコースは尼崎から西宮の武庫川団地まで。そう、地元に帰ってくるコースです。

ただよく知っている土地なので、目新しいものが見つからないのが難点。

新たな気持ちで面白いものを発見しよう!と意気込みだけはあるけれど・・・どうなるかな。

 

城址公園を出て、西へ。

まずは銀シャチのポスト。 ↓

 

契沖生誕の地の碑。 ↓

契沖(けいちゅう)は、江戸時代初期~中期の人物で、1640年に尼崎の城下町、当時の尼崎城近くの武家屋敷で生まれたと考えられています。

1650年に数え年11歳で出家。13歳で剃髪して高野山に上ります。

そして、23歳で現在の大阪市天王寺区にあった曼荼羅院の住職となりました。

(あまがさき観光局ホームページより)

尼崎市内には契沖の歌碑も残っています。

 

庄下川に架かる開明橋から。 ↓

反対側には櫻井神社。 ↓

 

開明中公園。 ↓

塀には、機銃掃射による弾痕が残っています。↓

元々は開明小学校(国民学校)の校庭だったのですね。

 

寺町を歩きます。その名の通り、お寺が並んでいます。

石畳になっていて風情があります。

お寺には入りませんでしたが、ありがたいお言葉をもらいました。

 

阪神本線の高架をくぐって少し歩くともう出屋敷駅です。 ↓

 

さて、まだまだ始まったばかりの街歩き。続きは次回へ🏁