もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「ローマ人の物語Ⅰ」を読みました

二晩連続で夜中に薬を使ったので、今日はかなりぼーっとして

眠いです😪

やっぱり3度目の緊急事態宣言がこたえているのかなあ・・・

元気出して! 

 

ローマは一日にして成らず──ローマ人の物語[電子版]I

ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にして成らず」(塩野七生 著)を

読みました。

前から読みたいと思っていましたが、長いシリーズなのと

読むならⅠ巻からと思うとだいたいⅠ巻は貸し出し中だったりして、

なかなかその機会がありませんでした。

今回幸いⅠ巻が棚にあったので借りて読みました。

「Ⅰ巻 ローマは一日にして成らず」は、伝承上のローマの建国(B.C. 753)

からローマ共和制によるイタリア半島統一(B.C. 270)までの

約500年間が描かれています。

 

最後まで読めるか自信がありませんでしたが、予想外(失礼!)に

おもしろい!

登場する歴史上の人物が、本当に生きているように(うーん、

この表現はいかがか・・・)描かれています。

読むのに歴史の(世界史の)知識が必要かといえば、これは

微妙かな~

ところどころに地図や表があり、私はほとんどひっかかりなく

読めました。でも古代ギリシャやローマ、当時のその周辺の民族や

小国家にひっかかって(ん?と思ってしまって)、読むのが

しんどくなる人もいるかも。

(私が理系の読み物を読むときのように)

 

ただこの「ローマ人の物語」シリーズの魅力は、

(まだⅠ巻しか読んでいませんが)

歴史を知り、当時の人々の生きざまを知って、現代人が何を感じるか

について読者に問いかけてくるところです。

いくつか引用して紹介します。

 

知力では、ギリシア人に劣り、

体力では、ケルトガリア)やゲルマンの人々に劣り、

技術力では、エトルリア人に劣り、

経済力では、カルタゴ人に劣るのが、

自分たちローマ人であると、少ない史料が示すように、

ローマ人自らが認めていた。

それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことが

できたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって

維持することができたのか。

  (「ローマ人の物語Ⅰ」“読者へ” より)

これは確かにそうなんですよね。

Ⅰを読んで少しそのとっかかりは掴んだ気がするけれど。

・ローマ人の気性(寛容さ)

・ローマ人の持っていた国家観

・ローマの周りがすごかった(笑)

まだこの先も続けて読まないとわからないですね。

 

ローマ建国から500年といっても、途中3分の1は古代ギリシア

歴史にページが割かれている。

偉大な政治家、哲学者、文化を持ったギリシアがなぜ短命に

終わったのか。

(略)

時代のせいであろうか。それとも、時代を越えて、偉大な人物は

偉大であることによって、自分では思いもよらない毒を周囲に

まき散らしてしまう存在であるのか。

  (「ローマ人の物語Ⅰ」“ギリシアの衰退”より)

うーん、深い。 

「毒○○」と言い方が今よくされています。

 

(略)

歴史は必然によって進展するという考えが真理である

と同じくらいに、歴史は偶然のつみ重ねであるという考え方も

真理になるのだ。

こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、

悪しき偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、

良き偶然は必然にもっていく能力ではないだろうか。

  (「ローマ人の物語Ⅰ」“南伊ギリシアとの対決”より)

確かに。でもそれが難しい。 

 

古代のローマ人が後世の人々に遺した真の遺産とは、

広大な帝国でもなく、二千年経ってもまだ立っている遺跡でもなく、

宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった、

彼らの開放性ではなかったか。

それなのにわれわれ現代人は、あれから二千年が経っていながら、

宗教的には非寛容であり、統治能力よりも統治理念に拘泥し、

他民族や多人種を排斥しつづけるのもやめようとしない。

「ローマは遥かなり」といわれるのも、時間的な問題だけでは

ないのである。

  (「ローマ人の物語Ⅰ」 “ひとまずの結び”より)

なかなか耳が痛い。 

 

引用部分だけを読めば、ローマはすごいってことを言いたいだけか

と思われるかもしれないけれど、ダメダメな部分ももちろんしっかり

描かれている。

次は「Ⅱ ハンニバル戦記」に続きます。(^^)/

 

4/30追記

表紙は共和制ローマ創始者ユニウス・ブルータスの

ブロンズ像。