もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語⑮」を読みました その3

だんだん気温が上がってきました。🌞⤴

まだ体が暑さに慣れていないから、熱中症に気を

つけないと。

 

ローマ世界の終焉──ローマ人の物語[電子版]XV

ローマ人の物語」シリーズ最終巻、

ローマ人の物語ローマ帝国の終焉

読後レポート第3弾です。

 

第3部は、

西ローマ帝国が滅んで、ゲルマン民族

支配されたイタリア半島のその後と、

東ローマ帝国が何とかイタリア半島を回復しよう

とゴート王国(西ゴート王国)に挑んださまを

描いています。

 

少数による多数の支配が総じてスムーズに進んだ

のには、安全になったことを何よりも喜んだ

敗者側の想いがあったからではないかと思う。

だが、誰がこれを批判できよう。「平和」を

保証すること以上の、統治者にとっての責務はない

のである。

(「ローマ人の物語⑮」“第三部 帝国以後”より)

私も意外だったのは、人々が何よりも“平和”を

望んだということ。

まずは戦争がないこと。命があること。

食べ物があること。家があること。

仕事があること。

それ以上のことを望むのは、まず最低限のことが

保障されてこその話なのだ。

 

政治でも軍事でも行政でも、人間世界の多くの

ことは「苦」を伴わないでは済まない。

ゆえにそれを国民に求めねばならない為政者に

必要な資質は、「苦」を「楽」と言いくるめる

ことではなく、

「苦」は苦でも、喜んでそれをする気持ちに

させることである。

(中略)

比較多数であったローマ人による反乱が一度として

起こらなかった。統治の内容が良かったから

だけではなく、統治のプレゼンテーションも

良かったからだと思う。

そして、人材を登用するだけでなくその人材を

活用する能力が、

為政者には欠くことは許されない資質であることは、

人種にも民族にも宗教にも関係のない、

個々人の器量でもあるのだった。

(「ローマ人の物語⑮」“第三部 帝国以後”より)

異民族であるゴート人の支配を受け入れて、

50年近く経つ。

その状態を、旧ローマ帝国の片一方、ビザンツ帝国

東ローマ帝国)がイタリア回復のためとはいえ、

破壊する。

ビザンツ軍とゴート軍の戦闘で破壊しつくされる

ミラノやローマ、イタリアの各都市の悲惨なさまは

読んでいて本当につらかった。

(前略)

ローマの住民たちも、自衛隊を編成してでも

起とうとしなかった。

彼らは飢え、飢えは彼らの肉体だけでなく、

意志までも鈍らせていたのだった。

(「ローマ人の物語⑮」“第三部 帝国以後”より)

 

表紙の写真のクラウディア水道橋。

なんとこの水道橋が、ローマの中心に侵入するための

隠れ通路として利用されたのだ。

それを防ぐために、その水道橋を自ら壊す。

兵士の進入路として注目されるようになっては、

ローマ文明の居場所はなくなる。

(中略)

一般の人々への常時の配水もまた立派に政治であると

考えていた、ローマ文明は死んだのであった。

(「ローマ人の物語⑮」“第三部 帝国以後”より)

 

長い長いローマの物語は終わった。

筆者の塩野氏は次の言葉で本編を終えている。

盛者は必衰だが、「諸行」(res gestae)も

無常であるからだろう。

これが歴史の理ならば、後世のわれわれも、

襟を正してそれを見送るのが、人々の営々たる

努力のつみ重ねでもある歴史への、

礼儀ではないかと思っている

(「ローマ人の物語⑮」“第三部 帝国以後”より)

 

約1年をかけて全15巻を読み終え、

正直なかなか大変だったが、まさに大河ドラマ

堪能した気分だ。

人間は愚かな部分も多いが、賢く有能な部分もたくさん

ある。要はいかにそれを活かすかなのだろう。

決して捨てたもんではない。

それぞれが最後まであきらめずにしっかり生きなきゃ

いけない。のちの人々のためにも。

強くそう思った。