もりっちゃんのゆるブログ

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えびすさまの謎 その3

今日は冷たい風が吹いて寒いですね⛄

 

「えびすさまの謎」最終回です。

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 その1、その2では、蛭子大神の伝説を基にしたえびすさまを

紹介してきましたが、今回は今宮戎神社のとっている説、立場を

紹介したいと思います。

今宮戎神社のホームページには以下のようにあります。

創建は推古天皇の御代に聖徳太子四天王寺を建立されたときに、

同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。

(中略)

戎さまは漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴して

います。

当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として

宮中に鮮魚を献進していました。

 

またこのような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と

里の産物、野の産物とが物々交換される、いわゆる「市」が開かれ

ますが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には

開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが

祀られるようになりました。

時代を経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させ、いつしか福徳を 

授ける神、商業の発展を祈念する神としても厚く信仰されるように

なりました。

 

今宮戎神社に祀られているのは、蛭子大神ではなくて事代主神

コトシロヌシノカミ)という神様で、この神様がえびすさまだという

立場をとっています。

事代主神は託宣の神と言われ、記紀神話では大国主命

オオクニヌシノミコト)の子神とされる。

高天原から大国主命に国譲りを迫ってきたとき、父に代わって

承諾する旨を伝えたのが事代主神だと言われています。

そのとき事代主神は釣りをしていたことが、海の神のえびすさまと

結びつき、江戸時代ころに同一視されるようになったという説です。

 

大国主命が大黒さまと習合したことから、事代主神であるえびすさまと

大黒さまは親子であるという説も。

え~。なんじゃらほい。

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えびす信仰が生まれる以前から事代主神を祀っていた神社で、

のちにえびすさまを祀った神社も多数あり、最も典型的な神社は

島根県松江市美保神社です。(事代主神総本宮

逆に、江戸時代から明治にかけて、えびすさまが事代主神という

説に基づいて、祭神名をえびすから事代主神に改めた神社も

あります。

 

これでえびすさまの謎、終了です。

謎はすっきり、はっきりというわけにはいきませんでしたが、

謎は謎のままでもいいかな、という気もしてきました。

神話の時代のかみさまの話です。語り継がれてきた歴史を感じて

ただ祈りたいと思います。