もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語 Ⅳ」を読みました

雨が降り続いて、昨日は警報も出ました。

やっと雨が上がり、洗濯物を外干ししています。

昨日は大雨の中美容院へ行き、夏向きにばっさりカットしました。

首がすぅすぅします(笑) 

 

ユリウス・カエサル ルビコン以前──ローマ人の物語[電子版]IV

ローマ人の物語 Ⅳ ユリウス・カエサル ルビコン以前」(塩野七生 著)

を読みました。

ローマ人の物語」シリーズの第4巻。

いよいよユリウス・カエサルの登場です。

英語読みだとジュリアス・シーザーシェイクスピアの戯曲でも

有名ですね。

 

外国語の地名や人名はもともとの読み方に戻ろうという動きが

あって、私が10代で覚えた名前と今は変わっていることが

多々あります。

たとえば、以前ブログにも書いたフランシスコ・ザビエル

今はシャビエルと表記している教科書もあるそうです。

何か別人みたいでぴんときません。

 

ユリウス・カエサルラテン語読み。本書の表記通り、今回は

カエサルと書きます。

正式な名前は、ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)

と言い、ユリウス一門のカエサル家のガイウスくん、という

意味なんですが。

古代ローマで貴族男子のファーストネームはすごく種類が少なくて、

父も祖父も叔父も全く同じ名前ということがバンバンあります。

ちなみに女性に名前はありませんでした(T_T)

通称として、一門の名前が使われていました。

カエサルの母は、アウレリウス・コッタ家の出身なので、

アウレリアと呼ばれました。

 

それから副題の「ルビコン以前」が?でしたが、これは

河の名前でした。ルビコン河。

カエサルガリア戦役を終えて、ルビコン河を越えるまでが

この前編になります。(B.C.100年~B.C.49年1月)

 

ローマは、(中略)勝者が敗者を軍事力で押さえこむことで

支配し搾取するやり方ではなく、勝者のほうが敗者を同化し、

共生状態にもっていくというやり方によってであった。

(中略)

ローマ人の性向は、しばらくは争っても結局は、共存共栄の

方向に向かうのである。これが、ローマ人に帝国創立とその

長期の維持を許した要因ではないか。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第二章 少年期”より)

カエサルの中には上記のような土壌がもともとあって、その上に

彼独特の野心が育っていったのだろう。

 

どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられた

そもそもの動機は、善意によったものであった。だが、権力が、

未熟で公正心に欠く人の手中に帰した場合には、良き動機も

悪い結果につながるようになる。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第四章 青年後期”より)

結果で判断されるのはつらいけれど、歴史に残るのは結果ですから

ね~

 

カエサルはそれほどの美男ではないのに(失礼!)、

非常に女性にモテたそうです。 

イタリアのある作家によれば、「女にモテただけでなく、その

女たちから一度も恨みをもたれなかったという稀有な才能の

持ち主」であったカエサル(後略)

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第四章 青年後期”より)

まじか・・・ 

 

モテモテ男で有名だった青年カエサル、大借金男としても

有名でした。 

ユリウス・カエサルは他人の金で革命をやってのけた、(後略)

(「ローマ人の物語Ⅳ」“青年後期”より)

「(前略)

あの人(註:カエサル)は、カネに飢えていたのではない。他人の

カネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネ

を区別しなかっただけなのだ。(後略)」

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より)

 

以下はカエサル人間性を表した部分。 ↓

彼(註:カエサル)は、部下を選ぶリーダーではなかった。

部下を使いこなす、リーダーであった。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より) 

ローマ人は、その中でもローマ人であることを強く意識する

カエサルは、誓約をことのほか重要視する。多神教のローマ人だから、

神との契約ではない。人間同士の誓約である。たとえ異人種でも

対等の人間と認めるがゆえに、交わされた誓いを信ずるのである。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より) 

カエサルの野心は、人並以上に大きい彼自身の虚栄心よりも、

もっともっと大きいのだった。

(註:虚栄心は他者に良く思われたい心。野心は他者に良く思われなくても

やりとげなくてはならない想い)

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より)

 

本書の約半分が、カエサル42歳からの“ガリア戦役” に費やされている。

ただし、将棋であろうがチェスであろうが、ゲームと戦争は根本的な

ところでちがう。ゲームの駒は思いのままに動かせる木片にすぎないが、

戦争での駒は、感情を持つ人間である。ゆえに、形に現れにくく数でも

計りがたい要素を、考慮に入れなければ闘えない“ゲーム”なのだ。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より) 

私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。

舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、

舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より)

しかし、内戦の悲惨とは、その犠牲になって死んだ人の数ではない。

犠牲にされたことで生まれる、恨み、怨念、憎悪が、後々まで尾を

引いて容易には消え失せないことにある。

(「ローマ人の物語Ⅳ」 “第五章 壮年前期”より)

 

そして、ガリア戦役を終えたカエサルはいよいよローマの体制と

対峙する。 

「ここ(註:ルビコン河)を越えれば、人間世界の悲惨。

越えなければ、わが破滅」

そしてすぐ、自分を見つめる兵士たちに向かい、迷いを振り切るかの

ように大声で叫んだ。

「進もう、神々の待つところへ、我々を侮辱した敵の待つところへ、

賽は投げられた!」

(「ローマ人の物語Ⅳ」“第五章 壮年前期”より)

ユリウス・カエサルといえば、

「賽は投げられた」

「来た、見た、勝った」

「ブルータス、お前もか」

の引用句が有名。

この中の「賽は投げられた」がここで出てきました。

カエサルルビコン河を越えるとき、兵士に向かって呼びかけた

ことば。

ここからローマは内乱状態に入ります。

 

456ページの分厚さでしたが、おもしろくて何とか読み進むことが

できました。

二千年以上のあいだ、人を引きつけてきたカエサル

その魅力が十二分にあらわされた前編でした。

カエサルはこのあと5年後、55歳で亡くなります。

あと5年かと思うと淋しい思いがします。

ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサル ルビコン以後」に続きます。