もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語⑮」を読みました その1

せっかく工事をしたインターネットですが、

どうしても旦那さんの部屋との接続がうまく

いかず、再度調査に来てもらうことになりました。

改善がなければ、元に戻す(解約する)かも

しれません。

なんだか落ち着かない気分です。

 

ローマ世界の終焉──ローマ人の物語[電子版]XV

ローマ人の物語⑮ ローマ世界の終焉」(塩野七生 著)

を読みました。

ローマ人の物語」シリーズ、最終巻になりました。

ちょうど1年かけて全15巻制覇したことになります(^^)v

表紙の写真は、ローマ近郊に遺っている

「クラウディア水道橋」です。

 

前14巻はローマ帝国が東西に分裂した紀元395年で

終わりました。

この時点(東西分裂)で古代ローマ帝国は終わった

とする研究者もいますが、

塩野氏は東西ローマそれぞれの最期まで

書かれています。

 

最初の主な登場人物は、前帝テオドシウス帝が後を

託した2人の幼い皇帝の後見人、将軍スティリコです。

この人はなかなか骨のある人物だったようです。

外交交渉には、相手側との間に妥協点を探る柔軟性も

必要だが、引けない一線となれば絶対に引かない

毅然とした態度も不可欠だ。このとき以来、

柔軟と毅然が、同時代人がスティリコに言及する

際の形容句のようになった。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

 

ローマの最後の足搔きとも言えるちょっと無様な

対応にも塩野氏は結構温かだ。

人間とは、軍事力で敗れたから屈服せざるをえなかった、

とはわかっていても、覇者にとっても自分たちが

必要だとなれば、派遣下に置かれていることへの

抵抗感も薄らいでくるものである。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

自尊心が保てる、みじめさがマシだということか。

 

人間の運・不運は、その人自身の才能よりも、

その人がどのような時代に生きたか、のほうに

関係してくるのではないかという想いだ。(中略)

高度成長期だった共和政時代のローマ、

安定成長期と考えてよい帝政、つまりは元首政時代の

ローマ帝国に生きた人であったとすれば

直面しなくて済んだ難問に、

帝国の最後の一世紀に生きることになったスティリコは、

面と向かわざるをえなかったのではないか、と。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

これはこの最終巻に近づくにつれ、私も同じように

思ったことだ。

幸運と不運は残念ながら自分で選ぶことはできない。

 

「共同体」(res publica)と「個人」(privatus)の

利害が合致しなくなることも、末期症状の一つであろう

かと思ったりしている。そして、公共心も、個人が、

自分の利害と自分が覆す共同体の利害は連動する、

と思えた場合に発揮されるものではないか、と。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

逆に、外から見ていくらひどい状態であろうと

個人の利害と一致していれば、続いてしまうこともある。

 

亡国とは、黙って静かに生きてきた末に訪れる現象

ではない。強風にあおられた波が前後左右にぶつかっては

泡立つように、社会がコントロールもなく流動し合った

末に行きつく結末だ。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

国が亡くなるという瞬間に立ち会う人々の気持ちは

どんなだろう。

 

指導者層に属すローマの男にとって、いったん

交わした誓約を守るのは、法律を越えたモラル

ラテン語ではモーレス)の問題である。

今ではその重要性も落ちるところまで落ちたという

感じだが、スティリコが理想としていたのは、

彼と同時代のローマ人ではなく、昔のローマ人で

あったのだろう。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

人間には、絶対に譲れない一線というものがある。

それは各自各様なものであるために客観性はなく、

法律で律することもできなければ、宗教で教える

こともできない。一人一人が自分にとって良しとする

生き方であって、万人共通に真理を探究する哲学

ではない。ラテン語ならば「スティルス」だが、

イタリア語の「スティーレ」であり、英語の

「スタイル」である。他の人々から見れば重要では

なくても自分にとっては他の何ものよりも重要で

あるのは、それに手を染めようものなら自分では

なくなってしまうからであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第一部 最後のローマ人”より)

筆者の言う「スタイル」が個々で違うからこそ、

法律が必要になる。

どんな価値観のもとでも「罪」とされることは

法律で罰せられ、人に自制心をもたせることになる。

でも本来、法律がなくても、人はそう簡単に罪を

犯すものではないはずだ。

それは個々のプライド、誇りがあるはずだからだ。

 

スティリコは、外から見れば

「このままでは殺されてしまうよ」と思われる

局面に、自ら飛び込んでいく。

このスティリコをのちの歴史学者

“最後のローマ人”と呼んでいる。

 

スティリコ亡き後、西ローマ、東ローマ両帝国

とも皇帝はますます名前だけになり、

まだ壮年であったのに病死。

後を継ぐ時期皇帝は共に幼く、母親や姉が

いわゆる摂政として皇宮の権力を握る時代に入る。

 

続きは次回(^^)/