今日は冷たい風が吹いて寒いですね⛄
「えびすさまの謎」最終回です。
その1、その2では、蛭子大神の伝説を基にしたえびすさまを
紹介してきましたが、今回は今宮戎神社のとっている説、立場を
紹介したいと思います。
今宮戎神社のホームページには以下のようにあります。
創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに、
同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。
(中略)
戎さまは漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴して
います。
当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として
宮中に鮮魚を献進していました。
またこのような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と
里の産物、野の産物とが物々交換される、いわゆる「市」が開かれ
ますが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には
開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが
祀られるようになりました。
時代を経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させ、いつしか福徳を
授ける神、商業の発展を祈念する神としても厚く信仰されるように
なりました。
(コトシロヌシノカミ)という神様で、この神様がえびすさまだという
立場をとっています。
(オオクニヌシノミコト)の子神とされる。
承諾する旨を伝えたのが事代主神だと言われています。
そのとき事代主神は釣りをしていたことが、海の神のえびすさまと
結びつき、江戸時代ころに同一視されるようになったという説です。
大国主命が大黒さまと習合したことから、事代主神であるえびすさまと
大黒さまは親子であるという説も。
え~。なんじゃらほい。
えびす信仰が生まれる以前から事代主神を祀っていた神社で、
のちにえびすさまを祀った神社も多数あり、最も典型的な神社は
逆に、江戸時代から明治にかけて、えびすさまが事代主神という
説に基づいて、祭神名をえびすから事代主神に改めた神社も
あります。
これでえびすさまの謎、終了です。
謎はすっきり、はっきりというわけにはいきませんでしたが、
謎は謎のままでもいいかな、という気もしてきました。
神話の時代のかみさまの話です。語り継がれてきた歴史を感じて
ただ祈りたいと思います。