もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

「短劇」を読みました

 プロ野球のはなし。

阪神が・・・なかなか勝てない・・・

がんばれ! まだまだこれからだ! 🐯

 

f:id:moricchan24:20200627192307j:plain

「短劇」(坂木 司 著)を読みました。

 

 ↓ 下の本に収録されている「迷子」「物件案内」の親本を図書館で

借りました。

NHK国際放送が選んだ日本の名作 (双葉文庫)

 

全部で26作品入っている短編集。

1作品あたり8~9ページくらいでショートショートと言えるかな。

ただ内容はかなりブラック・・・

まあまあいいお話は上の本に取り上げられた2作とあと1作くらいで、

ほとんど嫌な話。

SFと読めるものもあるんだけど、何気ない日常に潜む悪意や憎悪を

感じさせて、あまりいい気持ちはしない。

SFやホラー小説なら、架空の話と割り切って読めるのだが、

現実の人間が頭の中で想像した話だと思うと、ホラーより怖い。

 

坂木さんてこんな話を書く人だっけ。

今度は長編を読んでみることにします。

 

かるかん饅頭

雨はあがりましたが、ムシムシします。

というわけで?、蒸し菓子のはなし。

 

f:id:moricchan24:20200627072213j:plain

今年のブログの目標は、ひとつのテーマで1年記事を書くということでした。

テーマは「ふるさと」にし、今年はその中で「食べ物」にスポットを当てて

書くことにしたのでした。

百貨店の催場で開かれる「名物まつり」の食レポだけでなく、

実際にその地へ行ってレポートしたいと思っていました。

しかし!

コロナで催しもなくなり、各地へ出向くこともしにくくなりました。

出鼻をくじかれ残念です・・・_| ̄|○

 

こうなってはネット検索でしか調べることができませんし、

名物が手に入ればちょこちょこ記事にするくらいで、今年後半は

やっていくしかなさそうです。

ほそぼそとがんばります。

 

さて、写真はさつま名物 かるかん饅頭です。

かるかん饅頭は、もともと軽羹(かるかん)という棹菓子でした。

羊羹やういろうのように切っていただきます。 ↓

f:id:moricchan24:20200627074456j:plain

 (写真はウイキペディアより)

 

原料は、砂糖、かるかん粉、山芋、水で、

かるかん粉とは、米粉の一種。うるち米を水洗いしてひびを作り、

粗く挽いた粉。

混ぜた生地を薄い容器に入れて20分以上蒸し、弾力性のある白色の半スポンジ様に

仕上げたのが軽羹である。

 

軽羹の名前の由来は諸説あるが、「軽い羹(あつもの)」という意味が

一般的で、羹は「羹に懲りて膾を吹く」ということわざの「熱い吸い物」

という意味だ。

なぜ熱い吸い物が羊羹の羹なのかは、調べてみた。

そもそも羊羹は羊の肝の吸い物であったというのだ\(◎o◎)/

中国で羊の肉に黒砂糖を混ぜて作っていたものが、禅宗文化として

日本に伝わった。

日本では肉類が使用できなかったので、小豆を主原料に羊の肝の形に

作って蒸し、汁に入れてお供えした。

後に蒸し物のまま茶菓子として供されるようになった。

これが蒸し羊羹の始まり。

現在の餡に寒天を混ぜて練り上げた練り羊羹は、安土桃山時代

(一説には江戸時代)に作られたと言われている。

 (辻調おいしいネットより)

 

軽羹は1686年から1715年頃に薩摩藩で誕生したとみられ、

その頃既に棹菓子の羊羹はあったようだ。

薩摩で誕生した理由は、原料の山芋がシラス台地で自生していたこと、

琉球奄美群島で生産される砂糖も入手しやすかったなど。

砂糖が高級品だったので、軽羹もお殿様の食事や冠婚葬祭の場で

使われていたそうです。

棹菓子から、丸く成形して餡を包んだ饅頭ができたことで、

日常的なお菓子として広がっていきました。

 

もちもちとした生地がおいしく、こしあんとよく合います。

 

「とりつくしま」を読みました

しばらく暑い日が続いたけれど、そろそろ雨の日が復活しそうだ。

今年の梅雨はザーッとひどく降って休憩、ザーッと降って休憩、

のパターン。

そろそろ梅雨も後半なので、大雨への備えと酷暑への準備をあらためて・・・

2~3日前から、気の早い蝉が鳴き出している。

シャンシャンシャンシャンという賑やかな朝がもうすぐやってきます。

 

f:id:moricchan24:20200624145608j:plain

「とりつくしま」(東直子(ひがしなおこ) 著)を読みました。

シュールな表紙です(*´艸`*)

 

検索で見つけた ↓ 本に入っている「日記」と「マッサージ」が収録

された短編集。

NHK国際放送が選んだ日本の名作 (双葉文庫)

 

「とりつくしま」は「とりつくしまもない」という慣用句の

「取り付く島」のことで、頼りとしてすがるところ、という意味。

さまざまな状況で亡くなった人が、あの世で「とりつくしま係」に会う。

現世に未練のある人、思い残すことがある人は、自分の「とりつくしま」

を決めて現世に魂を戻すことができる。

「日記」は、亡くなったのは旦那さんで、妻の日記をとりつくしまにする。

「マッサージ」は一家の大黒柱のお父さんが亡くなり、生前購入した

マッサージ器にとりつく。

 

この短編集はWebで連載されたものらしいが、この設定だけで

いろんな話が想像できておもしろい。

現世に未練があって魂が戻っても、本人が満足できる結果になるとは

限らないことは予想できる。

大好きな人のところに戻っても、相手はすっかり忘れていたり。

親友のところに戻ったら、実は自分はその友人に殺されていたことを

知る・・・なんてミステリーにもなる。

東さんは、全部を描かない。

もともと歌人なので、ことばで全部言い尽くすということをしないのかも。

「私が書くのはここまで。あとはみなさんがご自由に想像してください」

というスタンスがうかがえる。

 

亡くなったのが子どもで、お母さんとよく行った公園のジャングルジムに

とりついた「青いの」には泣かされた。

生きている者が亡くなった者をどの程度想うのがいいのか、

考え出すと悩ましくなった。

 

「遠くの声に耳を澄ませて」を読みました

昨日は2か所の通院で、自転車で出かけました。

今日も昨日に続き暑いです。💦 

 

f:id:moricchan24:20200622194437j:plain

「遠くの声に耳を澄ませて」(宮下奈都 著)を読みました。

 

図書館で本を借りるのに、今は閲覧に長く時間をかけられないので、

あらかじめ予約をすることが多くなりました。

でも新刊や人気の作家の本は予約件数が多く、なかなか順番が回ってきません。

(去年の8月に予約した本が2冊あるのですがまだです)

あまり時間が経つと、せっかく順番が回ってきても

もうそれほど読みたくなくなっていることがあり、

読まずに返すこともありました。

今はあまりに予約件数が多い本は予約せずしばらく待つことにしています。

 

予約のついてなさそうな本を決めるのはなかなか難しいです。

小説が読みたいときはこんなふうに決めます。

ネットで「文庫 ランキング」と検索し、文庫で今売れている本を

見てみます。

文庫があるということは、単行本なら2~3年前に出ているはず。

予約が少ない可能性が高いです。

そこで見つけたこの文庫。 ↓

NHK国際放送が選んだ日本の名作 (双葉文庫)

残念ながらこの本自体は予約が多く、ちょっと無理。

それで中に収録されている短編を作家ごとに調べると、うまい具合に

短編集が見つかりました。

宮下奈都さんの「アンデスの声」が収録されている

「遠くの声に耳を澄ませて」。

作品は他に、

「転がる小石」

「どこにでも猫がいる」

「秋の転校生」

「うなぎを追いかけた男」

「部屋から始まった」

「初めての雪」

「足の速いおじさん」

「クックブックの五日間」

「ミルクティー

「白い足袋」

「夕焼けの犬」

 

ひとつひとつ完結した短編だけれど、同じ人物が時を超えて

登場して、つながった物語のようにみえる。

どの人物も、この日本のあちこちで実際に生きている人々のように

思えるくらい身近だ。

そうだよね。わかるよ。と声をかけたい気持ちになる。

「叫んでもしかたのないことはあるのです」

 (「遠くの声に耳を澄ませて」(宮下奈都 著)内

  「クックブックの五日間」より)

その通りだ。

一日の終わりの夕焼けを眺めながら、同じ空の下同じように

生きている人を想う。

先日読んだ「羊と鋼の森」に比べると、美しい調べではないかも

しれないが、私はこちらの方が好きだ。

 

夏用のマスク

いったんお出かけしてしまうと歯止めがかからない。

昨日はBOOK OFFへ本の買い出しに出かけた。

日曜日でとんでもない人出。ゲームを買う子ども、絵本を見る親子。

みんなマスクをしているが、狭い通路がいっぱいで、

肩が触れ合うどころか・・・

失敗だった。出かけるのはやはり平日にしないと。

それでも夙川のオアシスロードを歩くと気持ちがよくて、

ああ、またハイキングに行きたいなあとしみじみ思いました。

(BOOK OFFでの釣果は12冊でした)

 

f:id:moricchan24:20200622191315j:plain

金曜日に手芸屋さんを覗いて、夏用のマスクの生地を買っていました。

もうガーゼのマスクが暑くて、口の周りが汗なんか、息の蒸気なんか、

鼻水💧なんかわからなくなって、不快・・・

 

夏用のリップル地というのかな、サッカー地というのかな、

でこぼこのある生地を3種類。

裏の肌に触れる部分はガーゼの2枚重ねで作りました。

薄くて軽い。暑さもだいぶまし。

でも予防効果はいまいちかもしれない。

マスク用のゴムは相変わらず品薄。ゴムの代替品をお店もいろいろ

工夫していて、私はニットの紐を買いました。

耳も痛くなくて具合いいです。

 

本格的な夏、これでどうにか過ごせるか・・・

 

「羊と鋼の森」を読みました

昨日は久しぶりにお出かけしました。

もりっちゃんはもう限界を超えてしまい・・・

不要不急の外出をしてしまいました。

ちょうど都道府県をまたいでの行き来が解除された日とかぶり

ましたが、解除されてなくても出かけていたでしょう。

電車に乗って甲子園へ。

本屋や手芸屋さんで買い物をし、スーパーに寄って帰りました。

フードコートで冷やし中華も食べました。

席数が半分以下になっていて、密にならず安心しましたが、

土日は人出が増えて席が足らなくなるだろうなと思いました。

 

混み具合や対策されているかなど、実際に見て確かめないと判断

できないので、これからはマスクや消毒などに気をつけて

いったん出かけてみようと思います。

 

夜にはプロ野球が開幕しました。やっと!

もうどのチームが勝とうと負けようとかまわないというくらい、

久しぶりの野球観戦を楽しみました。

枝豆とビールが欲しくなりました。

無観客で寂しいけれど、精一杯応援します(^^)/ ←いちおう贔屓チームがある

 

f:id:moricchan24:20200620134319j:plain

羊と鋼の森」(宮下奈都 著)を読みました。

2016年に本屋大賞を受賞し、2018年山崎賢人主演で映画化されました。🎬

原作本もベストセラーになり、図書館も予約数が多くて予約を控えて

いました。

今回宮下奈都さんの別の本を予約したとき、この本の予約状況を

確かめたら落ち着いていたので予約して読みました。

映画版の表紙は ↓ こんな感じ。

羊と鋼の森

俳優さんの顔ぶれを見て、誰がどの役をしたのかすぐわかります(笑)

 

天板を開いたグランドピアノの中を覗いたことがありますか?

きれいな平行線の弦が張られ、鍵盤を叩くとフェルトでできたハンマーが

弦を叩きます。

そして黒い体は木でできています。

ピアノは弦楽器でもあり打楽器でもあり、不思議な鍵盤楽器

羊と鋼の森」は、フェルトと弦で音を奏でるピアノという楽器を

表すことばであり、ピアノで奏でられる音でできた音楽や、

ピアノと共に歩む調律師の人生を表しているのだと思う。

 

全体をとおして、フレッシュな野菜サラダのような小説。

癖のある人は登場するものの、ひどい悪人はいないし。

たまに固いナッツが入っていたり、刺激的なドレッシングがかかっていたり

するけれど、基本的には素朴な野菜の味が味わえる。

調律師の話だからピアノや音楽に関連する話題になるが、

音楽に詳しくなくても大丈夫。

むしろ原民喜(はら たみき)の文章が引用されていてびっくりしたほど。

 

もう少し濃厚な魚介類が入ったサラダの方が私は好みだ。

「毒」はごめんだけれど、あっさりし過ぎなのもちょっと・・・

贅沢ですね。

 

f:id:moricchan24:20200620134334j:plain

表紙裏側には音叉があります。

ギターの調弦にしょっちゅう音叉を使いました。

U(ユー)の部分を膝にこつんと当てて、反対側のI(アイ)の部分を

ギターの表面版に当てて共鳴させます。

442Hzの音が出るので、それを第5弦に合わせます。

クラシックギターは6本の弦。下から第1弦・・・第6弦。

下が高音、上が低音)

合わせた第5弦をもとに他の弦を合わせていきます。

クラブでやっていた頃は、音叉ではなくチューナーという機械を使い、

チューニングは気を遣う作業で大変でした。

 

音や音楽をことばで表現するのは難しい。だから「羊と鋼の森」の

中で表現されている音が、私の中で具現化しているかははなはだ疑問。

でも、私たちは音を耳で聞くとき、最終的には電気信号に変換して

脳に伝えている。

どんな音かを感じているのは脳なのだ。

私の脳内で音の逆変換を起こす作業はなかなかおもしろい体験でした。

 

 

「新装版 切支丹の里」を読みました

昨日、今日は湿度が低くて過ごしやすいです。

うまく日陰を探して歩けばなんとか。

 

切支丹の里 (中公文庫)

「新装版 切支丹の里」(遠藤周作 著)を読みました。

 

紀行文が好きです。

旅行にはそうたびたび行けませんから、自分が知らない土地を訪ねた

文章を読んでどんな所か想像するのが楽しいです。

この本は去年本屋で、中公文庫の旅・紀行文のフェアで選び

買ったものです。

エッセイのような感覚で気楽に読めるかなと思いましたが、

ちょっと違いました。

遠藤氏が小説執筆の取材旅行を兼ねて行った長崎地方への旅を

基にした紀行文と小説の小品が収められています。

 

「沈黙」など遠藤氏にはキリスト教をモチーフにした作品が多いです。

氏自身もクリスチャンでした。

私は無宗教なので宗教や信仰を描いた小説は理解しにくく、

あまり読んでいません。

「沈黙」も未読です。

ただ、遠藤氏は信仰の素晴らしさや神の教えを描きたかったわけでは

ないような気が、この本を読んでしました。

キリスト教が弾圧を受けて、多くの宣教師、神父、信者が殉死した一方で、

棄教し(信仰を捨て)自分を責め自分に落胆しながらその後を生きた

元信者もたくさんいたはず。

そして一部が信仰を捨てきれず、隠れて(潜伏キリシタン世界遺産登録

では記載されていますー2018年)信仰を続けてきました。

そんな信者に遠藤氏は興味を持ち心を寄せています。

 

初版は1974年の古い本です。2016年に新装版として出ました。

今の長崎、天草は、遠藤氏が訪ねた頃とはずいぶん変わっているでしょう。

2018年に世界遺産登録されてからはまた変化したかもしれません。

単に珍しいからとか古いからという歴史や文化の上っ面だけでなく、

人々の営みとして信仰があったということ、

迫害をしたのも殉教したのも潜伏したのも人間だということ、

決して明るい観光地ではないのだという思いで、この地を受け止めないと

いけないと思いました。

 

しかし、昔の拷問はひどいです・・・

ナチスユダヤ人への拷問もひどいもんですが、人間というのは

ここまで恐ろしいことができるのだと震えます。

この拷問のシーンで、私の心はかなり折れたので、

しばらく癒されるような作品を読むことにします。