もりっちゃんのゆるブログ

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「時刻表2万キロ」を読みました

ちょっと空気がカラッとして秋の兆しを感じます。それだけでも体はだいぶ楽ですね。

うちの近所では、なぜかカメムシが大発生しています。猛暑だった夏と関係があるのでしょうか。

 

時刻表2万キロ (河出文庫 み 4-1)

「時刻表2万キロ」(宮脇俊三 著)を読みました。

 

ずっと海外ミステリーを読んできて、区切りがついたので全く違う分野の本を読むことにしました。

最初にこの本に出合ったのは、息子が中学に入った年なので、かれこれ20年近く前になります。その時も「こんな時代があったのだなあ」と思ったものですが、今回読むとますます「昭和」という時代の遠さを感じました。

この本は、作者の宮脇氏が中央公論社でサラリーマンとして勤めながら、当時(昭和52年5月)の国鉄全線2万809.7キロ完乗を達成した記録です。

子どもの頃から「時刻表」が愛読書だったそうですから、筋金入りの鉄道好きに間違いありません。1926年生まれで、終戦玉音放送も旅先で父親と聞いています。(そのエピソードも作中に登場)

一人で鉄道に乗る「乗り鉄」でしたが、ある日、行ったことのない都道府県がなくなったことに気づき、それまでに乗った国鉄の線区のキロ数を足してみたら、1万キロを少し超えたところ。総営業キロ数は約2万キロなので、「まだ半分なのか」と思ったそうで、それから機会があれば、地方のローカル線や乗ったことのない線に乗るようにしました。

それから約15年、昭和50年、1万8000キロを超えたところで、この記録文が始まります。

 

私は鉄道好きというわけではないが、鉄道の旅が好きだ。車の免許を持っていないので、公共交通を利用するしかないのもあるが、バスや船では乗り物酔いするのもあり、レールの上を走る鉄道は安心する。

それでも、鉄道の線名と駅名が次々に出てくる本書は、旅行や観光案内とは全く違う魅力がある。

他人には理解できない自分のこだわりや好みを貫くこと、その苦労や失敗、辛さも含めて全過程をいとおしむ気持ちに共感させられるのだ。

 

作者は2万キロ完乗計画を誰にも話さない。

いい歳をして相変わらずの鉄道ごっこでは自慢にもならないから、私はなるべく黙っていた

(「時刻表2万キロ」“第1章”より)

しかしそのうちばれてくる。

「もうどれだけ乗ったか」

「残っているのはどの辺か」

といった質問がやってくる。

「完結したら、ひとつ盛大な祝賀会をやりましょう」と、激励とも揶揄ともとれる言葉を頂戴することになる。こちらとしても、やり遂げねば格好がつかなくなってくる。

(中略)

金と時間のかかることなのである。そう気安く「まだか、まだか」と督促してもらいたくない。

(「時刻表2万キロ」“第1章”より)

思わずクスッと笑ってしまう。

しかし本人は真剣だ。

全線完乗はまだか、との激励とも揶揄ともつかぬ声もかかる。激励ならそれに応えねばならない。揶揄なら、なおのことやり遂げねばならぬ。数字の上では九合目まで登っているが、現実の私は、時刻表を抱いて三合目付近から富士山頂を見上げている。

(「時刻表2万キロ」“第1章”より)

 

車窓の風景も独特の感性で描かれている。

7時14分の筑前前原でようやく薄明るくなった。すると、さっきまでの闇の気配は素早く消え失せ、ディーゼルカーまでが生気をとり戻して、一気に海岸へとびだした。これから東唐津まで海に沿う。松をいただく岩を突き出した岬を抜けると入江があり、入江のつぎに岬があり、それは自然の順序であるけれど、その間隔が短いので。めまぐるしく、景色で顔を洗っているようで気持がいい。

(「時刻表2万キロ」“第3章”より)

 

私が考案した邪道にして危険な方法とは、東唐津でいったん筑肥線の下り列車から降りてタクシーで西唐津までとばし、唐津線の上り列車に乗って山本に至り、東唐津で乗り捨てたはずの筑肥線の列車にふたたび乗りこもうというものである。博多から乗りつづけてきたようなそ知らぬ顔で好都合な時刻に伊万里に着けるから、これは推理小説のトリックに使える。博多側と伊万里側にそれぞれ証人がいれば、唐津市内で相当なことをやってもアリバイは成立するにちがいない。

(「時刻表2万キロ」“第3章”より)

現在は当時と筑肥線のルートが変わり、本書の地図を見ないとわけがわからないと思うが、枝分かれした支線に乗るために工夫を重ねている。

でもおっかしくて、思わず言ってしまう。「アホちゃう」

 

ほかの線が合流したり分岐したりするのを見るのは、鉄道旅行の楽しみの一つである。もっとも、きわだって面白いわけではないから、同行者の脇腹を突っついて注意を喚起したりはしないけれど、叢のあいだから一条の線路が音もなく接近してきて、ぴったりと寄り添う。うっかりしていると知らぬ間に密着していることもある。けじめをつけずに同棲したみたいな趣がある。

(「時刻表2万キロ」“第3章”より)

こういうのは昭和のおやじギャグになるのかな。私は嫌いじゃないけれど。

でも北海道のローカル線では本線との分かれ方があっさりしているらしい。

内地のようにいつのまにかそっと寄り添ってきたり、しばらくのあいだ未練を残してから徐々に遠ざかってゆく、あの情緒はない。だだっ広いところでぷいと背を向けられるのは、西部劇のようで味気ないが、北海道らしいのかもしれぬ。

(「時刻表2万キロ」“第7章”より)

 

作者には申し訳ないけれど、失敗談は一番おもしろい。

お金を多めに持っていくと無駄遣いをしてしまうからと、少なめに持っていくと乗り過ごしてお金が足らなくなってしまったり。

札幌だからどこか泊まれるところがあるだろうと宿の予約をしていなかったら、どこも満員でいわゆるラブホに泊まるはめになったり。朝になったらピンクの浴衣を着ていた・・・というおまけつき。(笑)

 

本書は宮脇氏の初期の作品だが、氏は出版社退職後に執筆生活に入ったので、どうしても昭和のおじさんの語り口になる。でもそこが憎めない。

時代が令和になり、この「時刻表2万キロ」に登場した未乗線区の半分以上が既に廃線、または第3セクターで何とか残っている状況だ。もう鉄道で全国を回る旅はできないだろう。せめて昭和のいい思い出として心に残したいと思った。

 

さて、作者が2万キロ完乗を果たしたとき、何を感じたか。やれやれという安堵感か、やった!という達成感か、はたまた腑抜けのようになってしまったか、それは読んでのお楽しみ。

次は、同じく宮脇氏の「最長片道切符の旅」を読みたいと思う。タイトルから氏の挑戦の内容はわかると思う。