もりっちゃんのゆるブログ

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「向日葵の咲かない夏」を読みました

11月になって、日中と朝晩の寒暖差が大きくなってきました。

それでも日差しの下では暖かく、過ごしやすいです。

いろんな仕事がはかどりますね。

(私は何もしていませんが・・・(^^ゞ)

 

向日葵の咲かない夏(新潮文庫)

「向日葵の咲かない夏」(道尾秀介 著)を読みました。

この本は息子に紹介され、図書館で借りて読みました。

道尾氏の作品は初めてだと思います。

 

読む前に息子からある程度情報?を聞いていました。

叙述トリックがある”ということです。

私が本の感想でネタバレ的なことを書くことはほとんどないのですが、

この作品はあえて書きました。

事前にわかっていても、最後の描写にはびっくりするし、

作品の世界観は変わらないだろうと思うからです。

 

主人公のミチオは小学4年生。

両親と妹のミカの4人家族だ。

1学期の終業式の日、先生から欠席だった友人のS君の家にプリントや

宿題を届けるように頼まれる。

S君の家に行ったミチオは、日の当たらない和室で首を吊っている

S君を発見する。

ミチオは学校に知らせに行き、先生と警官がS君の家に急行するが、

S君の死体はどこにもなかった。

 

こんな感じで始まるので、謎解き小説、ミステリーだと思って

読むと、少々勝手が違ってくる。

大体、上に書いた私のあらすじも既に叙述トリックが含まれている。

 

レビューは賛否両論だ。

少々残酷な場面もあり、「かわいそう」「救いがない」という

感想も多い。

そうかと思えば、向日葵の咲く夏に毎年読み返したい、という

感想もある。

向日葵は、S君の家の庭に一面に咲いていた花だ。

 

私自身は、この作品が好みかと聞かれれば、好みじゃないと答えるだろう。

私の思うミステリーの範疇からは外れる作品だと思うし、

(あくまでも私の思うミステリー)

ホラーでもないし。

どんなに残酷であっても救いが欲しいというのは、私が小説に

求める大事な要素だから。

でも、この作品の世界はこれはこれで受け入れられる。

無理を承知で名づけるとすれば、“ブラックファンタジー”や

“観念小説”と言えるのではないかな。

主人公が子どもだということ、子どもの頭の中では結構

こんな世界が広がっているんじゃないかと思うのだ。

 

読み終えた後、息子と内容について話をした。

・なぜ「向日葵」なのか?

庭に咲いていたのが向日葵であったのは何か意味があるのか?

季節が夏休みなのでその象徴なのか、

太陽の下強く明るく咲く向日葵と、日の当たらないS君の家

(S君そのものともいえる)との明暗を表しているのか。

・この作品で作者が言いたいことは何なのか?

国語の設問みたいですが(笑)、小説である限り言いたいことは

あると思うんですよね。

息子はこの両方とも、「ない」と言い切ります。

向日葵である必然性はない。

小説を通して作者が言いたいことは特にない。

えー! と私は絶叫してしまいます。

この作品は叙述トリックを極めただけの作品なのだと。

うーん。 私はそれは疑問だけどな。

 

決して好きではないのに、先へ先へ読み進んてしまう。

読ませる作品ということは間違いない。

道尾氏の作品、これだけで判断してはいけないと思い、

直木賞受賞作「月と蟹」を借りてきた。

あと、息子が「この系統ならこの作品の方が良くできてる」

という、「夏と花火と私の死体」(乙一 著)も借りた。

こちらも「変な」作品なのだろう。

「変な」期待をして読むことにする。