もりっちゃんのゆるブログ

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「カササギ殺人事件」(上)を読みました

今日は立冬。もう秋晴れとは言えないかもしれないけれど、

このところいいお天気が続いています。

どこにも出かけずぼんやり過ごしていますが、

体調はまあまあ。こんなペースが今は合っているのかも。

 

カササギ殺人事件 上 〈カササギ殺人事件〉シリーズ (創元推理文庫)

カササギ殺人事件」(上)(アンソニーホロヴィッツ 著/

山田蘭 訳)を読みました。

 

刊行されてもう4年になるが、いまだに書店で平積みされている

ベストセラー本。

図書館で見つけたので借りてみた。

 

この本は、“一粒で二度おいしい”。

さらに言えば、“とても一粒では済まない”。

その理由はたくさんあるが、まずその構成・構造が

作中作、入れ子式であることだ。

 

上巻は、出版社の編集者である“わたし”(上巻ではまだ

名前は明かされていない)が、

アラン・コンウェイという作家の新作ミステリ

カササギ殺人事件』の原稿を読む場面から始まる。

その場面は数ページで終わり、

今度は作中作『カササギ殺人事件』が始まる。

“わたし”と共に新作の原稿を読む、という設定だ。

上巻はその『カササギ殺人事件』の終盤で終わる。

とてもこのまま眠れない・・・とほとんどの人は

下巻を手に取るだろう。

 

この作中作という構成はそんなに珍しくないが、

混乱しがちで私はあまり好きではなかった。

でも、この作品の中の『カササギ殺人事件』はとても

魅力的でおもしろいお話だったのだ。

これだけで私には充分楽しめるミステリだ。

探偵役のアティカス・ピュントがいい。

死を近くに感じると、人は哲学者になるのかー

心に残った言葉がいくつかあった。

 

もしもピュントが人生から学んだことがあったとしたら、

それは計画を立てることの虚しさだろう。

人生は人生で、あちらの予定というものがあるのだ。

(「カササギ殺人事件」より)

 

「(中略)人間の邪悪さの本質について、わたしは

以前きみに話したことがあったね。誰も目にとめない、

気づくこともない、ほんの小さな嘘やごまかしが

積もり積もったあげく、やがては火事であがる煙のように、

人を包みこんで息の根を止めてしまうのだ」

(「カササギ殺人事件」より)

 

イギリスの伝統的なお屋敷ミステリーで、

登場人物も、館の当主家族、家政婦、庭師、

その関係者の牧師、医師、骨董屋・・・と、

“館あるある”。

冒頭は葬儀のシーンで、埋葬が終わったとき

墓地の木の枝にびっしりとカササギがとまっていた。

墓掘りは子どもの頃に教わった数え歌を思い出す。

一羽なら悲しみ、

二羽なら喜び。

三羽なら娘、

四羽なら息子。

五羽なら銀で、

六羽なら金。

七羽ならそれは、

明かされたことのない秘密。

数え歌もミステリーに多く使われるモチーフだ。

タイトルもこれに由来する。

 

ピュントの相棒、ジェイムズ・フレイザーもいい味だ。

名探偵には名相棒?がお決まりだもの。

カササギ殺人事件』の謎解きと、

入れ子の外側、編集者“わたし”の物語は下巻へ。

ひきつづきアップしたいと思います。