雨はあがりましたが、ムシムシします。
というわけで?、蒸し菓子のはなし。
今年のブログの目標は、ひとつのテーマで1年記事を書くということでした。
テーマは「ふるさと」にし、今年はその中で「食べ物」にスポットを当てて
書くことにしたのでした。
百貨店の催場で開かれる「名物まつり」の食レポだけでなく、
実際にその地へ行ってレポートしたいと思っていました。
しかし!
コロナで催しもなくなり、各地へ出向くこともしにくくなりました。
出鼻をくじかれ残念です・・・_| ̄|○
こうなってはネット検索でしか調べることができませんし、
名物が手に入ればちょこちょこ記事にするくらいで、今年後半は
やっていくしかなさそうです。
ほそぼそとがんばります。
さて、写真はさつま名物 かるかん饅頭です。
かるかん饅頭は、もともと軽羹(かるかん)という棹菓子でした。
羊羹やういろうのように切っていただきます。 ↓
(写真はウイキペディアより)
原料は、砂糖、かるかん粉、山芋、水で、
かるかん粉とは、米粉の一種。うるち米を水洗いしてひびを作り、
粗く挽いた粉。
混ぜた生地を薄い容器に入れて20分以上蒸し、弾力性のある白色の半スポンジ様に
仕上げたのが軽羹である。
軽羹の名前の由来は諸説あるが、「軽い羹(あつもの)」という意味が
一般的で、羹は「羹に懲りて膾を吹く」ということわざの「熱い吸い物」
という意味だ。
なぜ熱い吸い物が羊羹の羹なのかは、調べてみた。
そもそも羊羹は羊の肝の吸い物であったというのだ\(◎o◎)/
中国で羊の肉に黒砂糖を混ぜて作っていたものが、禅宗文化として
日本に伝わった。
日本では肉類が使用できなかったので、小豆を主原料に羊の肝の形に
作って蒸し、汁に入れてお供えした。
後に蒸し物のまま茶菓子として供されるようになった。
これが蒸し羊羹の始まり。
(一説には江戸時代)に作られたと言われている。
(辻調おいしいネットより)
軽羹は1686年から1715年頃に薩摩藩で誕生したとみられ、
その頃既に棹菓子の羊羹はあったようだ。
薩摩で誕生した理由は、原料の山芋がシラス台地で自生していたこと、
砂糖が高級品だったので、軽羹もお殿様の食事や冠婚葬祭の場で
使われていたそうです。
棹菓子から、丸く成形して餡を包んだ饅頭ができたことで、
日常的なお菓子として広がっていきました。
もちもちとした生地がおいしく、こしあんとよく合います。