もりっちゃんのゆるブログ

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「ローマ人の物語Ⅲ」を読みました

九州・四国・中国地方が梅雨入りしました🌂

ずいぶん早いです。これは近畿も遠からず・・・ 

 

勝者の混迷──ローマ人の物語[電子版]III

ローマ人の物語Ⅲ 勝者の混迷」(塩野七生 著)を読みました。

ローマ人の物語」シリーズ3巻め。

共和制ローマがポエニ戦役後に地中海世界覇権国家となった

B.C.146年以降のローマ内の内乱

(それを塩野氏は“勝者の混迷”とあらわした)を描いている。

 

今回の表紙は、主な登場人物(グラックス兄弟、マリウス、スッラ、

ポンペイウス)の誰でもない“無名の若者の像”(カピトリーノ

美術館蔵)。

塩野氏は

意志は強固でもそれは育ちの良い品性に裏打ちされ、口許に

漂う官能的な感じは、この若者が冷血漢ではまったくなかったことを

示している。そして、哀愁が漂う。

私が第Ⅲ巻の内容を端的に示さねばならないカバーにこの顔を

使うのは、グラックス兄弟からはじまるローマの混迷の原因が、

研究者の多くが一刀両断して済ませる、勝者ローマの人の奢りでもなく

頽廃でもなく、彼らの苦悩であったことを訴えたいからでもある。

(「ローマ人の物語Ⅲ ”グラックスの時代”より)

と言っている。

確かに哀愁が漂っている。

争いに勝ったか負けたか、国が興ったか滅んだかだけだと

歴史はすべて結果になる。

でもどこにも人は暮らしていて、政治も戦争も人と人との間で

行われるものなのだ。

結果に至る人の営みがこの巻でもよくわかった。

 

勝者であるにもかかわらず、彼(註:スキピオエミリアヌス、

カルタゴを落とした司令官)は思いを馳せずにはいられなかった。

人間にかぎらず、都市も、国家も、そして帝国も、いずれは

滅亡を運命づけられていることに、想いを馳せずには

いられなかったのである。トロイ、アッシリア、ペルシア、

そしてつい二十年前のマケドニア王国と、盛者は常に必衰で

あることを、歴史は人間に示してきたのだった。

(「ローマ人の物語Ⅲ」“序章”より) 

盛者必衰・・・「平家物語」を思い出しましたよ。

 

(略)

失業者とはただ単に、職を失ったがゆえに生活の手段を失った

人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。

(「ローマ人の物語Ⅲ」“グラックス兄弟の時代”より)

この弱者対策、いわゆる福祉の考え方は、古代ローマでもちゃんと

あって、食糧の援助や住宅の援助、仕事の紹介などいろいろ対策が

行われているのだが、ただ仕事があって食べていけるだけでは

人間は自分自身に尊厳を持てないのだということがわかる。

自分が社会に何かしら役割を果たせているか、自分の存在を

肯定できるかということが大事なのだ。

近代に「人権」の考え方が確立され、現代になっても、社会的

弱者への向き合い方はいまだに模索が続いている。

 

人間とは、食べていけなくなるや必ず、食べていけそうに思える

地に移動するものである。これは、古今東西変わらない現象である。

この種の民族移動を、古代では蛮人の侵入と呼び、現代ならば

難民の発生という。

古代ローマも、この種の民族移動を、ローマが存続しているかぎり

忘れることは許されなかった。

(「ローマ人の物語Ⅲ」“マリウスとスッラの時代”より)

なるほどな。難民は民族移動なんだ。

 

ローマ人が創り出した法の概念と、義理人情は矛盾するではないか

と言われそうだが、私の考えでは、思うほどは矛盾しない。

法律とは、厳正に施行しようとすればするほど人間性との間に

摩擦を起こしやすいものだが、それを防ぐ潤滑油の役割を果たすのが、

いわゆる義理人情ではないかと考える。法の概念を打ち立てた

ローマ人だからこそ、潤滑油の重要性も理解できたのではないだろうか。

(「ローマ人の物語Ⅲ」“マリウスとスッラの時代”より)

これはすごくわかります。

義理と人情の時代劇(笑)。

 

後世に生きるわれわれが古のギリシア・ローマ文明に接するのは、

二千余年を経た今でも残る壮麗な遺跡や、美術館を埋める造形芸術、

教養として教えられる哲学や歴史や文学などを通じてである。

そして、ひとたびこれら人智の結晶にふれれば、誰もが感嘆する。

なんとすばらしいものを創造したのか、と。だが、感嘆すると同時に、

疑問もいだく。これほどの洗練された文化文明を築いた彼らなのに、

なぜ、非人道的な奴隷制度には疑いさえもたずに生きていけたのか、

と。

(「ローマ人の物語Ⅲ」“ポンペイウスの時代”より) 

これは根深い問題。古代ギリシアでも古代ローマでも奴隷制度が

あった。

生まれながらの身分制度があったのだ。

18世紀の啓蒙思想で、奴隷制度の廃止を謳った法律は各国で

成立したが、

とはいえ、法律はできても人間の心の中から、他者の隷属化

に無神経な精神までが、完全に取り除かれたわけではないのである。 

(「ローマ人の物語Ⅲ」“ポンペイウスの時代”より)

と作者は言っている。

 

今回もいろいろなことを考えさせられました。

次巻はいよいよユリウス・カエサルの登場です。

図書館で確認したら、カエサルだけで2巻ありました。

読むの大変やな。