もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「楽隊のうさぎ」を読みました

非常事態宣言が出る前から、確か3月上旬から学校が休校に

なりました。

自分の子どももとうに大学を卒業し、孫もいないので、

自分が学校に直接関わることはしばらくありません。

だから自分にとって「特に支障のないこと」ではあります。

だからといって、「関係のないこと」では・・・ないんだな~

 

学習はオンライン授業の模索が始まり、いろいろ問題はありつつも

環境が整っていくのだろうと思う。

しかし・・・クラブ活動はどうなるのだろう、と私はずっと案じている。

 

このコロナ感染拡大のうんと前から、

少子化が進んで、大人数で行うクラブ活動がだんだん危機的な

状況になっていくだろうと思っていた。

チームでプレーするスポーツ。

合唱、吹奏楽などの大人数音楽系。

演劇、などの分野。

部員が少ないと成り立たないクラブが出てくる。

 

スポーツや音楽など文化活動を、学校のクラブ活動から

始める子どもが日本では多い。

人数が少なくなってできなくなる活動のほかに、このコロナ拡大予防で

1対1でやるスポーツなんかも難しくなってきた。

ぼちぼち登校を始める学校も出てきたけれど、

クラブ活動ができなくて、「もう本当に気がおかしくなりそう」な

子どもたちがいるんじゃないかしらと憂う。

そしてその子どもたちに「こうだよ」と明確に言ってあげる

言葉が全然なくてつらい。

 

楽隊のうさぎ (新潮文庫)

「楽隊のうさぎ」(中沢けい 著)を読みました。

 

BOOK OFFでだいぶ前に購入したけれど、積んでいたもの。

表紙を見れば一目瞭然。中学校の吹奏楽部のお話です。

平成12年単行本発行、平成15年文庫化だから、20年ほど前の

話になる。

けれど、40年以上前に中学校で吹奏楽部にいた私にも

全然リアルに感じられる群像劇でした。

主人公は中学に入学したばかりの奥田克久くん。

小学校で少々いじめにも遭い、中学ではクラブ活動なんか

参加せずにさっさと帰宅する生活を考えていたのに、

ひょんなことで吹奏楽部に入ることになる。

 

いわゆるギョーカイ用語(笑)が満載。

パーカス・・・パーカッションパートのこと。

パート練習・・・各パートでする練習。略してパー練。

実は音楽系のクラブはスポーツ系に負けず劣らず練習がハードです。

朝練(始業前の練習)があり、昼練(昼休みの練習)があり、

放課後はもちろん、夏休みも冬休みも春休みもずーっと練習で、

家に帰ってからも練習(個人練習)。

 

主人公の克久くんはパーカッションパートに入る。

いや、もう私と全くおんなじやん!

コンクールを目指して、校舎の一番上の4階の教室で

汗だくになりながらスティックで板を叩いて、マメばかり作っていた。

私とおんなじやん!

夏の暑さと蝉の声と汗のにおいと部員の騒がしい声と、

プアアーンというロングトーンの音と、

全身の感覚がよみがえってきます。

 

高校受験や親との確執、先輩・後輩との不協和音、

先生や指導者との対立。

中学生の悩みやしんどさはびっくりするほど何も変わらない。

私の通った中学は、当時それほどの吹奏楽の名門校ではなかったので、

コンクールは地方大会までだったし、

保護者や学校内部からの圧力もそんなになかった。

克久の中学は埼玉県の名門校で、全国大会の常連。

それは大変だろうと思う。

 

作品は、克久が2年になった秋の全国大会、普門館*1での

ステージを終え、拍手と「ブラボー!」という声に包まれる

ところで終わる。

こんな経験を誰もができるわけではない。

それでもきっとわくわくするだろう。

こんなわくわくをどうかこれからも子どもたちが

味わえますように。

 

主人公は中学生の克久だが、作者の語りの視点はなんというか、

少し離れたところにある。

克久の視点だと思っていたら、すーっと離れていき、

母親の百合子さんが登場すると百合子さんの視点になったり。

私も中学生の克久になったり、母親の百合子さんになったり、

忙しかったです(笑)

 

今の状況でこの作品を読むことになったのは何か意味が

あるのかもしれない。

みんな、心を折らないで。エールをおくるから。

 

*1:吹奏楽の聖地と呼ばれた東京都杉並区のホール。現在は解体中