もりっちゃんのゆるブログ

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「だれも死なない日」を読みました

今日から大学受験の共通テストが始まりました。🏫

コロナに寒波にと、受験生には心配なことが多いのに、

怖い事件も起きました。

親御さんも心配でしょうね。

明日は何事もなく力が発揮できますように。

 

だれも死なない日

「だれも死なない日」(ジョゼ・サラマーゴ 著/雨沢泰 訳)

を読みました。

2021年10月16日(土)の毎日新聞書評欄「今週の本棚」で

紹介されていた本。

書評を書かれていたのは社会学者の橋爪大三郎氏です。

 

ある年の元日零時から、突然誰も死ななくなった。

交通事故でも病気でも災害でも、たとえ瀕死の状態であっても

死なない。

どうなると思いますか?

これはもちろん架空の物語。

橋爪氏は“大胆な設定の寓話小説”と言っているが、

ブラックなディストピア小説かしらと思って読み始めた。

死は人間にとって恐れるもの、避けたいものだ。

年をとっても、病気になっても死なないなら怖いものはない。

バラ色の日々になるんじゃないか。

本当に?

 

生命保険の解約が相次ぎ、保険会社は困る。

死がないなら復活もない。教会も困った。

誰も死なないので葬儀屋はつぶれた。

病院は死なない人であふれ、病床がひっ迫。

なんと、死なないので安心して自宅で療養してくださいと

言われて自宅に返される。

どうですか。なんと皮肉なことでしょう。

 

たぶん、今のコロナ禍の世界にも影響されて、

橋爪氏もこの本をとり上げたのだろうと思うが、

2005年の作品。日本語訳は昨年9月に出たばかりだ。

作者のジョゼ・サラマーゴポルトガル生まれの作家。

1998年にノーベル文学賞を受賞し、2010年に亡くなっている。

 

物語は次の段階へ。

隣国では今までと変わらず人が死んでいる。

ある家族が夜中に死ねない老人と瀕死の赤ん坊を連れて、

隣国との国境を越え、死んだ二人を埋めて帰ってくる。

家族は国じゅうから非難されるが(今でいう炎上)、

まもなく同じことを考える家族が続出。

 

永遠に死なない国に生きる人びとはどんな思いで

いるのかー。

永遠に生きる希望と絶対に死ねない恐怖とのはざま

(「だれも死なない日」より)

人びとは地球上でこの国だけがそうなったのだと

知った虚栄心と、

こんな国は他にないのだという深い動揺とに

引き裂かれており、(後略)

(「だれも死なない日」より)

作品の中ではこんなふうに語られている。

 

しかし、死ねない国の運命は再び転換。

“今まで死ななかったのは、私が鎌を振るわなかった

から。これからは死ぬ運命にある人に死の一週間前に

紫色の封筒に入った手紙を届ける”と

死を司る「モルト」が表明し、

紫の手紙を受け取った人はその通り死んでいく。

 

生と死をもてあそばれるような気分は不快だが、

国王や政治家、教会、宗教家、哲学者、テレビ局など

マスコミ、それぞれの反応や発言はいかにもありそうで、

笑ってしまうくらいだ。

 

しかし、終盤は意外な展開で一気に読んでしまった。

モルト」って、「死」って何?

サラマーゴは何を言いたかったのだろう。

 

書評に書かれていた、

“この小説の結末はなかなか感動的である。

それは読んでのお楽しみ、読者に取っておこう。”

という橋爪氏の言葉で、私はこの本を読むことを決めた。

おそらくこの言葉がなければ、読むことのなかった本だと

思う。

 

生きものは生まれた途端、死ぬことが決まっている。

生きることは、死へのカウントダウンなのだ。

カウントがアップすることはない。

けれど、数字の増減ではない何かが人生にはある。

私の読後感だ。