もりっちゃんのゆるブログ

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「カササギ殺人事件」(下)を読みました

今日はすごい天体ショーがあるようですよ。

私は天体や宇宙には疎くて、なぜそうなるのか全く分からない

けれど、何百年に一度というからすごい。

皆既月食はともかく、天王星食は珍しいです。

肉眼では見られないかな。

 

カササギ殺人事件 下 〈カササギ殺人事件〉シリーズ (創元推理文庫)

カササギ殺人事件」(下)(アンソニーホロヴィッツ 著/

山田蘭 訳)を読みました。

 

この作品が作中作であることは、上巻の記事に書きました。

ミステリ作家アラン・コンウェイの新作『カササギ殺人事件』を

読んでいた編集者の“わたし”(名前はスーザン)は、

こんな声を上げる。

こんなに腹立たしいことってある?

(「カササギ殺人事件」より)

なんと渡された原稿には結末部分がなかったのだ。

あわててスーザンは上司のチャールズに電話をかける。

「ミステリの原稿を読ませておいて、誰が犯人か

わからないようにしておくなんて、いったいどういうこと?」

と。

チャールズの読んだ原稿にも結末部分はなかった。

作者のアランに問いただそうとしたら、

アランは自宅の塔から転落して亡くなっていたのだった・・・

 

いや、もうたまらない。

アンソニーホロヴィッツは、入れ子の中と外の文体を

ちゃんと変えていて、中は少し重厚に、外は軽快になっている。

1955年が舞台でちょっと古臭い上巻の物語が苦手な人でも、

この2015年が舞台の下巻の物語にはなじめるかもしれない。

下巻の最後には、入れ子の中外ともにきちんと謎が明かされる。

気持ちいいくらい。

私のように未熟な読者探偵が引っかかってしまった

目くらましにも、ちゃんと理由を与えてくれる。

 

また、この作品はアガサ・クリスティーへのオマージュに

なっている。

登場人物の名前や地名に、クリスティーだけでなく、

イギリス文学の世界をうかがわせる名前が使われている

(らしい。私には気づけない部分も多かった(笑))

 

上下巻を読み終えて思うことは、

ミステリに限らず、小説は出版され作者の手を離れると、

それはもう作者の“もの”ではなくなってしまうのだ

ということだ。

人気作家は、ある作品が売れて大ヒットすれば、

その続編を求められる。

違う毛色の作品を書きたいと作者が願っても、

叶えられないこともある。

作者がみずから生み出した主人公を、憎むという状況も

ありうる。

反対に、作者がどれほど嫌な人間であろうと、

描くキャラクターにはとことん惚れてしまうこともあるのだ。

読者は作品を愛する。その時点で作品はもう読者の“もの”に

なっていると言えるかな。

 

作中作『カササギ殺人事件』の作者アラン・コンウェイ

嫌な人間であったかもしれない。

でも彼が描くアティカス・ピュントは大好きになってしまった。

もうピュントの登場する作品を読めないことが

何より悲しい。