もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

関東甲信越のゆるキャラ

先週月曜日の地震にはびっくりし、怖い思いをしました。

今でも不自由な生活をされているかたや、被害に遭われたかたに

お見舞い申し上げます。

 

私はちょうどNHKの朝ドラを見るためにテレビの前に座っていました。

こたつ布団をのけたこたつ台を夏場はテーブルとして使っていて、

地べたに座布団を敷いて座っていました。

ドンと揺れてからテレビの緊急地震速報が鳴りました。

ケータイは鳴ったようですがわかりませんでした。

その頃にはもうグラグラ揺れていて、こたつ台の下に頭を入れているのが

精一杯の状態。

揺れがおさまった後見ると、こたつ台ごとかなり移動していました・・・

とにかく怖くて体中が震えました。 手の震えは1時間ほど続きました。

阪神淡路大震災のときの記憶はだいぶ薄れた気がしていたのに、

一気によみがえり、体は覚えていたんだなあと思いました。

 

部屋は普段の整理が悪いのでいろいろ散乱していましたが(^^ゞ、

家具やテレビなど大きいものは何も倒れませんでした。

マンションの12階なので、発表される震度より0.5は大きいと

思っています。

大震災後、大きい家具はマンションの揺れる向きと垂直になるよう

置き、突っ張り棒をつけるように徹底しました。

食器棚は観音開きから引き戸のものに替えました。

それで中のものが壊れたりすることはあっても外に落ちたり

飛び出たりするのを防げると思います。

システムキッチンをリフォームして、シンク下の物入れが

観音開きから手前へ引くタイプの引き戸になったのですが、

おそらく開いたり閉まったりしたのでしょう。

キッチンの作業台にあったものが、その物入れの中に

入っていました (+_+)

 

171(災害伝言ダイヤル)を初めて利用しました。

息子はまだ就寝中 (*_*; でしたが、無事だったので、

自分と息子の無事を録音し、旦那さんとは連絡が取れない旨を

入れました。

やり方に慣れていないので何度か「もう一度やってください」

メッセージが流れ、動揺しているところにますます焦りました。

結局、千葉に住む義姉からは固定電話に、私の実家からはケータイに

電話があり、無事は伝わりました。

旦那さんの会社は8:00始まり。ちょうど仕事を始めたときで

揺れたけれど大丈夫で(会社は神戸市北区)、そのまま仕事を続けていて

事態に気づいたのはお昼でした。

 

ライフラインの確認をしたとき、ガスが最初点いていたのに、

しゅ~と炎が小さくなってぽっと消えてしまいました。

おおもとで止めていなければ、ガスメーターで復旧できるので

やってみると復旧しました。

このことを知らない人が多く、同じマンションでもガス会社に連絡したり、

管理人さんに聞いたり、大量のガスボンベを買いに走った人がいました。

 

家の片付けをして落ち着いてからは、できるだけ普段通りにしようと

昼の3時からジムに行きました。いつもは午前中に行くのですが、

知った顔を見るとほっとしました。

 

今回は京阪神のほとんどの電車が止まったため、行き先に行くことも

家に帰ることもできなくなった人が数多くいました。

歩いて帰るにも限界の距離があるでしょうし、ベストな選択が

できるよう普段から考えておかないとと思いました。

 

さて、おととい22日(金)に大阪市立東洋陶磁美術館

「特別展 フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年」を

見に行きました。

その報告は後にまわして、

梅田のディアモール大阪関東甲信越ゆるキャラが来ていて

写真を撮ってきたので載せます。

詳細は家で調べました。

ディアモール大阪から地下を南へ歩き、梅新から御堂筋を南へ歩くと

淀屋橋

ハイキングで道に迷ったことで梅田から淀屋橋まで歩いて行けるように

なりました(^^)/

行きはこの3体。

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新潟:レルヒさん

日本のスキー発祥100周年をきっかけに誕生した。

新潟の地で日本初のスキーを教えたオーストリアの軍人

テオドール・フォン・レルヒさんがモチーフ。

「日本元祖スキー漢(おとこ)」としてウインターレジャー

活性化のため日夜活動中。

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長野:アルク

信州に出没する大変珍しいクマ。

クマなのに寒がりでいつも頭にかぶり物。

クマなのに旅好きでいつも背中にリュックサック。

信州をクマなく歩きまくり、信州の魅力を世の中にクマなく

広めるのが生きがい。

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茨城:ハッスル黄門

ねんりんピック茨城2007のマスコットキャラクターとして

全国公募により2005年に誕生。

水戸黄門がモデル。

抜群の知名度と元気で愛らしい姿で、小さなお子様から

お年寄りまで幅広い方々に親しまれている。

 

帰りはまた別のが来ていました。

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栃木:とちまるくん

スポレク エコとちぎ2011のマスコットキャラクターとしてデビュー。

栃木県の県木であるトチノキをイメージして誕生した。

栃木県元気ニコニコ係リーダーから栃木県元気ニコニコ室長に

昇任した。体操が得意。

 

全部初めて見たゆるキャラでした。

丸いフォルムのゆるキャラが多い中、レルヒさんは

インパクトがありました (+_+)

 

 

 

ラブリーなクマちゃん

今日の夕食はラタトゥイユです。

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夏には何度も作りますが今日はとりむね肉を入れてみました。

いかを入れてもおいしいですね♪

材料は

たまねぎ、なす、ズッキーニ、セロリ、ピーマン、トマト。

それぞれ1.5㎝角に切り、最初にみじん切りのにんにくを

オリーブオイルで炒めた後、上の材料順に炒めていきます。

コンソメ1個、塩、こしょうで味付けして20分煮ます。

水は入れません。酒か白ワインを大さじ1杯入れるくらい。

ローリエとタイムかオレガノで風味付けします。

 

明日はハイキングの予定です。

旅のお供のミキちゃん。 ↓

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 (Selfish.Mのキットより)

「ウキウキBear ミキ」というタイトルなので、クマちゃんです。

こういうキュートでラブリーなキットや布を選ぶこと、

珍しいのです。なんでか目を引いて選んでしまいました。

表と裏を中表に合わせて縫って、ひっくり返して綿を詰めて

パーツをつないで終わりなので簡単。

 

ほとんどリュックと同じ大きさなので、後ろを歩く人から

声をかけられます。

一人の参加でも話がはずんだりします。

明日はミキちゃんとジャカランダの花を見に行ってきます(^^)/

 

大阪の名所歩き~城北運河から中之島公園~

梅雨入りしましたね ☔

今年の梅雨は陽性で、降るときはざあっと降り、

合間にはカラッと晴れるそうです。

昨日は雷雨でしたが今日はいいお天気。

 

たまっているハイキングの記事をアップします。

5月27日(日)に行った京阪・ミズノわくわくウォーク

大阪市内の名所を歩く 城北運河から中之島公園へ」の

報告です。

京阪電車主催のハイキングは阪急主催に次いでハードな

ものが多く、気合いを入れて参加しないといけません。

 

京阪森小路(もりしょうじ)駅から歩いて10分の新森中央公園

を9:30に出発です。場所的には鶴見緑地の西側という感じ。

この新森中央公園には森小路遺跡の碑が建っています。

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昭和6年付近で発見された弥生時代の集落遺跡。

 

公園を出て南へ歩き、4/10の鶴見緑地ウォークで歩いた

城北運河遊歩道を南下。

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向かいの赤い花はタチアオイ。この季節大好きな花です。

この日は小中学校の運動会に当たっていたようで、マイクから

案内や応援の声が流れていました。

 

遊歩道の途中にこんな看板。↓

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このあたり大阪大国技館があったそうです。

国技館は相撲の興行をするところ。昭和12年にできた

コンクリート4階建ての洋風ドーム建築でした。

りっぱな建物でしたが、昭和16年に戦局悪化のため興行は中断。

戦後は進駐軍に接収され解体されました。

今はURの団地になっていて当時をしのぶものは残って

いません。

 

中菫橋で城北運河を渡りそのまま西へ。

水神社(野江水神社)がありました。

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このあたりは土地が低く、淀川やその支流が大雨で氾濫し水害を
被りました。

そのため水の神様を勧請したものと思われます。

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拝殿の両側にはあじさいの鉢が置かれたくさん花をつけていました。

今年はあじさいの開花も早いですね。

 

西へ西へと進むと毛馬桜之宮公園

ちょっと休憩して源八橋を西へ渡ります。

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源八橋から南側をのぞむ。

 

まだまだ西へ進み、天神橋筋商店街を横切る。↓

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扇町公園で昼食休憩です。

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カンテレ(関西テレビ)が見えます。

なんとこの公園はもと大阪監獄のあったところです。

江戸時代から刑場でした。

1920年に監獄が移転し、公園として整備されました。

プールもありグラウンドも広く、たくさんの人が遊びに来ていました。

 

扇町公園の西側を出て北へ。中崎町を歩きます。

ゴールは南の中之島なのに、北へ歩くのはツライ・・・

中崎2北の交差点で西へ折れ、済生会病院前まで歩きます。

南へ折れ、阪急梅田駅前でヨドバシカメラ側へ渡る。

ここでちょっと道がわからなくなり、落ち着くためにヨドバシで

トイレを借りました。

地図で確認して合流することができました。

グランフロント大阪、地下道を通って新梅田シティへ。

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ここは新梅田シティ南東角の広場。

新梅田シティ梅田スカイビルウェスティンホテル大阪を中心とする

複合施設で、梅田スカイビル空中庭園が有名です。

 

なにわ筋に出て南下。いよいよ中之島を目指します。

暑さ、足の疲れとの闘い(^^)/

福島駅前の浄正橋。↓

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ABC朝日放送を過ぎ、

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玉江橋堂島川北側を東へ。

 

渡辺橋を渡って中之島へ。

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向こう側に見えるビルは新しくできた中之島香雪美術館のあるビル。

近いうちに絶対行きます!

 

あとは中之島をゴールの京阪なにわ橋駅を目指してひたすら東へ。

大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、東洋陶磁美術館を

過ぎてやっとゴール!

お疲れさまでした。

梅田まで歩く元気はなく、淀屋橋駅から地下鉄で帰りました。

 

歩程:約12㎞

 

 

ミニキルト スーの住む街

おはようございます🌞

夜から雨の予報・・・いよいよ梅雨入りか。

 

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 (「パッチワーク教室 NO.108」加藤礼子先生のデザインより)

久しぶりにパッチワーク作品のアップです。

いろいろ作ってはいるのですが、なかなかアップできていません・・・

雑誌を見ながら、手持ちの布で作ってみました。

スー姉妹がお家に帰るところです。

屋根や壁、窓やドアなどパーツに使える布(の一部分)を

探すのに一番苦労しました。

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スーちゃん、今回は金髪でお人形を持って。

お姉さんはクマのぬいぐるみを持っています。

季節を問わず飾れるかなと思っています。

 

尼崎の街お散歩ウォーク その2

6月になりました🌂

梅雨に入る前にせっせと出かけてばかりでちっとも

ブログアップができていません(T_T)

今からがんばります!

月初め恒例のジムでの計測では、体重がさらに0.7㎏

減っていい感じです。

無理をしないで続けていこうと思います。

 

さて、「尼崎の街お散歩ウォーク」(5/20)後半に突入

します。

大物橋跡から北浜公園を経て、

尼崎市文化財収蔵庫というところへ行きました。

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ここは旧尼崎市立高等女学校(大正2年開校)。

といっても奥の鉄筋の校舎は昭和13年にできたもので、

学制改革後は高校や中学校の校舎として平成19年まで

使われてきました。

この石垣風の門は昭和2年にできたもので女学校当時の

ものとして残っています。

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懐かしい形のポストも残っていました。

 

そのまま西へ歩いて庄下川の手前にある櫻井神社へ

お参りしました。

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最後の尼崎城主・忠興が設立に係わったという博愛社(のちの

日本赤十字社)の記念碑がありました。

尼崎、なかなかすごいです!

 

櫻井神社を出てそのまま庄下川にかかる開明橋を渡ります。

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てくてく南西に歩いて、ちょっと細い道沿いに、

一見古い銀行のような建物。↓

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じゃ~ん、ここは尼崎信用金庫の世界の貯金箱博物館でした。

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世界の貯金箱が国や地域ごと、素材(陶器や金属など)ごとに

い~っぱい展示されています。

懐かしいのやら珍しいのやら、わくわくしてきます(*´▽`*)

この博物館には何度か来ていて、それもこのハイキング自体あましん

尼崎信用金庫)の協賛で必ずコースに入っているからです。

貯金箱の歴史を少し。

ヨーロッパでは教会に置かれた献金箱が貯金箱のルーツと

言われています。

中国ではお金として使われていた子安貝をためていた

貯貝器が一番古いもの。

日本では縄文時代の甕(かめ)にあたると言われ、

種もみや穀物を貯めていました。

日本と外国の貯金箱を比べると共通することと

異なることがあります。

①縁起物が多い

日本では、えびす、大黒、ほてい、だるま、福助

招き猫など。

外国では、にわとり、ハチの巣、テントウムシ、亀、

象、豚など。

②取り出し方

外国では、鍵付きのものが多く、必要に応じていつでも

出せる。

日本では割らないと出せないものが多く、割るときに

心理的な抵抗を感じさせる。

③硬貨を入れる穴

外国では頭のてっぺんをタテに割ってコインの投入口を

作ったものがある。

日本では頭を割ることを避け、背中や肩に投入口を

作っている。

 

貯金箱博物館のお隣りは、尼信会館。

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土蔵のような建物です。

中では書と油絵の展覧会が開かれていました。

貯金箱博物館も尼信会館も入場無料で月曜・祝日以外は開館

しています。

 

北へ上がると寺町。

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1617年に大名・戸田氏鉄(うじがね)が尼崎城を築き、城下町を建設

するにあたって、散在する寺院を城の西に集めて寺町をつくりました。

城下町の雰囲気が残っています。

 

寺町から43号線まで南下したところが貴布禰神社

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だんじりの手入れがされているところでした。

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歩道橋を渡って南の工場地帯へ入ります。

暑くなってきたのとペットボトルのお茶がなくなったのとで

ちょっとしんどくなってきました・・・自販機を探しながらの

ウォークです。

蓬川を中洲橋で渡り、(↓ 北側をのぞむ)

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ようやく自販機を見つけ冷たいお茶を飲んで一息つき、

最後の力をしぼりだす・・・

阪神尼崎センタープール前駅で解散。

10㎞もない距離でしたが暑さで体力を消耗しました。

でも尼崎の良さを感じられ、お隣の市に愛着もわいたので

また歩いてみたいです。

 

歩程:約9.3㎞

 

尼崎の街お散歩ウォーク その1

そろそろ梅雨入りかな~と思わせる少し蒸しっとした

日和です。

お出かけには向きませんが、楽しく梅雨どきを過ごしたい

ですね。

 

20日の日曜日、第3回あましん・阪神沿線そぞろあるき

「新緑の候・青葉の香をのせて尼崎の街お散歩ウォーク」

に参加してきました。

今日と違って湿度は低かったけれど、日差しが強くて

暑い日でしたよ~~🌞

 

阪神出来島駅南側の大和田川公園に9:30集合。

今回は先に駅でトイレを済ませましたよ(^^)v

北進して千船大橋で神崎川を渡り、左門小橋で左門殿川を

渡り、早々に尼崎市に入りました。

阪神本線の高架下をえんえん歩きます ↓

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公園ではあじさいが咲きかけ。

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3.5㎞歩いたところでもう昼食ポイント。

まだ10:40くらいですが先に食べちゃいました。

お昼を食べた小田南公園は、ユニチカ工場のあったところです。

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尼崎市兵庫県なのに電話の市外局番が大阪市と同じ06です。

この謎にはユニチカが大きく関わっています。

明治22年に尼崎紡績という会社が尼崎にできました。

そのときに引いた電話(線)が尼崎初めての電話でした。

尼崎紡績は自前で電話線を架設し、それを大阪電話交換局に

寄付したのです。

尼崎は大阪との経済的な結びつきが強かったのに、市外通話では

交換(当時電話は交換手がつないでいた)に時間が

かかるし、通話料も高額。

市や商工会議所などが陳情して、昭和37年に尼崎市

市外局番は06となり、大阪市との電話は市内通話扱いと

なったのでした。

電話線を自前で引いた尼崎紡績が今のユニチカです。

尼崎紡績は大正7年に大日本紡績と改称、昭和39年に

ニチボーに改称、昭和44年に日本レイヨンと合併し

ユニチカとなりました。

 

ユニチカといえば、私はバレーボールと制服を

思い出します。

ユニチカのバレーボールチームは子どもの頃よく見た

テレビ中継で、とても強いチームでした。

ニチボー貝塚という名前を聞いたことがある人も

おられるでしょうが、ユニチカチームの前身が

このニチボー貝塚です。

当時ニチボーの貝塚工場にバレーボール部があり、

そう呼ばれました。

東洋の魔女と呼ばれ、東京五輪にも出場した

全日本チームもほとんどニチボー貝塚の選手でした。

今、ユニチカチームは会社の業績悪化により東リに

選手が移籍し、なくなってしまいました。

 

もうひとつの制服というのは、

25才で転職したとき同じビル内にユニチカのオフィスが

ありました。

化粧室などでユニチカの女性社員と会うことがあり、

制服がかわいかったのを覚えています。

 

ユニチカ工場跡の看板を見ていろいろな思いに

ひたりながら、ウォーキングは続きます。

 

大物川緑地を越えて、大物主神社へ。

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横から入って。

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お参り。

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正面から出る。

 

大物橋跡。↓

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阪神間国道43号線くらいが昔の海岸線だったそうなので、

ほとんど海が間近にあったと思われます。

ごつごつとした荒々しい石です。

 

このへんで前半終わります。

後半は次回。お楽しみに~~

 

 

I love KEN-SAN

今年は5月になってほとんど半袖の服を着ていますが

今日はちょっと半袖では寒いですね⛄

コンビニ店員の息子が「制服が半袖になったので

(下に何を着るか)どうしよう」と言っていました。

 

先日、母と一緒に西宮市大谷記念美術館へ

「追悼特別展 高倉健」を見に行きました。

母とのお出かけは久しぶりです。

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20代の頃、健さんの映画をよく観に行きました。

「駅 STATION」

南極物語

「居酒屋兆治」

「海へーSee youー」

などです。

テレビやビデオで「幸福の黄色いハンカチ」や

野性の証明」「鉄道員(ぽっぽや)」なんかも

観ましたね。

好きでした。無口でかっこよくて。

 

今回の特別展では健さんの主演した映画全205作品

をスクリーンやモニターで2~3分ずつ見られる

ようになっています。

映像の他にもポスターやスチール写真、台本の

展示もありました。

私の知らない健さんの若い頃の仁侠映画を

たくさん見ることができました。

ほとんどが男性の観客というのも珍しいこと

でした。

 

母がチケットを持ってきてくれたのですが、

特に健さんが好きだったわけでもなく、

思っていた通り私といろいろ話をしたかったようです。

 

父が車の免許を返納することになりました。

82才、ずっとずっと心配でしたが、

初めて事故を起こしたことがきっかけで。

70代のときは「80まで」と言い、80になってからは

「85まで」と言っていました。

無事故無違反の父にとっては車はステータスで

プライドだったのです。

起こした事故は人的被害がなく、本当に幸いでした。

「これは天啓なんだよ」と私は母に言いました。

車がなくなってとても不便な生活になりますが、

工夫をして生活することを父も母も考えて

いかないといけないでしょう。

 

今までできていたことができなくなる。

したいことができなくなる。

これは年老いた両親の問題ではなく、やがて

私にも訪れる生活の変化なのです。

できなくなったことを考えるのではなく、

そのときできることの中で工夫できることはないか

楽しめることはないか考えていくことが

大切だと思います。

両親と共に考え、その決断を尊重していきたいと

思います。