もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「対岸の彼女」を読みました

今日はいつものクリニックに薬をもらいに行きました。

主治医に、「7月か遅くても8月にはワクチンの接種券が送られて

くると思うから、来たら言ってな」と言われました。

「ホンマですか?」と思わず言ってしまいました。

まあ、ホンマにその頃来たとしても、実際接種できるのはまだ先

だろうし。過度に期待しないでおこう(笑)

 

それにあんまり報道もないけど、ワクチンの効果(抗体)はいつまで

もつんや?

今年中に接種できても、来年どうなってるか誰にもわからん。

わからんから、どうしても刹那的に考えてしまう。

 

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女」(角田光代 著)を読みました。

2005年第132回直木賞を受賞しています。 

角田氏の作品はいくつか読んでいますが、この作品は初読です。

帯には以下のようにあります。

女の人を区別するのは女の人だ。既婚と未婚、働く女と家事をする女、

子のいる女といない女、立場が違うということは、ときに女同士を

決裂させる。

おとなになったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる。

働いている女が、子どもを育てている女となかよくなったり、

家事に追われている女が、未だ恋愛をしている女の悩みを聞いたりする

のはむずかしい。高校生のころはかんたんだった。

いっしょに学校を出て、甘いものを食べて、いつかわからない将来の

話をしているだけで満たされた。けれど私は思うのだ。あのころの

ような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、

と。(角田光代

まさにその通り! と30代の私なら叫ぶだろう。

身近だった女友達が、気がつくと対岸にいた。手を伸ばしても届かない。

そんな思いを何度もした。

だが今は思う。

私自身は川を流れる小舟で、あちらとこちらの岸を行ったり来たり

しているだけだったのだ、と。

友達が対岸に行ってしまったのではない。私が舟に乗って

フラフラしていただけなのだと。

 

それに時代は2005年からたった15年余りでもだいぶ変わった。

登場人物のひとり、楢橋葵の高校時代の描写で「国鉄駅」という

ことばが出てくる。

はっきり年代は書かれていないが、彼女ら(葵と小夜子)が

2003年(雑誌『別冊文藝春秋』連載時)に35才と仮定したら、

(葵が30半ばという描写がある)

1968年生まれになる。

国鉄民営化(JR発足)が1987年4月1日。彼女らは19才。

だいたい合ってるんじゃないかな。

角田氏は1967年生まれ。私はそれよりもうちょっと上の世代。

ケータイもなくインターネットもない。

就活も婚活も妊活も保活も情報は雑誌か口コミ。

そんな時代から、葵と小夜子の現在(2003年)は携帯メールの

時代になっている。

そして、2021年はさらに20年近く経っているのだ。

女性の仕事や子育ての状況はかなり変わっている。 

だから時代や環境は古くささを禁じ得ない。

問題は、女性の心の中、思いだ。

今の30代の女性はどう感じているのかな。

 

と、ここまでは帯の文章と読み始めの頃の思い。

読み終えると、また違った思いも増えた。

20年前なら私はもう40代に突入しているけれど、その頃に読んでみたかった。

それでも年を重ねた今の思いがいくらでもあふれ出てくる。

こういうストーリーを越えて訴えかけてくる小説が好きだ。

失礼ながら、この頃の角田さんも若いな、ストレートだな、と思う。

 

言葉を交わしているうち少しずつ、彼女が殻を割りその割れ目から

こちらをまっすぐ見据えるような感触があった。高校生のときの

自分を思い出さずにはいられなかった。小夜子としゃべっていると、

自分が記憶のなかのナナコを演じているような気分に、ときおり

葵は襲われた。

(「対岸の彼女」より)

対岸の彼女」というタイトルは、帯文で私が想像したようなことは

誰でも想像するし、そう遠くはないと思う。

作中にはラスト、「対岸の彼女たち」ということばで現れ、

その意味がわかる。

 

他にも心に残ったセリフがある。葵のセリフ。

「私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす

影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのが

こわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいても

こわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、

うんと大事な気が、今になってするんだよね」

(「対岸の彼女」より) 

 ちょっとどきっとします。

 

小夜子の夫と姑のことばは、かなりひどい。

でも20年前は普通だったろう。

それに全く悪気はないのもわかる。だからたちが悪い。

「そんな気はまったくなかった」

「そんなつもりはなかった」

今まで何度自分の夫からも聞いただろう。

何度小夜子や葵と同じ涙を流しただろう。

でもめげてはいけない。

強く強く励まされた。

 

川の流れに流されるのではなく、自分で櫂を持って漕いでいく。

自分の舟は自分で制御しないとあかんのや、と

人生の終盤に近づいてその思いに至ったダメな私です(笑)