もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語Ⅶ」を読みました/その1

毎日蒸し暑くバテ気味でしたが、今日はちょっとカラッと

しています。これだけの差でだいぶ楽!

明日からはちょっと微妙な1ヶ月半に突入します。

兵庫県はまん延防止等重点措置が解除されますが、

大阪府は継続。

東京都は緊急事態宣言に逆戻り。

何とも微妙でややこしくて陰鬱・・・

オリンピックも、私はスポーツ観戦が大好きなので、

普通なら楽しみなんだけど、これもねえ、微妙です。

 

悪名高き皇帝たち──ローマ人の物語[電子版]VII

ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち」(塩野七生 著)を読みました。

アウグストゥス亡き後のローマ帝国について、

いわゆる五賢帝時代まで、(高校の)教科書ではほとんど記述が

ありません。

息子の使った教科書では ↓

これ以後、五賢帝時代の終わりまでの約200年間は、「ローマの平和

(パクス=ロマーナ)」とよばれ、政治は安定し、経済的にも

繁栄した。

(「新詳 世界史B」(帝国書院・平成20年発行))

すっ飛ばしています。

 

私の使った黄ばんだ教科書では ↓

以後いわゆる五賢帝の時代が終わるまで約2世紀のあいだ、

ときにはネロのような暴君もでたが帝国には一般に平和が続き、

帝政の盛時を現出した。

(「詳説 世界史」(山川出版社・昭和54年発行))

唯一ネロ帝がの名前が出てきますが、イメージは悪いです。

ネロは5代皇帝なのでそれまで3人の皇帝がいるのです。 

この本を読むまで名前も知らなかったです。

存在の薄かった皇帝たちですが、単に“悪名高き”と言い捨てることは

できないと思いました。

塩野氏もそういう意味で“悪名高き皇帝たち”という副題を付けられた

のだと思います。

 

◆2代皇帝ティベリウス (A.D. 14年~37年)

「平和(パクス)」とは、外敵からの防衛だけで実現できる

ものではない。人々が安全な日常を過ごせてこそ、真の「平和」

なのである。「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)とは、

この両方の「パクス」を意味した。

(「ローマ人の物語Ⅶ」 “第一章 皇帝ティベリウス”より)

これは、警察組織や司法の仕組みを指している。国の外にも

内にも安全が保障されていることが平和の条件なのだ。

 

エジプトを代表する建築はファラオのためのピラミッドであり、

ギリシアを代表する建築は人々を保護してくれる神々に捧げた

神殿であるのに比して、ローマの代表建築をあげよと言われれば、

人々の現世の生活に役立つ街道、水道、橋、会堂、港湾、浴場等の

インフラストラクチャーであったと答えるしかない。

(「ローマ人の物語Ⅶ」 “第一章 皇帝ティベリウス”より)

つくづく現実主義だったのだなあと思う。

でも、ティベリウスの時代は財政難だったので支出をケチり、

新しい事業はせずメンテナンスに力を入れた。

地味だったので人気がなかった。

 

外交による解決と聴くと、現代の人は、その中でもとくに日本人は、

平和裡に話し合った末での解決と思ってしまう。だが、軍事力を

使って脅した後で握手する、というのも外交である。いや、それこそが

最も有効な外交であることは、歴史が証明してくれている。なぜなら

人間とは、理(ことわり)で眼を覚ます場合は少ないのに、武力を

突きつけられれば眼を覚ますものだからだ。

(「ローマ人の物語Ⅶ 」“第一章 皇帝ティベリウス”より)

理想論では解決しないことはわかる。戦争で多くの犠牲が出ることを

思えば、少しの駆け引きで犠牲を少なくすることは大事だ。

でも・・・つくづく人間同士は難しいと思う。

 

 このティベリウスは、自分自身の神格化につながりそうなことは、

神経質なくらいに避けている。七月がユリウス、八月がアウグストゥス

と改名したのに倣って九月をティベリウスと変えたいとの元老院の提案も

拒否し、「国家の父」の称号も受けなかった。

(「ローマ人の物語Ⅶ」“第一章 皇帝ティベリウス”より

ユリウス・カエサルが自分の生まれ月(7月)を自分の名前(ユリウス)

にしたことは以前書きました。

もともとローマの暦は今の3月から始まります。

3月を「第1の月」、4月を「第2の月」・・・と呼んでいました。

7月は「第5の月」でしたが、カエサルがユリウスとし、

アウグストゥスが8月(第6の月)をアウグストゥスと改名

しました。

9月(第7の月)はティベリウスが改名を拒否したので、

そのまま「第7の月」になりました。

英語を習ったとき、なぜ9月から~berという語末になるのか

不思議でしたがなるほどです。

9月 September  Septem(ラテン語の7より) 

10月 October   Octo(ラテン語の8より)

11月 November  Novem(ラテン語の9より)

12月 December  Decem(ラテン語の10より)

1月~6月の語源はローマの神々から来ています。

紹介は別の機会に。

 

 ◆3代皇帝カリグラ(A.D. 37~41)

カリグラという名前は愛称。

本名は、ガイウス・ユリウス・カエサルゲルマニクス

ゲルマニクスは父の名。父の赴任していたゲルマンの地で、

兵士たちが作ってくれた幼児用の軍靴(カリガという)をはいて

遊んでいたことから、小さな軍靴という意味の“カリグラ”と

呼ばれていた。

24歳での皇帝就任だった。

 

 (略)ティベリウスの時代とは一変して各種の娯楽スポーツが

盛んにおこなわれるようになったカリグラの時代のローマだが、

これが「パンとサーカス」とされて悪評を浴びることになるのである。

(「ローマ人の物語Ⅶ “第二章 皇帝カリグラ”より)

 「パンとサーカス」は、

詩人ユウェナリス古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。

権力者から無償で与えられるパン(=食糧)とサーカス(=娯楽)によって、

ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。

愚民政策の例えとしてしばしば用いられる。

とウイキペディアにある。

でも「パン」の部分は共和政時代のローマからあった福祉政策で、

特にカリグラが始めたことではない。

ただ「サーカス」の部分はカリグラも夢中になった。

戦車競走(映画「ベン・ハー」に出てくる)用の競技場はチクルスと

呼ばれ、サーカスの語源になっている。

カリグラは今のバチカン中心部に大競技場を作り、市民も夢中に

なったのだ。

 

 ローマ人は人間に法律を合わせ、ユダヤ人は法律に人間を合わせる、

と言い換えてもよいかもしれない。

(「ローマ人の物語Ⅶ “第二章 皇帝カリグラ”より)

 ローマは多神教ユダヤ一神教

パレスチナのややこしさは、既にこの時代に端を発する。

 

カリグラは、幸か不幸かモンスターではなかった。(中略)

彼にとっての不幸は、いや国にとっての不幸は、政治が何かが

まったくわかっていない若者が、政治をせざるをえない立場に

就いてしまったことにある。

(「ローマ人の物語Ⅶ “第二章 皇帝カリグラ”より)

若さだけが原因ではないと思うが、支える周りの人間や環境が

うまく作用しないと政治は難しいのだと思う。 

 

テロ行為とは、文明が未熟であるから起こるのではない。

選挙による落選という手段を奪われているから、やむをえずテロに

走るというのでもない。権力が一人に集中しており、その一人を

殺せば政治が変わると思うから起こるのである。

(「ローマ人の物語Ⅶ “第二章 皇帝カリグラ”より)

皇帝カリグラは演劇の鑑賞を終え、昼食に立ったときに

近衛軍団に殺されてしまった。

正常なというか、平和的な皇帝位の継承が以降難しくなる。

4代皇帝クラウディウス、5代皇帝ネロの時代は次回にまわします。