熊本の豪雨被害に心が痛みます。これ以上被害が広がりませんように。
明日以降も断続的に雨が降るようです。
こちらも気を引き締めて。
「チョウはなぜ飛ぶか」(日高敏隆 著)を読みました。
「春の数え方」
とか、
「ネコはどうしてわがままか」
など、とてもおもしろいのに処分してしまって手元にない(T_T)
6月20日付毎日新聞の書評欄「今週の本棚」で養老孟司先生が、
この「チョウはなぜ飛ぶか」と「博士の愛したジミな昆虫」の書評を
書かれていて、2冊とも図書館で予約しました。
「チョウはなぜ飛ぶか」を書かれた日高先生は動物行動学者。
子どもの頃からの虫好きです。
初版は1975年で、それから何度も形態を変えて出版されています。
今年の5月、岩波少年文庫に入ったので、養老先生も改めて取り上げられた
ようです。
「チョウはなぜ飛ぶか」の「なぜ」は英語のWhyよりHowに近く、
「どうして」「どうやって」飛ぶのかを表しています。
確かに、チョウはどうやって蜜のある花を見つけるのだろう?、
オスはどうやってメスを見つけるのだろう?、
メスはどうやって卵を産み付ける植物を見つけるのだろう?
と疑問だ。
でもそんなことを真剣に考えたことがなかった。
チョウチョの勝手でしょ~♪
そりゃそうなのだが、昆虫の一生はうんと短い。
ぼやぼやしていると一生が終わってしまう。
成虫になったらオスはメスを探して交尾をし、メスは卵を産まないと
いけない。
何らかの理由と方法があるはずなのだ。
この本を読んで一番びっくりしたのは、
「結局わからなかったのである」 や
「わけがわからなくなってしまった」 や
「これについてはいったんあきらめることにした」などの
フレーズがひんぱんに出てくることだ。
実験や研究をしていて、予想とは違う結果が出ることは
往々にしてある。
わからなかったことを「わからないこと」として認め、
違ったアプローチを試みたり、
いったん棚上げして、別の研究をしたりする。
そのままずっとわからないままのこともあるが、
別の研究をしていて、「ひょっとしたらあのときわからなかった
アレはコレじゃないか」とヒントになることもあるそうだ。
日高先生は、1975年版のあとがきでこう書かれている。
ぼくが書きたかったのは、研究で何がわかったかということでは
なかった。
科学の本というのは、たいていは研究のすばらしい成果が書いてある。
それはすでにできあがってしまったものであって、本にはそれが
やさしく(ほんとはそうやさしくも、わかりやすくもないが)、
説明してある。そういう本は書きたくなかった。
そうではなくて、ぼくはまだ研究のとちゅうにあることについて
書きたかった。いろんな失敗や、ばかばかしいまちがいを書きたかった。
研究というものが、けっして本に書いてあるように、すっきりとした
理論のうえになりたったすばらしいものではなくて、いかにばかくさい、
くだらないものであるかを書きたかったのだ。
(「チョウはなぜ飛ぶか」あとがきより)
わからないことだらけだからこそ、たった一つでもわかったことがあれば、
小躍りするうれしさだろう。
研究というのは、ジミな作業の繰り返しなんだなと思いました。
次は「博士の愛したジミな昆虫」を読みます(^^)/