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「カーテン ーポワロ最後の事件ー」(クリスティー文庫33)を読みました

カーテン (クリスティー文庫)

「カーテン ーポワロ最後の事件ー」(アガサ・クリスティー 著/

田口俊樹 訳)を読みました。

昨年末、「スタイルズ荘の怪事件」の記事に書いた通り、

この「カーテン」は原作を読まないままドラマを見たのでした。

最後まで見たのに、

タイトルの「カーテン」の意味がわからなかったし、

話の結末にひどく驚きました。

頭脳明晰なポワロならではの苦しみが現れていました。

原作ではどうなのか、「カーテン」の意味を考えながら読み始めました。

 

「スタイルズ荘の怪事件」から数十年。

(「スタイルズ荘~」が1916年とすると、

「カーテン」刊行が1975年なので、60年程度経っていることになる。

ポワロは120歳を超える計算に。

んなアホな。だからそのへんは「サザエさん」方式で納得しましょう)

ヘイスティングズは、親友ポワロから「スタイルズ荘に来るように」

と手紙をもらう。

何とポワロは、今はゲストハウスとなっているスタイルズ荘に

滞在し療養中だという。そしてヘイスティングズの末娘のジュディスも

仕事で滞在中とのこと。

スタイルズ荘に着いたヘイスティングズは、村の変貌に歳月の流れを

感じる。病床に臥し車椅子生活を送っているポワロを見て愕然とするが、

自分も同じように老い、妻を亡くしてすっかりふさぎ込んでいた

のだ。

ポワロは、「このスタイルズ荘に殺人犯がいる。新たな殺人が起こる

かもしれない。私の目や耳、手足となり情報収集をしてほしい」と

頼むのだった。

 

共に多くの事件を捜査していた頃に比べると、ポワロにも

ヘイスティングズにも寂寥感が漂う。

ここに集まったわれわれはみな人生のたそがれにある者ばかりだ。

髪も灰色なら、心も灰色、夢も灰色。

(「カーテン」より)

しかし、私のような年齢になるとこういう気分になるのは

とてもよくわかる。きっと若い頃読んでいたら、暗い話だなあと

思っただけだったろう。

人はやがて年を取り、やがて死を迎える。それは自明の理だ。

それを踏まえてどう今を過ごすか。自分らしく。

 

このポワロ最後の事件の犯人は、法では裁けない殺人者だといえる。

自分では決して手を下さない。

人が持っている潜在的な悪い感情、憎悪や嫉妬をそれとなく煽り、

殺人を犯させる。

私たちはみな殺人者になる素質を持っている。Xの技巧はまさに

ここにあります。人に願望を呼び覚まさせるのではなく、

普通なら人が誰でも持っている、願望を抑えようとするまっとうな

心を打ち砕くのです。これは長い年月をかけて完成された

技巧です。人を唆し、人の弱点に少しずつ圧力をかけていくには、

どういうことば、どういう表現、どういう抑揚を使えばいいか、

Xは熟知しているのです!

(「カーテン」後記より)

そんな真の犯人に対して、ポワロはひとつの答えを出した。

とても信じられない答えを。

たぶん、ポワロは親友 ヘイスティングズを守ったのだと思う。

彼と彼の家族と彼の未来を。

そのために命を懸けたのだろう。かっこよすぎ?!

 

タイトルの「カーテン」を私は窓に掛けるカーテンだと

思っていたが、あのカーテンではなかった。

劇場の緞帳、幕のことだったのだ。

ポワロシリーズの幕、アガサ・クリスティーの幕(この作品は遺作)、

そして探偵エルキュール・ポワロの人生の幕が降ろされたことを

表しているのだろう。

終わりを先に読んでしまってちょっとしんみりしてしまった。

もちろん間の32作品も読みます。(^^)/