もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ありふれた祈り」を読みました

いいお天気が続いて行楽日和です。🌞

でも、ここのところ元気が出ません・・・

秋だからか、体調が不安定です。

体がだるくて、頭がぼーっとする。

夜眠れない・・・

あんまり意欲も湧かなくて。

暗い話でスミマセン。。。

まあ、ゆっくりぼちぼちいきます(^^)/

 

ありふれた祈り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

「ありふれた祈り」(ウィリアム・ケント・クルーガー 著/

宇佐川晶子 訳)を読みました。

本屋さんで表紙を見て手に取り、裏のあらすじを読み、

北上次郎さんの解説をちょろっと読んで、迷わず購入を決めた

ひとめぼれ本。

 

いい小説を読んだときの満足感・充足感を得られ、

しばらくコーヒーを片手に、窓からぼうっと遠くの山々を眺めた。

ミネソタのニューブレーメンの景色とは全然違うのだろうが、

ある程度の年齢になった人ならば、読後そうやって思いを馳せる

ことだと思う。

 

主人公のフランクが、“大人への敷居を早めにまたいだ”40年前を

回想する構成。

1961年、ミネソタ州のニューブレーメンという田舎町で、

13歳のフランクは、11歳の弟ジェイク、18歳の姉アリエル、

牧師の父、芸術と音楽を愛する母と暮らしている。

いわゆる思春期の屈託を抱えた少年が、その年の夏、

さまざまな“死”に直面していく。

初めは、遠い“死”だった。

それがどんどん身近になっていく。

死について訊きたかった。死ぬのは痛いのかどうか、

死後わたしや他のみんなを待ち受けているのは何なのか。

真珠の門だ、なんて言わないでよ、父さん。

(「ありふれた祈り」より)

たとえ父親が素晴らしい説教をする牧師であったとしても、

「死」や「生きる意味」について納得できる答えは

自分で見つけるしかない。

 

私が少年を主人公にした作品で思い出したのは、

ヘッセの「少年の日の思い出」だ。

中学2年の教科書にあった。

あんな胸がつぶれるような苦しい思いをするのは、

あの年代しかないのではと思う。

ただ40年も経つと、その思いも懐かしい故郷の風景と

共に振り返ることができるのだ。

 

「ありふれた祈り」というタイトルの意味は明かせない。

もう読んでもらうしかない。

今すぐ当時のミネソタのニューブレーメンに飛んで行って、

フランクとジェイクを抱きしめたいと何度も思った。

私は“少年の物語”として読んだが、ミステリとしてももちろん

読めるし、ドイツ人が入植した街の歴史や先住民への差別など、

当時のアメリカの問題も読み取れる。

 

昔、少年少女だった大人たちへ、

自分の子ども時代を思い出しながらページをめくってほしい。