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「誘拐犯」(下)を読みました

誘拐犯 下 (創元推理文庫)

「誘拐犯」(下)(シャルロッテ・リンク 著/浅井晶子 訳)を読みました。

上巻の記事はこちら。 ↓

moricchan24.hatenablog.com

 

行方不明になっていた少女アメリーは、防波堤から海に落ちかけていたところを通りすがりの二人の男に助けられ、無事家に戻った。しかし肝心の誘拐の詳細は語らない。アメリーの親である宿の経営者夫妻に、ケイトは警察とは別に真相を探ってほしいと頼まれる。地元署のケイレブ警部に後ろめたさを感じながら、ケイトは調査を始めるのだった・・・

 

主人公ケイト、ケイレブ警部、宿の経営者夫人デボラ、誘拐された少女たちなど複数の登場人物の視点で物語は進んでいく。そのうえ今作は、おそらく犯人と思われる人物の独白の章がところどころに挟まれ、緊迫感が増す構成になっている。

事件の展開とともに、ケイトの恋愛模様やケイレブのアルコール問題など登場人物のプライベートも興味深く、読んでいて飽きない。

 

もちろん犯人は捕まるし、謎も解明されるが、決して丸く収まった結末ではない。時間は戻らず、関係者は誰もが問題を抱えたままだ。

物語の最後に、ケイトがこんなふうに言うシーンがある。

すべてが、<なにがあろうと人生は続く>というよく耳にする格言を裏付けるものに見えても不思議ではないというところだ。

(「誘拐犯」(下)より)

しかし、ケイトはこの格言が嫌いだという。

多くの人が深い考えもなく簡単に口にする、単に耳触りがいいだけの使い古された言葉だと思えるからだ。たいていの場合は、慰める余地もないほど悲しんでいる人間に対して、まさにそうする権利をー慰める余地もなく悲しむ権利をー否定するために使われる言葉だからだ。

(「誘拐犯」(下)より)

けれどたとえ一歩でも前進していくのだ、とケイトは言う。

そう、人生はひとつの場所に留まってはいない。たとえ希望をすべて失って凍りついてしまったような気がするときでさえ。

(「誘拐犯」(下)より)

 

解説によると、刑事ケイト・リンヴィルのシリーズは、四作まで発表されているそうだ。3作目の邦訳が待ち遠しい。

 

いつもコメントをくださる吉田健康さんが、上巻の記事のコメントで作者のシャルロッテ・リンクがドイツ人であることに触れておられましたので、作者についてここで少し補足しておきたいと思います。

作者のシャルロッテ・リンクはドイツ・フランクフルト生まれのドイツ人ですが、小説の舞台はもっぱらイギリスです。それについて、リンクはイギリスが好きで憧れを抱いていたからだと言っています。イギリス、それも、かのブロンテ姉妹(シャーロット、エミリー、アン)の故郷ヨークシャーを舞台することが多いです。

シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」も、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」も、風の吹きすさぶ崖っぷちに佇む女性のイメージがまず思い浮かぶほど、この土地の特徴をあらわしていると思います。

憧れの目で見たイギリスの描き方には、いろいろ意見もあるようですが、そこは小説。読み手次第だと思います。

ジェーン・エア」も「嵐が丘」も中学生時代から何度も読んだ大好きな小説なので、また読み返してみたいと今回思いました。