まるで初夏の陽気ですね🌞 一気に桜の花が開きそうです🌸
明日からは気温も下がり、平年並みになるそうですが・・・
急な変化には体がついていきませんね。
昨日は、堺の百舌鳥古墳群ぼっちハイクの第二弾に行ってきました。
いろいろハプニングもあり、家に帰ると25,000歩を超えていました
(@_@;) ひゃあ~
その報告は次回に✋
「薔薇の名前」(上)(ウンベルト・エーコ 著/河島英昭 訳)を読みました。
いや~すごい本です。読んだかたなら「いや~」としか言えないことをわかってもらえると思います。
1990年初版発行。当時ずいぶん話題になったことを覚えている。
私もその頃読もうと思って手に取ったが、その長さ、読み解く内容・知識の難しさに読み始める勇気を持てなかった。
作者のエーコが発表したのはそれより10年前の1980年。
1986にはショーン・コネリー主演で映画化されている。
この映画、急な山を馬で登るウイリアムと弟子のアドソの黒い法衣の映像だけ覚えている。どこで見たのかー
そのせいか読むときは、頭の中でウイリアムがショーン・コネリーに変換されていた。
時代は中世 1300年代前半、場所は北イタリア。
フランチェスコ会修道士のウイリアムは、見習い修道士のアドソを連れて、北イタリアの某山上にあるベネディクト修道会に属する修道院に出向く。
だが、着いた途端、一人の修道士がその修道院の文書館から転落死していたことを知る。ウイリアムは修道院の僧院長から事件解明の依頼を受け、アドソと共に文書館と修道院内部の謎に迫る。
ミステリーの体裁をとってはいるが、哲学、歴史、宗教、科学、芸術など広い分野にわたる会話内容には正直たじろいでしまった。
プロローグはこのように始まる。
初めに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった。
(「薔薇の名前」“プロローグ”より)
人間が認識している言葉がいかに脆弱なものであるか。人は言葉によって惑い、騙され、嘆き、また歓びの声をあげる。物語の時代は中世だけれど、人間の基本的な営みは変わらない。飢饉があり、貧困があり、争いがあり、破壊がある。
うまく表現できないが、現代に通じる何かがこの物語には存在すると思った。
とはいえ、難しい。
私はウイリアムの弟子のアドソになって、「わかりません」と正直に言い、ウイリアムの慈悲深い諭しに聞き入るしかなかった。
上巻を読み終え、この物語をアドソのビルディングス=ロマン(成長小説)として読むことにした。下巻を読み終えたときに、私も少しは成長出来たら(この年でか💦)と思う。
いざ、下巻へー