もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

りんごと洋梨

今日は手芸サークルの日でした。

先月は入院時期と重なり欠席したので、2カ月ぶりでした。

りんごと洋梨の置物を教えてもらいました。といっても、型紙をとって少し縫っただけで、あとは家で続きをやります。写真は見本です。

 

「特別展 古代メキシコ」へ その5

「古代メキシコ」展、最後はアステカ文明の紹介です。

 

マスク(テオティワカン文明)

耳飾り(アステカ文明

マスクは蛇紋岩製。黒目は黒曜石、白目と歯は貝でできている。

耳飾りは緑色岩製。

 

鷲の戦士像(アステカ文明

メキシコ盆地のテスココ湖に浮かぶ島に作られたアステカ王国の首都テノチティトラン。中央にはテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿があった。その中の「鷲の家」にあった2体の戦士像のひとつ。

 

トラロク神の壺(アステカ文明

トラロクは大地を人格化した雨の神。降雨をコントロールするために、祈祷や供物、生贄が捧げられた。

 

これで撮影した写真の紹介は終わりです。

果てしない年月が経っているので、美しさや輝きは薄れているでしょうが、当時の様子を想像することがとても楽しかったです。

春休み中で子どもたちも多く見かけました。

 

大阪ではリニューアル中の施設が今年次々オープンします。

大阪市立東洋陶磁美術館が4/12に。

大阪市立科学館が夏に。

万博の前にということかな。人出が増える前に行きたいです(^^)/

 

「初秋」を読みました

初秋 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

「初秋」(ロバート・B・パーカー 著/菊池光 訳)を読みました。

先に読んだ「捜索者」の訳者 北野寿美枝氏があとがきで紹介されていたので、図書館で借りてきました。古い本で奥付を見ると昭和61年の発行です。確かに時代的な古さは否めませんが、主人公が人間に向ける温かさには何となく懐かしさを覚えました。

冗談の応酬にもみえる会話の中に、ピリッと効いた気障なセリフがあり、こんな年齢になってもキュンとします。

最後の方で、危険に立ち向かう主人公スペンサーに向かって恋人のスーザンがこう言います。

「(前略)あなたはポールのことも考えなければならないのよ(中略)それに、わたしのことも」

(「初秋」より)

それにスペンサーはこう答えます。

「汝に対する我が愛は果てしなく、愛されることは至福の光栄」

(「初秋」より)

ひょ~~!

 

私立探偵のスペンサーは、離婚した夫が連れ去った息子を取り戻してほしいという女性の依頼を受ける。当の息子ポールは夫の元にいたが、夫のそばには愛人もいた。

妻側にも愛人がおり、ポールは元夫婦の駆け引き材料になっていることがわかる。

相棒ホークや恋人のスーザンの心配をよそに、スペンサーはポールとの共同生活を始めるのだった・・・

 

この共同生活の様子が、「捜索者」とよく似ている部分だ。スペンサーとポールは森の中に小屋を建てる。庭でトレーニングをし、山の中を走る。休日には町で買い物をする。

どんな質問にも「わからない」と答え、首をすくめるだけだった15歳のポールが、おせっかいなスペンサーの元でどのように変化していくかが読みどころだ。

 

「初秋」(原題:Early Autumn)は、物語が1月から始まり初秋に終わることと、思春期のポールが親や大人に頼らず自立する人生の初秋に向かっていくことを表していると思う。

ハードボイルドなので銃撃戦🔫のシーンもあったが、かなり薄め。ハードボイルドファンには物足りないかもしれない。

私はどちらかといえば苦手なジャンルだが、このスペンサーを主人公としたものはシリーズになっているし、もう1作だけ読んでみようと思っている。

 

 

「捜索者」を読みました

桜が満開になりました。🌸

造幣局の通り抜けも始まったし、きっと桜の名所はすごい人出でしょうね。

私は近所の桜を見たくらいですが、それでも十分楽しめました。

これから桜前線は北上。暑くなる前の心地よい季節をたっぷり味わいたいですね。

 

捜索者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

「捜索者」(タナ・フレンチ 著/北野寿美枝 訳)を読みました。

 

文庫で670ページ。昨年かに購入した本で、なかなかの分厚さだったが、一気に読めた。

舞台はアイルランド西部の小さな村。主人公のカル(カルヴィン・フーパー)は、シカゴ警察を辞め、妻とも離婚し、移住してきた48歳の男。売りに出されていた廃屋を買い、修繕に精を出す日々を送っている。

そこへ、トレイと名乗る地元の子どもがやってくる。カルに用があるようだが、なかなか心を開かない。大工仕事を手伝わせながら心を通わせようとするカル。

やがて、トレイが「失踪した兄の行方を捜してほしい」とカルに打ち明ける。現役ではないものの、カルは“捜索”を始めるが・・・

 

まずは、舞台となるアイルランドの村の情景描写が素晴らしい。

濃厚な空気は、ただ吸い込むだけでは物足りない。フルーツケーキを見るとにおいを嗅ぐだけではなくひと口かじりたくなるのと同じように。この空気を両手ですくい取って、顔にこすりつけたくなる。

(「捜索者」より)

これなんかは情景を表してるわけじゃないが、漂う空気やにおいがどんなだろうとわくわくさせる。

カルの買った廃屋の近くには、ミヤマガラスが群れ、ウサギが巣を作っている。風や木々の出す音が常にある。隣人のマートは羊農家だ。

久しぶりに絵を描いてみたいと思った情景だった。

 

日本でも移住ブームだと言われているが、田舎の濃厚なコミュニティに入っていくのは思ったより難しいそうだ。

違う国で静かに暮らしたいと願って移住してきたカルも、真反対のハードな日々を送ることになってしまう。

ハードボイルドテイストは得意ではなかったが、トレイの存在がそれを薄めている。

 

訳者の北野氏があとがきで「思い起こした」という、ロバート・B・パーカーの「初秋」を図書館で借りてきた。次はこれを読もうと思う。こちらは正真正銘のハードボイルドみたい💦

 

「特別展 古代メキシコ」へ その4

「古代メキシコ」展の記事、4回目です。

今回の特別展の目玉といえる、「赤の女王」のコーナーを紹介します。

マヤの代表的な都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃とされるのが、「赤の女王」(スペイン語でレイナ・ロハ)です。

その墓は赤い辰砂に覆われて見つかりました。

それをイメージして、真っ赤なマネキンにマスクや冠、胸飾りなどを着けて展示してありました。

残念! ぶれぶれ~~

図録から紹介することにします。

上から、赤の女王の冠、赤の女王のマスク、赤の女王の首飾り(マヤ文明

マスクは孔雀石のかけらを組み合わせ、瞳には黒曜石、白目には白色のヒスイ曜石岩。

冠は平らなヒスイ曜石岩製のビーズが二重になっている。

首飾りは玉髄でできた筒状と球状のビーズからなる。

 

赤の女王の頭飾り(マヤ文明

チャフク神の顔を表している。

 

赤の女王の胸飾り(マヤ文明

クブと呼ばれる王族が身に着けるケープに施された装飾。どれもカラフルで美しい。

 

赤の女王の腕飾り(マヤ文明

緑色岩のビーズ12連。

 

うーん、やっぱりちゃんと写真を撮りたかった・・・

 

トゥーラのアトランティス像(トルテカ文明

アトランティス像は、王座の下に複数置かれ、両手で王座と王を支える人を表している。

 

イクの文字のペンダント(マヤ文明

「イク」はマヤ語で風の意。真ん中のT字型の切れ込みがそれ。

 

モザイク円盤(マヤ文明

四方に広がる黒い模様は蛇を表している。

 

次回は最後、アステカ文明を紹介します。

 

「特別展 古代メキシコ」へ その3

国立国際美術館で開催中の「特別展 古代メキシコ」の記事、その3。

今回は、マヤ文明の出土品を紹介します。

マヤ文明は、メソアメリカ地域のユカタン半島で栄えた文明です。

 

織物をする女性の土偶マヤ文明

大きな耳飾りと首飾りを着けた高位の女性と考えられる。

 

押型(マヤ文明

布や皮膚に文様を付けるためのものという解釈が一般的。

 

貴婦人の土偶マヤ文明

儀礼か宮廷での謁見のための壮麗な出で立ちと思われる。この土偶は笛になっているそうだ。

 

首飾り(マヤ文明

ヒスイとウミギクガイで作られている。

 

トニナ石彫(マヤ文明

トニナはマヤで栄えた都市。球技を表している。

 

香炉台(マヤ文明

この香炉台の上に椀型の土器が置かれ、その中で香が焚かれた。

 

次回は、マヤの代表的な都市国家パレンケで見つかった「赤の女王」を紹介します。

 

「護られなかった者たちへ」を読みました

「古代メキシコ」の記事のアップの途中ですが、読書の記事を挟みます。

 

護られなかった者たちへ

「護られなかった者たちへ」(中山七里 著)を読みました。

中山七里氏の作品はいろいろ読みましたが、これは社会派の骨太な作品でした。

 

仙台市の福祉保健事務所課長・三雲忠勝が、手足や口の自由を奪われた状態の餓死死体で発見された。三雲は公私ともに人格者として知られ怨恨が理由とは考えにくい。一方、物盗りによる犯行の可能性も低く、捜査は暗礁に乗り上げる。

(「護られなかった者たちへ」作品紹介より)

殺された三雲は生活保護申請窓口の業務に携わっていた。捜査をする刑事たちは、被害者の仕事の細部を知ることから始めるが、やがて日本のセーフティネットの呼ばれる生活保護制度について、考えさせられることになる。

刑事の笘篠には、妻子を東日本大震災津波で失った過去があり、「護らなければならないのに護れなかった」という悔恨にさいなまれている。

 

少し希望の持てるラストだったことが救いだったが、問題の根本解決には至らない。読者に託された作者からの宿題なのだろう。