もりっちゃんのゆるブログ

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「朱色の研究」を読みました

今日は涼しい一日でした。関東は3月並みだったそうです。

服装には気をつけないと。 

 

有栖川有栖著「朱色の研究」を読みました。

朱色の研究 (角川文庫)

ちょっとドキッとする表紙です。

タイトルは作者もあとがきで述べている通り、

コナン・ドイルの、そしてシャーロック・ホームズのデビュー作

「緋色の研究」(A Study In Scarlet)をもじったもの。

 

火村英生&有栖川有栖シリーズの中でも、ミステリの贅沢さを

味わえる作品だと思う。

珍しく犯人が犯罪を犯す動機が丁寧に描かれているのだ。

何となく映像も覚えているので、ドラマ化された作品に

入っていると思うが、トリックもしっかりしている。

 

作品の中で朱色は、夕日、夕焼けの色として提示される。

そしてその夕日のオレンジ色を極度に恐れるヒロイン、

貴島朱美から「2年前の未解決事件を調べてほしい」と

頼まれた火村がアリスと共に調査に乗り出す・・・

そんな矢先、二人は奇妙な電話を受けて訪れたマンションの一室で

死体を見つけてしまう。それは朱美の叔父だった・・・

 

ストーリーには直接関係ないが、

作中で朱美がアリスに「たいていの推理小説の中で人が殺されるのは、

どうしてなんでしょう?」と聞くシーンがある。

それに答えるアリスのセリフがとてもしっくりきたので

引用する。 (ちょっと長いです)

「・・・殺人事件がテーマだと、死体が登場するわけですよね。

死体とは、『あなたを殺したのは誰ですか?』と問いかけても

それに答えて語る能力をなくした存在です。(中略)

死体ー死者は、こちらがいくら問いかけても絶対に答えることがない。

その不可能性が鍵のような気もします」

 (中略)

殺人事件を扱った推理小説の不可能性というのは、換言すると、

いくら問いかけても答えないものに語らせること、ではないかと

思うんです。問いかけても答えないと確信しているものに、

答えてくれないと確信しながらなお問いかけるというのは、

切ない行為だと思いませんか?」

 (中略)

「そして、これほど人間的な行為もないかもしれない。

人は、答えてくれないと判っているものに必死で問い続けます。

その相手は、たとえば神です。何故、世界はこのような有様で

『ある』のか? 人はどこからやってきて、どこに行くのか?

その短い旅の意味は何なのか? またあるいは、問いかける相手は

運命です。何故、私はこのような不運に見舞われなくてはならないのか?

どこで道が分かれていたのだ、と。あるいは、失われてしまった時間に

問いかけます。邪馬台国はどこにあったのか? ぼんやりと幻のように

残る大切な記憶をどうしたら取り返せるか? 死者にも問う。

私を本当に愛してくれていましたか? 私を赦してくれますか?

泣いても叫んでも、答えはありません。それでも、また問うてしまう。

ーそんな人間の想いを、推理小説は引き受けているのかもしれません」

   (「朱色の研究」(有栖川有栖著)より)

 

私がミステリを読み続けてきたわけはたぶんこういうことだ。

人が死ぬ話が好きなんて・・・と言われたこともあり、

昔はなかなか人に話すことはなかった。

今はすっかりずぶとくなってしまったが・・・(^^ゞ

ミステリに限らず小説から何を感じ、何を受け取るかは

読む人に与えられたある種の自由だ。

暗い部屋の中にいると仄かな光でも明るく感じるように、

救いのない話だからこそ希望を感じることもできる。

それは決して他者から侵されることのない、自分だけの世界

なのだ。

 

昨日の毎日新聞の夕刊に載っていた、小国綾子記者のコラム

あした天気になあれ」はタイトルが

『「不要不急」の読書をつえに』だった。

ああ、ならば私の人生は「不要不急」にどれほど彩られて

きたのだろう。

と思う小国記者は、 

戦争のむごさも、差別の残酷さも、自由の大切さも、

物語を通して教わった。 

という。

台湾の作家、温又柔さんの言葉が引用されていた。

『昔に読んだ本の中の言葉に知らず知らず支えられていることが

あります。すぐには必要なくても、絶対に必要なもの。

長い時間をかけて心を豊かにしてくれるもの。それこそが

人生の滋養なのでは』

 

それぞれの心の中を慈しんで大切にしていきたい。