もりっちゃんのゆるブログ

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「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」を読みました

花粉だけでなく、黄砂やPM2.5も飛んでいるそうです。

でも我が家は外干ししています。取り入れるときに

はたいています。

暖かくなると、「出かけたい」熱が上がってきます。

思い立って急に出かけているかも・・・

 

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」(堀川惠子 著)を

読みました。

 

死刑に関する話題に必ずといっていいほど出てくる言葉が、

永山基準」だ。

おそらくその話題の文脈で、「死刑の基準になっている項目」

という認識をもっている人が多いと思う。

私もそうだ。

 

永山基準」とは、4人を殺害した罪で1997年に処刑された

死刑囚・永山則夫の裁判の判決から生まれたものである。

(「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」より)

裁判は1969年から1990年にかけて行われたが、

事件自体は1968年に起こり、1969年に逮捕されている。

自分が生まれて5年後の事件で、この頃の報道には

全く記憶がない。

永山則夫という名前や「永山基準」という言葉を知ったのは、

高裁への差し戻しをした最高裁判決(1983年)

以降のことだと思う。

1987年高裁は死刑判決を下し、1990年に死刑が確定。

永山則夫が犯した犯罪については詳しく知らなかったし、

永山が初めて死刑判決を受けた人物ではないのに、

なぜ「基準」という言葉が生まれたのか知りたいと

思いました。

 

永山則夫については、獄中で本を執筆し出版したことや、

結婚したこと(その後離婚している)が話題になった

ようだが、この記事では触れないでおく。

「永山裁判」の特徴は、

少年法(51条)の捉え方、

死刑判決、

そして「永山基準」という言葉が生まれたこと

にあると思う。

 

永山則夫は事件当時19歳だったが、実名報道されている。

なぜかはこの本ではわからなかったが、

インターネットのない時代、凶悪事件ということで

マスコミが踏み込んだ報道をしたのかもしれない。

逮捕後は、家裁送致から逆送を経て通常裁判を

受けることになる。

少年法51条では、18歳未満の者には死刑は科さない

無期懲役とする)となっている。

永山は少年法の対象だったが、死刑を科すことができる

分岐点に当たっていたといえる。

話がそれますが関係あるので少し触れておきます。

成人年齢が18歳になったことで少年法も見直され、

今年(2022年)4月1日に施行されます。

18歳、19歳は「特定少年」とされ、基本的に

逆送事件は20歳以上と同じ扱いになるそうです。

詳しくは各サイトでお調べください。

 

永山則夫の裁判は、一審で死刑、二審で無期懲役

最高裁で差し戻しとなり、高裁で死刑判決が

出され死刑が確定した。

死刑と無期懲役の分かれ目にあった犯罪の裁判であった

ことがわかる。

死刑と無期懲役とは、被告人の命がかかっている点で

他の量刑の差とはやはり違う。

 

この本の発行は2009年。

この年の8月、日本で初めての裁判員裁判が開かれた。

著者は、一般の市民が刑事裁判で被告を裁く立場になった

ことで、死刑判決にも関わることになる重みを感じ、

取材を始めたという。

自分が被告人になることはない、と言えても、

被害者や被害者家族になる可能性はあるし、

裁判員になる可能性も出てきたのだ。

永山裁判の一審や二審の判決文を読み、

私の気持ちは揺れに揺れた。

ある元最高検検事の言葉が紹介されている。

永山は何せ、拳銃を強奪して4人もの者を殺して

金も取っている。これが死刑でなくて一体何が

死刑だと。

(「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」より)

この言葉を聞けばそうだなと思う。

 

一方、二審の「無期」判決文にはこうある。

ある被告事件につき死刑を選択する場合があるとすれば、

その事件については如何なる裁判所がその衝にあっても

死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に

限定せられるべきものと考える。

難しい文章だが、どの裁判所どの裁判官が裁いても

死刑判決になるような場合に限って死刑を選択すべきで

あるということだ。

命を奪う刑なのだから慎重に判断すべきだというのも

わかる。

私の気持ちはあっちへふらふら、こっちへふらふら

してしまうのだ。

 

最高裁の差し戻し判決で示された、後に「永山基準」と

呼ばれるようになる、“併せ考察すべき各般の情状”は、

ひとつの文の中に読点で区切られて列挙されている

だけだった。

犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・

残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、

遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、

犯行後の情状等各般の情状・・・

という感じだ。

しかし、私が「永山基準」を知った頃には、

①~⑨までの箇条書きになっていた気がする。

その経緯について、著者は以下のように述べている。

   ↓

永山事件の最高裁判決は、「基準」という言葉そのものを

明示したわけではなかった。しかし、その後に行われた

死刑事件の裁判の審議においては、最高裁判決の

「各論」、つまり破棄された永山事件と比較検討して

結論を導き、判決文には九つの量刑因子を掲げた

「総論」の表現を引用するという手法が多くとられて

いる。

そのような運用が続くうちに、九つの量刑因子を満たせば、

死刑にゴーサインが出せるその根拠として「永山基準

が存在感を強めてきた。

(「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」より)

 

そのうえ近年、この9項目でも重要視される項目がより

はっきりしてきた気がする。

前科がなくても(初犯であっても)、

動機が特になくても(通り魔的なものでも)、

少年事件であっても、

極刑の判断が下されるようになった気がするのだ。

残虐性や社会的影響、被害者感情が重要視されるように

なった。

昭和から平成になって犯罪の形態が変わってきたことも

あるのだろう。

 

死刑についてまだ学び始めたところなので、

自分の意見はまだもてない。

でも、スタートラインには立てた気がする。

 

「死刑の基準」について、著者が最後にまとめていることを

長くなるが引用しておきたい。

では、「死刑の基準」とは何かー。

この問いを抱え、そして永山則夫という一人の死刑囚の

足跡を辿ってきた私が行き着いた答えは、

「人を処刑する画一的な基準はありえない」という

一言に尽きる。

基準がないとすれば、どうやって人を裁き、死刑を

下せばいいのかと問われるだろう。人が人を裁くこと、

それは言葉で言うほど容易なことではない。

裁き、そして殺すという判断を下すのであれば、

なおのことである。それでも、人が人を裁くのであれば、

それは、犯行の周辺だけではなく、被告人の内面までも

深く見つめ、そのおいたち、たどってきた人生、

更正(註:原文ママ)の余地に至るまで、あらゆる

過去、現在、そして人間としての可能性を探ること

ではないか。それは同時に、裁く側のこころの奥底に

ある倫理観、死生観、そして生き様までをも厳しく

問い直し、むき出しにする作業となろう。そこに

基準などありえない、と私は思う。

(「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」より)

 

最後に、図書館で借りた第1版であったが、誤字や

変換ミスが多かったように思う。それが残念だった。