もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ある男」を読みました

近畿地方、梅雨入りしました。☔

今日は雨よりも風が強くて空気も冷たいです。

これから約1ヵ月、雨に気をつけながら、

ちょっとは楽しみながら過ごしたいです。🐌

 

ある男 (文春文庫 ひ 19-3)

「ある男」(平野啓一郎 著)を読みました。

平野啓一郎氏の作品は初めてです。

新聞の寄稿や評論は読んだことがありますが、

小説は読んでいませんでした。

何人かのブロガーさんが、ここのところこの本を読まれて

いたので読んでみることにしました。

近く映像化されることもきっかけになりました。

 

この物語は、「私」が「城戸さん」と呼ぶ男性から聞いた

話をもとに虚構化した設定になっている。

主人公を「城戸」に据え、

城戸が以前弁護士として関わった里枝(りえ)から、

奇妙だが不憫な事件の依頼を受け、

城戸が「ある男」を追うというストーリー。

読んでいくうちに、このワンクッション置いた描き方

(「ある男」の背中を追う城戸の背中を見ている)

が、物語との間に妙な距離感をもたせる。

 

ミステリータッチではあるが、描きたいことは各所に

ちりばめてあって、登場人物と同じように立ち止まって

思索にふける、ということが何度かあった。

 

城戸とその妻 香織との夫婦の軋みには、

ずいぶん考え込んでしまった。

作中では、東日本大震災後の城戸のボランティア活動と

なっていたが、

私自身は阪神淡路の震災時に、香織と同じようなことを

自分の夫に感じたのだ。

地震当日、とりあえず私たち家族は無事だった。

でも家の中も家の周りもぐちゃぐちゃだったし、

まだ(当時でいう)余震も続いていた。

そのなか、旦那さんは「会社へ行く」と言った。

息子がまだ1歳半で、私は「今日だけは家にいてほしい」

と頼んだ。

夫が会社へ行く道中も心配だった。

しかし、震源地により近い会社が心配だと言って、

原付バイクで出かけてしまった。

このときのぼうぜんとした思いを私は忘れることが

できない。

決して家族を軽んじているわけではない。

もちろん愛情もある。それはわかっている。

でも、自分の眼で確かめたいという夫の気持ちを

私はどうしても理解することはできなかった。

城戸の妻、香織と同じように夫との明確な隔たりを

そのとき感じたにも関わらず、私たち夫婦は夫婦を続けた。

震災以後も何度か同じような状況(価値観の差や隔たり)

が訪れ、たぶん旦那さんも私と同様のことを感じているだろう

と思いながら、どちらも何も言わない。

それは、ただの運となりゆきだっただろうと思う。

城戸と香織は、私たち夫婦よりずっと誠実だと思える。

そしてそのことに少し勝手な羨ましさを感じてしまう

のだった。

親子でさえも感じる溝があるのに、

他人同士の夫婦に溝がないはずがないと私は思っている。

その溝を目立たないようにカーペットを敷いたり、

溝に花を植えたりして、ごまかしている。

城戸と香織のやりとりを読んで、自分は不誠実だなと

つくづく思ったが、それが自分なりの折り合いだと思う。

旦那さんはどう思っているかわからないけれど(^^ゞ

 

もうひとつ、心に残ったのは、城戸が美涼(みすず)

という女性に言った

「他者の傷の物語に、これこそ自分だ!って感動する

ことでしか慰められない孤独がありますよ」

ということば。

これはわかる。普通は想像上で慰めるわけだが、

それを実生活でやるとなるとね。

たまらなく哀しくなる。

 

今回、小説家は生と死と、愛と哀しみを書くんだなあ

と当たり前のことをしみじみ思った。

とても感銘を受けたので、平野氏の著作をあと1篇、

そしてトルストイの「アンナ・カレーニナ」を

読んでみたい。

ロシア文学は途中で挫折してばかりで、

どうなるかわからないけれど。