もりっちゃんのゆるブログ

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「最長片道切符の旅」を読みました

10月になり、「はい、秋になりましたよ」というように涼しくなりました。

エアコンはもちろん、扇風機も使わなくなり、あわただしい秋支度です。

朝と昼間の気温差が大きいので気をつけないとと思ってます。

 

最長片道切符の旅 (新潮文庫)

最長片道切符の旅」(宮脇俊三 著)を読みました。

表紙はおおば比呂司氏の装画で、宮脇氏のイラストはよく似ていると思いました。

 

先に読んだ「時刻表2万キロ」で当時の国鉄全線完乗を果たした宮脇さんは、勤めていた出版社を退職し、文筆生活に入られます。

自由はあり過ぎると扱いに困る。(中略)

暇ができたので心ゆくまで汽車に乗ろう、思う存分に時刻表を駆使してみよう、と張切っているのだが、どうもこれまでとは勝手がちがう。いったいどこから手をつけたらよいのか。

(「最長片道切符の旅」“遠回りの話”より)

そういうものかもしれない。

 

「時刻表2万キロ」の旅から3年後、宮脇さんは北海道から九州までの“最長片道切符の旅”に出かけました。同じ駅を2度通らない“一筆書き”で線路上をつなぐ、最長の遠回り切符です。

宮脇氏が考案したわけではなく、それまでに幾人かの人が作り、実際に乗っていました。その人たちに会って確認したりしながら、北海道の広尾から九州鹿児島の枕崎までの切符を作り、買います。

ルート図を見ると、羊腸と言うか、行きつ戻りつしながらくねっていて、とくに私の思案の外であった豊橋から飯田線小海線只見線などを通って会津若松まで戻るあたりは、阿呆らしさ極まって襟を正させるような趣さえある。

(「最長片道切符の旅」“切符の話”より)

 

切符は、

青い地紋の入った横10センチ、縦7センチほどの手書き用の券片で、「広尾」「枕崎」発売日共「68」日間有効 ¥「65,000」円と記入され、経由の欄に「裏面」とある。裏を見ると線区名と駅名がぎっしり書きこまれていた。

(「最長片道切符の旅」“切符の話”より)

という。

昭和53年10月13日、広尾8時02分発の帯広行きの列車から旅は始まった。

 

「時刻表2万キロ」のときよりも、宮脇氏の余裕を感じ、制約のある中で列車の旅を楽しんでいるのが伝わってくる。

途中下車してホテルに泊まるし、自宅にも帰る。乗り換えの時間つぶしに、ちょっとした観光にも出かけるが、ほとんどは車窓から見る景色と車内の観察で一日が終わる。

宮脇さんは車窓から山を見る。家の屋根を見る。果樹を見る。車内の乗客の方言を聞く。

山はこんなふうに。

ようやく発車して、東北らしい青い山なみの安達太良山が右窓に近づき、二本松に着く。秋の空が気が遠くなるように青く高い。宇宙が見えるような空だ。

「阿多多羅山の山の上に、毎日出てゐる青い空が、智恵子のほんとの空だといふ」と高村光太郎の詠んだ空がこれなのだろう。

(「最長片道切符の旅」“第10日 気仙沼ー水戸”より)

智恵子抄」は中学の頃、夢中になった本のひとつ。ああ懐かしいなと思った。

 

羽越本線の鶴岡で下車し、訪れた致道博物館の様子はこんなふうに。

致道博物館は鶴岡城址に接した藩主酒井家の御用屋敷で、書院庭園などもあるが、月山山麓の田麦俣(たむぎまた)から移築した多層屋根の民家がおもしろい。多雪に堪えるよう屋根を幾層にも流した三階建てで、釘やカスガイを使わず縄で柱を結び合せてある。靴をぬいで上がり、誰もいない大きな民家のなかを木製の農具に触ったりしながらうろうろするのは、空き巣に入ったようで、たのしい。

(「最長片道切符の旅」“第8日 秋田ー横手”より)

不謹慎ギリギリのユーモアが私にはおもしろい。

 

北から南まで果樹の種類は豊富なのだと改めて思った。

山肌の樹々の葉は落ち、河は青緑に淀んでいるので、柿の実だけが異色である。柿の実はいったい何色なのだろうと思う。朱に近いが朱ではない。考えてもしようがない、あれは柿色なのだ。だからきれいなのだ。

(「最長片道切符の旅」“第18日 小出ー十日町”より)

 

一日のほとんどを鉄道の車内で過ごしながら、宮脇氏は人間が好きなのだとつくづく思う。いくら貸し切りでも、人の乗らない鉄道で宮脇氏はこんな旅はしないと思う。

この“最長片道切符の旅”で同行者がいたのは、たった2回。一度目は氏の小学2年の娘。二度目は氏が“星の王子”と呼ぶ、若い男性だ。

子どもは世話がやけるし、大人は気を遣う。一人旅が原則だと氏も言っているが、旅先では人恋しいものだ。

上越線小出の旅館。

酒瓶の積んである暗い土間に立って声をかけると、じいさんが出てきた。部屋に入ると、ばあさんが出てきた。食事の膳は娘さんが運んできた。いまはスキーや鮎釣りのシーズンではないので、客は私一人であった。茶の間でいっしょにテレビを見ていると、旅館どころか民宿の感じすらしなかった。風呂場とトイレだけが大きく清潔で、そこに入ったときだけ、旅館にいる気がした。

(「最長片道切符の旅」“第17日 飯田ー小出”より)

 

博多から筑肥線の列車の中で見かけた元気のいい“おっさん”。

それにしてもこのおっさんはいろいろと買いこんだものだ。窓枠に罐ビール、罐コーヒー、コカコーラ、ウイスキーの小瓶、煎餅、茹で卵、ちくわ、駅弁、もう一つぐらい何かあったかもしれないが、ぎっしりと売店のように並べている。東唐津までは一時間十四分しかかからない。気になるので観察していると、まず茹で卵を食べ、コーヒーを飲み、つぎがウイスキー。順序も変である。

(「最長片道切符の旅」“第31日 城野ー佐賀”より)

おっさんは全部平らげて降りたという。

旅先で出会う人は、ちょっと困った人でも愛おしい。

 

有効期限の68日目である12月19日、“最長片道切符の旅”は思いがけない危機を迎える。

宮脇さんと共に日本南北縦断の旅を味わえた一冊だった。