寒さがゆるんでいます。
コロナの感染者数は減少傾向ですが、油断なく気をつけなければ・・・
「家族じまい」(桜木紫乃 著)を読みました。
毎日新聞の「今週の本棚」で紹介されたのが、2020年6月のこと。
図書館で予約しようと思ったら、まだ図書館では買われていませんでした。
まだ早すぎたかと思って保留しておいたら、気がついたときには何百件の予約がつきてしまい、ようやく順番が回ってきました。私の後にも50件ほど予約がついています。
桜木氏の作品は、「氷の轍」を既に読んでいます。
直木賞受賞作「ホテルローヤル」は未読。そのうちに、とは思うもののいつになるやら。
北海道出身の作者だが、今作も舞台は北海道。
5篇からなる連作短編で、共通して登場するのは釧路に住む老夫婦だ。
二人の娘たちには頼らず暮らそうと思っているが、妻の方が認知症を患う。
老夫婦をとりまく“家族”たちそれぞれの事情、悩み、しがらみを描いている。
老夫婦の年齢はちょうど私の両親と同じくらいで、笑いや涙のツボは見事に一致する。「こうしたい」という希望と「こうするしか仕方ない」という妥協との間で常に揺れ動く。
自分なりの気持ちの折り合いをつける、それが作者の言う“家族じまい”なのかと思う。
自発的に「終える」のだった。
終いではなく、仕舞いだ。
(「家族じまい」“第四章 紀和”より)
感情と行動の整理、これは家族間の揉め事、問題においては常に必要だ。
そうでないと前に進めない。
今までもそうだったし、これからはなおさらそうだろう。
“家族”って何? 同居している人? 血縁がある人?
同居していなくても、血縁がなくても“家族”だと思う人もいる。
法律ではどうかわからないが、“家族”は主観的な概念なんだろうなと思う。
老姉妹が並んでこっそりプリンを食べるラストシーンは、胸がつまった。
プリンは幸せの象徴、懐かしい子ども時代の象徴なんだろう。
みな、自分が選んだ自分を生きている。
(「家族じまい」“第五章 登美子”より)
そうだ。そう思って前へ進もう。