3月に入ってから雨が多く、肌寒い日が多いですね。
天気のせいではないけれど、気持ちが沈む日が多くて
まだまだ春らしいワクワク気分にはなれません・・・
この不安定さが春なのかな。
間があいてしまいましたが、「Welcoming アベノ・天王寺ハイク」の
最終回をアップします(^^)/
茶臼山は、788年和気清麻呂が上町台地を東西に流れる堀川を掘り、
周濠に水を引こうとしたときに掘り返された土を積み上げた名残りの山だと
言われています。
大坂冬の陣では徳川家康が、大坂夏の陣では真田幸村が布陣しました。
1614年徳川方と豊臣方の関係が悪化する中、7月京都方広寺梵鐘の
銘文が徳川家康の怒りをかい、このことが大坂の陣の発端となる。
家康は茶臼山に本陣を置き、約20万の大軍で大坂城を包囲したのに
対し、豊臣方は約10万で大坂城に籠城する。
12月には和睦が成立するが、徳川方の条件は大坂城の外堀を埋める
ことだった。この条件が夏の陣の大敗を呼ぶ。
1614年和睦の翌日から堀の埋め立てが始まり、外堀だけの条件が
破られ家康は内堀まで埋めてしまい、再び両家の緊張が高まる。
1615年4月樫井の戦い、5月5日道明寺・八尾若江、
7日天王寺口の戦いと再び決戦の火ぶたが切って落とされた。
徳川方約15万に対し、豊臣方約5万5千で応戦。真田幸村・木村重成、
本田忠朝など名だたる武将が討ち死にした。8日大坂城は落城。
秀頼と淀殿は自害し、豊臣家は滅亡。戦国時代最大にして最後と
言われる戦いは終焉を迎えた。
ハルカスを左手に見ながら阿倍野方面へ入り、大阪市立大学附属病院、
阿倍野墓地の西側をどんどん南へ。
去年(2018年)3月23日に参加したハイキングと同じ道を通って、
聖天山公園でトイレ休憩。
この公園は古墳で小高い丘になっています。
公園の南西に正圓寺があります。
また階段・・・(;'∀')
本堂。ブレブレやな。
聖天山山頂の標識がありました。
正圓寺を出て、松虫通を東へ。
阪堺電車の線路の手前に松虫塚があります。
ここも前回のハイキングで訪ねました。
古書「芦分船」には後鳥羽上皇に仕えた松虫、鈴虫の官女が
法然の念仏に発心し庵を結び隠棲したした所と
伝えられています。
↑ 白手袋をした指が写りこんでしまいました。心霊写真みたい・・・
このまま阪堺電車に沿って北上し、あべのキューズモールで
解散になりました。
今回のハイキングは協賛があって参加費が無料、
ゴールでは記念品がもらえました(*^-^*)
保冷バッグです♪
天王寺七坂の上り下りはしんどかったけれど、大阪の意外な高低差を
感じることができました。
大勢でにぎやかなハイキングでした。
歩程:約11㎞